卍はれっきとした漢字で、音は「マン」で訓は「まんじ」である。卍のルーツは、古代インドの宗教にあり、おめでたい意味を表す印からきている。ビシュヌ神の胸毛はマンジ状に渦を巻いて生えていたたされる。仏教でも万徳の相とされ、仏像の胸や掌、足の裏にもこの「卍」が刻まれるようになった。
さらにさかのぼれば、古代メソポタミアなどで太陽の象徴、神聖な印として使われたともいい、ケルト文様にもあって、この形は世界各地に見られる。
仏教を通じて中国に伝わった卍は、則天武后の長寿2年(693)に漢字として採用され、万と同じ音で、「吉祥万徳が集まる」意味とされた。ということで、卍は大変におめでたい印で、諸仏菩薩のシンボルとして使われるようになり、お寺のマークへと変身したのである。
そういう福を呼ぶ印であるから、いろいろな文様にも使われている。身近なところでは、綸子(りんず)などの高級な織地には地紋に沙綾形(さやがた・卍つなぎ文様)が使われている。また、遠山の金さんや大岡越前守が登場するお白洲(しらす)の場面の背後に見える襖の柄は、この紗綾形と決まっている。弘前市の市章が卍なのは、弘前藩主・津軽氏の紋が卍だったからである。
卍は、人によって好悪があるようです。それは、卍を見た時に何をイメージするか、あるいは、したかで決まって来るでしょう。字とか数字も同じで、「ゲン担ぎ」や「吉凶のイメージ」に結びつきやすい数字や文字は避けられる傾向にあります。それは、人間が弱いことを意味する場合もあるでしょうし、あるいは、過去の経験則からくる場合もあるでしょうから、他人がとやかく言うものではないと思います。