第5弾 サダタローさん | 早稲田大学所沢キャンパス祭公式ブログ

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第5弾は、現在漫画家としてご活躍なされている、人間科学部13期生 サダタロー(国定太郎)さんです。


 

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ー まず簡単に自己紹介をして頂けますでしょうか。

 

 人間科学部スポーツ科学科、99年度入学しました、国定です。卒業年度は、多分2010年ぐらいだと思うんだけど人間科学部に入って、スポーツ科学部の学術院に入った形で9年ぐらいいました。宮内研究室でスポーツ社会学を専攻していました。それで、在学中にちょっとひょんな事から漫画家としてデビューすることになりまして、今もその仕事を続けています。現在一番大きな仕事といったら熊本の新聞でくまモンの四コマ漫画を書かせてもらっていることですね。

 


ー 大学在学中に漫画家としてデビューしたということですけどもそれはどういう過程があったのでしょうか。

 

 人科に入って最初に入ったのが本部の漫研(漫画研究会)だったのね。もともと漫画好きだったから漫研入ったら、当時フジテレビからオーディションの話があったのね。それでその時に当時のサークルの先輩に「行って来い」と言われて、オーディションを受けにいったら俺通っちゃって。だから一年の夏休みかけて、バラエティの企画で、一枚百円で絵を売って旅したのね。それでそのオンエアの評判がまあまあ良くて、そのまま「やってみないか。」という形でデビューしました。

 


ー では、入学時に漫画家になろうとかいう気持ちは全然なかったのですか。

 

 ないよー、あったら大学なんて行かないよー。俺二浪していたんだよね。だからもし俺現役だったらその時、一年じゃないからオーディション行ってないかもしれない。だから今二浪して入った人もね、あんまりコンプレックス持たずに頑張ってください。(笑)



ー それはすごく勇気付けられますね。何が起きるかわからなくて、本当に唐突なんですね。相当忙しかったですか。

 

 当時はね。どっちも慣れてないじゃん。学校も仕事もどっちも慣れていないタイミングだからね。そのタイミングで仕事を理由に学校怠けていたから9年もいたんだよ。(笑)



ー それだけいたら相当早稲田の人間科学部の歴史はご存知なわけですね。

 

 そうだねー、学食の変遷とかは。今と全然違うんだよ。昔は学食の横にパンの自販機があったんだよ。あの、松屋がある所。あそこそもそも今みたいにラウンジみたいなのなかったし。ただ自販機のスペースがあって、お菓子とかパンの自販機が置いてあって、全然違かったね。松屋できた時超嬉しかった。

 


ー 実は今、松屋もうないんです


 えー!!何になったの?

 


ー 今空っぽです。テナント募集中だと思います。


 マジで!?それは、気の毒に。

 


ー 30周年をめどに結構変わっていまして、図書館とかもかなり変わって、グループ学習スペースができたり、プレゼンテーションスペースができたりとかすごい綺麗になっています。

 

 俺が現役の時とかは、大教室、212教室の前にサークルスペースがあったんだよね。今あるS棟とかはなかったな。だから人科もすごい変わったよね。そもそもだって一番大きいのはスポ科ができたことだよね。


 

ー 変わっていくとこキャンの中でも「ここはとこキャンの好きな所だな」というのはありますか?

 

 やっぱり田舎だったのは良かったよね。俺さ、受験に受かった時に人科が所沢だということを知らなかったのよ。受験は本キャンでやるから馬場だと思ってた。それで入学案内来たら所沢と書いてて慌てて所沢で家探したんだけど、最初超ショックだったの。田舎者だったから都会憧れてたし。だから最初本キャンのサークル入ってて、オープンの授業出まくってたんだけどね。でも結局卒業しても所沢住んでたからね。所沢多分人生で一番長く住んでたけど所沢で住んでて良かったなって思うよ。ただ最寄駅が遠すぎるっていうのがあるけどね。(笑)



ー あのバスですよね(笑)


