これって被災・・・?
東日本大震災(別の報道では東北・関東大震災とも発せられている。いずれ気象庁?または国が命名するのでしょう。)で旭にある会社は本社工場と事務所、第二、第三冷蔵庫、中国人宿舎が津波により被災した。3・11には避難の後に宿舎に戻れない中国人研修生・実習生(中国人就労者)は一時的に私が居住している会社の社宅に入った。社宅は一戸建てで6畳の和室と15畳程度のリビングがある。そこに約10名の中国人が避難した。残りの約5名は別の社宅で過ごした。確かに水道は止まるし、合計しても20畳程度の家に10人が住むのは酷だったかも知れない。布団は中国人宿舎の2階部分から持ってきたり、社宅にあった布団や私の布団が勝手に使われていた。
自宅にもどっていた私は3・15からJRとバスを乗り継いで出社し、近くにある機械関係の社長宅に居候しながら仮事務所の立ち上げに奔走した。そうこうしていると震災から3日目くらいから工場の復旧の手伝いをする彼らの態度が急に変わり始め中国に帰るという者が現われ、それが皆に拡がり就業をボイコット。そして5日目の夜、夜逃げするようになんの挨拶も断りわりもなく、自転車で彼らは成田空港に向った。
直接の原因は福島原発事故による放射能拡散の恐怖心や中国にいる両親から働きかけのようだ。震災により彼らに入る情報の多くは携帯電話によるメールや中国版ツイッターのようなもので、中国から送られる情報や日本国内にいる中国人就労者のネットワークのようなものがあったと思われる。三陸で働く中国人のなかにはなくなった人もいるだろうし、背景はわからないが、海外のなかでもとりわけ中国人の放射能に対する警戒感は強いものがある。また多くが一人っ子ゆえに両親が帰国を強く促したということもあるだろう。
(日本政府が状況を正確に発信していないのか、それとも海外が一部の報道や推測から原発事故を過大に判断・深刻化させているのかはわからない。ただ、19日の時点で東京にあるフィンランド大使館が広島に移設することを決定したり、ノルウェー・ニュージーランドなどが日本への渡航を自粛させたりしている。そして船会社の一部には東京・横浜を抜港(寄港しない)する決定を下したところもある。中国においてはコンテナー船・コンテナー(中の貨物ではなく)が放射能に汚染させている場合は寄港させないという決定をくだし、事実、電子部品を積んだ航空機から貨物をおろすことを認めなかった事例があった。)
とにかく、彼らは姿を消した。わずか数日の仮の宿舎であった私の寓居には、彼らが初めて体験した大地震によるストレスや妄想や怒りや不安、そして彼らが日本人ではないという踏み跡とゴミの残骸だけが無惨にも残された。
ゴミの特徴
+作業着、ヘルメット
+食品 食べかけ、残りかす、汚れた食器、カップラーメン、箸、なぜかサプリメント (就労をボイコットした時点で会社は食事を提供しなかった←当然)
+衣類、下着(脱ぎかけのパンツまで)、靴、サンダル、タバコの吸殻
+携帯のアダプター、解説書、津波で使えなくなったパソコン(無念だろうな~。)
+エロ本
+冷蔵庫に砂をかんだ伊勢海老2尾、中国料理の調味料、パン、汚れた食器多数 そして最後はおそらく土足であがったのだろう、和室もリビングも砂でざらざらしていた。
和室の残骸 リビングはすでに片付けてしまった後に撮影。とっときゃよかった!! (何のため・・?)
19の午後と20の午前を使い、家を掃除する。こんなゴミを掃除するくらいなら、波に洗われたほうがましだと本当に思った。悲しかった。挙句の果てにオンキョーのステレオが盗まれていた。ゴミはビン長マグロを入れる鉄製の籠(約1.2トンのビン長が入る)2つに投げた。砂だらけ布団も干す気にはならなかった。
ビン長マグロ、カツオを入れる鉄製の籠、マイナス50℃の世界をイメージできるかな・・?
いちおう、きれいに掃除した。勢いで自分の荷物も一部捨てた。生まれかわるような気持ちで投げた。布団一式を購入した。冷蔵庫のなかは空になった。
友人が努めるITソフトの中国人技術者も中国に帰国した。友人が経営する割烹釜飯の中国人従業員は関西の友人宅を頼って移住した。おそらく首都圏では帰国の手続き・手順は別としても多くの中国人が職場を去ったにちがいない。沈む国を捨てたのか、大いなるチャンスを失ったのか・・・?
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ちなみに津波により多くの伊勢海老が陸に流され、波がひいたときに簡単に伊勢海老を捕獲できたと。かなりの確実で伊勢海老の資源が激減していると思う。
やるせない・・・・? がんばれ日本!!!