浦井正明氏(寛永寺執事長・東叡山現龍院住職)は、一言法話の中で次のように語っています。江戸時代から、天海の生没年については判らないとされてきました。そもそも天海は、その直弟子にさえ、自分の経歴についていっさい何も語らなかったほどなので、江戸の昔からその年齢について15もの説が存在したのです。
しかし、歴史学者辻善之助博士(1877~1955)によって、1643年(寛永20年)の10月2日に108歳で入寂したことが論証されて以後、この節に対する異論は全く出ていません。
その天海と3代将軍徳川家光との間には、いくつかの逸話が残されていますが、その中の一つに、家光が天海にその長寿の秘訣を聞いた時の話があります。家光は登城した天海にこう尋ねました。
「大僧正はたいへんご長命だが、だいたいその長生きの秘訣は何なのか、教えて欲しい」
それに対して天海は、次の2首の和歌をもって答えたといいます。
「気は長く つとめは堅く 色うすく 食ほそうして 心ひろかれ」
もう1首は、
「長命は 粗食(そじき) 正直 日湯(ひゆ) 陀羅尼(だらに) おりおりご下風(かふう) あそばさるべし」
というものであった。最初の1首は、文字通り。気は長く、ゆったりとお持ちなさい。勤め(与えられた仕事)は堅く、きちんと勤めなさい。色事についてはあまり執着しないで、あっさりとしなさい。食事は食べ過ぎないように、控え目にしなさい。そして、心は大らかに、広くゆったりと持ちなさい、という意味です。
次の1首は、長命(長生き)であろうとするなら、まず食事は粗食でなければならない。常に正直であり、心にわだかまりを持たないようにしなければならない。さらに、日湯とは、毎日風呂に入ることで、言い換えれば、身体を清潔に保ちなさいということ。陀羅尼(陀羅尼経)は、天海が僧侶であったための表現で、本意は最初の1首の「つとめは堅く」と同じに、自分に与えられたことはきちんと果たしなさいということなのです。
そして面白いのは、最後の「おりおりご下風」という件(くだり)で、ご下風というのは、いわゆるオナラ(屁・ヘ)のこと。また「あそばさるべし」とは、家光に呈したための敬語ですから、要するに、前半の堅い内容を守っていると息が詰まり、張り詰めた糸が切れてしまうから、たまには(折々)息抜き(屁)でもして、リラックスしたほうがいいですよ、という意味なのです。
人間は緊張の連続では神経がまいってしまいます。ですから、「息抜き」や「気分転換」が必要です。陽気もだいぶ良くなってきましたので、外に出て気持ちの切り替えを図ることで、その後の仕事を効率よくすることが出来ればよいと思います。