 そう、あの学バスさえなかったんだよ。俺ら路線バス定期買って行ってた。だからいちいち停まるんだよね。芸術総合高校の人と一緒になって大変だったよ。今は便利になったからあれできたのは超良かったな。羨ましかった。

 


ー では、話の路線を変えまして、人間科学部に入学して一年で漫画家としてデビューなされたということですけどもその中でも人間科学部での体験や学びが生かされた経験はありますか。

 

 学びや経験になるかはわからないけど研究内容は、先生が自由に研究をさせてくれる方だったので学びの幅が広がりました。そのおかげで、もともと漫画が好きだったからそこに絡んだ研究ができたのはありがたかったし、面白かったかな。俺、大学院の時スポーツ漫画研究していたから『スラムダンク』とか『キャプテン翼』とかを研究していたよ。ただ、研究費で買った本だから研究室に置いてたら『スラムダンク』はほぼパクられていたけどね。だから学生に人のものをパクるのはやめておいた方がいいって伝えといて。(笑)一方で、『キャプテン翼』はほとんどパクられていなくてそういうことをテーマにして研究もできるなって思ったこともあるよ。

 


ー やはり早稲田での繋がりは大きいですか。

 

 大学時代の友達がお仕事の話を持ってきてくれたりとかはあるね。あと、出版にいるのは身内が多いというのはあるよね。早稲田卒の人は結構多いから親近感持ってくれて助かるなっていうのはあるな。


 

ー 所沢キャンパスでお世話になった方とかいらっしゃいますか?

 

 それはもうゼミの先生の宮内先生ですよ。俺、宮内先生に相談せずに院試受けたもん。普通の時は、先生に一回相談して「院の方でも先生にご指導いただきたい」という旨をちゃんと伝えてアドバイスもらってから院試を受けるものだけど、俺全く先生に相談せずに受けて、「お前なー」って言われながら二年間面倒見てもらったからありがたかったですよ。


 

ー 漫画家でデビューされてた中でも院への進学を決めた理由はなんですか。

 

 学部生の時に真面目に勉強したのがラスト二年ぐらいしかなかったんだけど、その時に結構楽しくて。特に社会学の研究をもうちょっとやりたいなって思ったんだよね。だからドクターもちょっと考えていたこともあった。先生に相談したら「とっとと卒業してちゃんと仕事しろ」って怒られたんだけどね。(笑)だから良かったよ、今ちゃんと仕事できてて。宮内先生じゃなかったら院に行ってないよね。

 


ー 最後の方なりますが、所沢キャンパス生、早稲田生に一言何かありますでしょうか。

 

 まあ俺からアドバイスできることなんかはないけど、ただ結局俺は人科に入ってこうなったと思っているので、何がきっかけでどうなるかわからない。さっきも言ったけどいっぱい浪人したからっていってコンプレックス持つ必要なんてないし、あと意外に腰据えて勉強して見たら楽しいこともあるし、「こういうことしていたらハッピーだな」って思うこともあると思うから。あと社会人になったら絶対あの頃よかったって思うからしっかりエンジョイしてくださいってことだよね。ただ勉強はしておかないともったいないと思うよ。だから人科は他の学部では学べないこともたくさん学べるところだし、やれば面白いところだと思うんだよね。よく遊び、よく学べじゃないけどね。あと大学の友達が一生の友達になるからしっかり友達を作って欲しいなとは思いますね。

 


ー では、最後に所沢キャンパス30周年ということでお祝いのお言葉をいただけますでしょうか。

 

 30周年のうち三分の一近くお世話になったと思うと大変感慨深いものがありますね。(笑)人間科学、スポーツ科学は今後ますます必要となる学問だと思います。より一層のご発展をお祈りしています。本当にお世話になりました。

 


ー 本日はありがとうございました。

  



 所沢キャンパスの変遷や、漫画家になったきっかけなど貴重なお話をしていただきました。サダタローさんは、とても気さくで、面白い方でたくさんの興味深いお話を聞くことができました。


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 インタビューにお答え頂き誠にありがとうございました。


 

広報局1年 中山毅