辻番と自身番 | 徳富 均のブログ

徳富 均のブログ

自分が書いた小説(三部作)や様々に感じた事などを書いてゆきたいと思います。

 江戸時代の自警組織としては、辻番、自身番、木戸番、橋番、火の番、牢屋番などいろいろあった。この中で、辻番は武家屋敷に置かれ、自身番は町屋に置かれたものである。辻番の目的は、江戸時代初期に多発した辻斬り防止が主眼で、辻番所には木刀、刺股(さすまた)、もじり棒、松明(たいまつ)、早縄、提灯が備えられていた。しかし、太平の世になると、60歳以上の老人でも勤まったとされ、「辻番は 生きた親爺の 捨て所」と揶揄された古川柳もあるほどである。

 一方、自身番は町奉行の監督下にあり、町内会の会所と消防団詰所、自衛交番といった性格のもと、捕り物の三ツつ道具が置かれていた。そして、屋根の上には、梯子(はしご)と半鐘が取り付けられている。自身番は町奉行所からの「差し紙(呼び出し状など)」を受け付けたり、町内のいざこざや小さな喧嘩を家主止まりで内済できるよう取り持ったり、定町廻り同心の取調室にもなったりとなかなか出入りは多く、「縄付きの そばで碁を打つ 自身番」とか、「自身番 捨て子が泣いて 世帯(しょたい)めき」などと、手が回らなければ、夜警が主な仕事であるお向かいの木戸番に協力を頼んだ。

 町人の家の防犯は、心張棒一本で済ませていたのが、「宵越しの銭は持たない」主義の江戸っ子でした。もっとも、持ちたくても、持てなかった、稼ぎが少なかったのご一般町人でしたので、家の鍵などは必要なかったのかも知れません。現代では、犯罪も巧妙になり、悪質になってきているので、戸締りは必ず必要です。それでも犯罪は多くなってきているので、それだけ人間も短絡的で狂暴になってきているのでしょうか。それは、教育に問題があるのでしょうか。もちろん、家庭教育と学校教育のことですが。