三厩(みんまや) | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 本州の北端、津軽半島と下北半島に抱かれる陸奥湾。その湾に沿う津軽半島東岸から青森市にかけての一帯は、外ヶ浜と呼ばれる。油川(あぶらかわ)は外ヶ浜の中心で、古くは大浜(おおはま)と呼ばれた。日本海航路の終着港であり、近江や北陸出身の商人たちが多く移住し、鎌倉時代から栄えた港町である。

 江戸時代に入り、二代弘前藩主となった津軽信枚(のぶひら)は、江戸との海路を開くため、寛永元年(1624)、油川の東約5㎞に新たな港、青森湊を開港した。しかしその後も油川は、弘前と青森を結ぶ羽州街道と松前街道の分岐点に位置する要衝として、江戸時代を通じて繁栄した。

 松前街道は、津軽半島東岸を北へ向かい、松前藩の本陣が置かれていた平舘(たいらだて)

を経て三厩(みんまや)に至る。三厩は、古くから松前に渡る要地とされ、松前藩主の参勤交代や、幕府の巡検使が本州と蝦夷島(えぞがしま)を往復する際の港ともされた。

 この三厩の地名は、義経伝説から生まれたという。死んだとされる源義経一行は、平泉から逃げ延びる。その後、大しけの津軽海峡を渡るため観音菩薩に加護を祈ったところ、3頭の竜馬(りょうめ)を賜った。この時、竜馬を三つの洞窟がある厩石(巌)につないだことが、この地の名の由来となったと伝わっている。一行は、この竜馬に乗って海峡を渡り、蝦夷島に向かったという。この伝説を寺伝に残す義経寺境内には、航海の目印ともなっている樹齢数百年の松があり、寺は航海安全を願う船乗りたちからも深く信仰された。

 義経伝説は、全国至る所に残されていますが、「判官贔屓」の日本人らしい伝説です。