信玄の隠し湯 | 徳富 均のブログ

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自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 「信玄の隠し湯」は、武田信玄が合戦で傷ついた将兵を療養させたという伝承を持つ。しかし、その他にも意味を持っている、という説もある。金山で働く坑夫は、鉱脈を肌で感じるために裸で入坑するため、生傷が絶えない。そこで、坑夫たちの体を癒し、心を癒すのが温泉となる。金山近くには確かに温泉がある。湯之奥金山には下部温泉が、保金山には保温泉が、杉沼金山には橋倉温泉が、御座石金山には御座石温泉がある。金山衆は、城おも崩す発掘技術があり、彼らは温泉の発掘も手掛けていたのかもしれない。

 山梨県内には「信玄の隠し湯」と伝えられる温泉が十ヵ所近くある。その内資料に見られるものは、湯村、川浦、しもべ温泉がある。湯村温泉は『甲陽軍鑑』に、「志麻(しま)の湯」と見え、川浦温泉には「川浦湯屋造営下知状」が恵林寺に残っている。増冨、積翠寺、川野、嵯峨塩、橋倉温泉などが「信玄の隠し湯」と伝えられている。

 「信玄の隠し湯」や「信玄の隠し金山」などは、いつの時代でも話題になりやすいようですが、それだけ武田信玄という人物は魅力的なのかもしれません。「勝負は合戦のみにあらず」「軍勝、五分を上とし、武力に驕ることなかれ」という言葉が残り、さらに、「人使いのうまさ」が言われます。人の技量をよく見極め、その技能をうまく活用した。それは、次代を越えて、求められる事柄ではないでしょうか。