焼津(やいづ) | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 静岡県中部、駿河湾に面した港町焼津は、『古事記』や『日本書紀』などに書かれた日本武尊(倭建命・やまとたけるのみこと)の東征神話に、町の名の由来を持つ地である。

 12代景行天皇の治世40年、西国の熊襲(くまそ)を討った皇子・日本武尊は、次に東国の蝦夷(えみし)討伐を命じられる。伊勢神宮で、皇子の武運を祈る叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)から、草薙剣(くさなぎのつるぎ)と火打ち石を授かった日本武尊は、途中、駿河の地に立ち寄った。皇子は、従順な態度を見せていたその地の賊から鹿狩りに誘われ、野に入る。しかし、これは皇子を殺そうとする賊の罠だった。野に火を放たれ、危機に陥った日本武尊だが、叔母から授かった草薙剣で周囲の草を薙ぎ払い、火打ち石で向かい火をつけて、逆に賊を、ことごとく焼滅ぼした。そのため、この地は焼津(やきづ)と呼ばれるようになったといわれている。

 焼津は、10世紀頃まで、古代東海道における交通の要衝だった。近世に入ると、駿府、藤枝間は、山越えの道が主流となったが、以降もこの町は、海運、漁業の町として発展してきた。

 いつも言うことですが、地名(山や川なども含め)は、何らかの謂れがあったはずで、それらが分かると、「な~んだ」ということになります。それが正しいとか、誤っているとか、学術的には判りませんが、そこに住む昔からの人々の生活や、考え方などの一端が分かるはずで、それが日本人の思考のルーツになると思うと、何となく楽しいのではありませんか。陽気も良くなり、来週末からは連休(ただし、今年はゴールデンウイークと呼ばれるほどではないですが)になり、人出も多くなるでしょうから、穴場を見つけての旅行もいいのではないでしょうか。