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モペッド で 1マイル

浮かんでは消える。消えるようで消えない。日々の思いは頭の中で、音楽のように流れていく・・・ような気がします。好きな音楽のことを中心に、そんな思いをちらほらメモ書きしてみようかな・・・てな感じです。

林檎ちゃんの203年ツアー「椎名林檎と彼奴と知る諸行無常」の映像を見るに、

私の知らない曲をちらほら歌っていたもんで、ちょっと戸惑ったりも。

前に書いたように、やや林檎ちゃんから疎遠気味だったとはいえ、

そこまで知らないわけではないつもりだったもんで。

 

まあ、調べてみると、新曲というわけではなく、

提供曲をセルフカバーしていたんですね。わりとそのライブでは。

 

「我れは梔子」もそんな一曲。

なんでも、林原めぐみという声優さんに2016年に提供した曲なんだとか。

(同じタイミングで「薄ら氷心中」という曲も。

そちらは、すでに「逆輸入~航空局」(2017)で林檎ちゃんがセルフカバー。)

 

ともあれ、これもいいなぁと。

そもそも、林檎ちゃんが歌詞にする花の名前って、

なんとも、こちらの頭の中をくすぐるものが多いんですよね。

 

「無花果(いちじく)」とか「クレマチス」とか。

 

で、「梔子(くちなし)」でしょ。※

なんだか、花の色や香りといった物理的な美しさを超えて、

言葉としていろいろ想像してしまうものがあるというか、

文学的な意味での美しさを纏うというか。

 

 

 

 

 

 

「我れは梔子」(2016)

 

 

 

 

余談ですが、「梔子」という字を見ると、

「くちなし」じゃなくて「なでしこ」が頭に浮かぶ私(う)。

 

(私だけ?)

 

 

 

 

 

立った茶柱の上に三角座りして

湯呑の縁の向こう側を眺める

 

爆弾を積んだ飛行機が飛んでいく

あちこちで親子が殺し合っている

 

その度にゆらゆらと

茶柱は揺れる

 

ゆらゆら

ゆらゆら

 

ゆらゆら

ゆらゆら

 

風の噂にすら揺れ

虫の知らせにすら揺れ

 

そのくせここまでなんとか

転覆も沈没もしなかったのは

どうしてだろう

 

そんなに茶柱は丈夫なのか

それとも知らぬ間に

その危うさに慣れただけか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「BYE BYE BLACKBIRD」は、

マイルスの逝去後、2週間という時期に、

キース・ジャレットが自身のピアノトリオ、

スタンダーズのメンバーで録音したアルバムです。

 

(録音は1991年。発売は1993年。)

 

スタンダーズらしい熱気を帯びた演奏というよりは、

静かな時間が流れていく一枚。

トータル、マイルスへの追悼の意が表された作品ということなのでしょう。

選曲も、マイルスの愛聴曲がメインということらしいですし。

タイトル曲もそうですし、モンクの「STRAIGHT NO CHASER」だったり、

「I THOUGHT ABOUT YOU」だったり。

 

(「FOR MILES」なるタイトルのオリジナル曲が収録されていたりも。)

 

一方、そんな録音に対して、

「スタンダーズらしからぬ凡百のピアノトリオ盤」なんていう、

シニカルなアルバム評を目にしたことのある作品だったりもします。

 

・・・で、それは言い過ぎだろうと思う一方で、私にはそんな言葉もまた、

本作がマイルスの追悼盤であることを感じるところになっているかもしれません。

 

神様という絶対的な存在がいることで、

「それ以外」である人間はすべて相対化され、

そこに平等の観念が生まれる。

 

そんな言葉を思い出すっていうのかな。

マイルスさんの前では、誰もが「マイルス以外」の凡百の存在でしかないと。

 

結果、それもまたマイルス・デイヴィスという存在が、

絶対的だったということを表し、

かつ、讃えているように思えるっていうね。


 

 

 

 

「BYE BYE BLACKBIRD」(1993)

 

録音は1991年。

 

KEITH JARRETT(p)

GARY PEACOCK(b)

JACK DEJOHNETTE(ds)

 

 

 

 

これまで世界で一番売れたジャズのアルバムは、

マイルス・デイヴィスの、「KIND OF BLUE」(1959)という話を、

どこかで聞いたことがあります。

 

ただ、だからと言って本作が、

ジャズ・ファンの最大公約数ということなのかというと、

私はずっと違和感を覚えていました。

 

実際、ジャズのアルバムあれこれを聴くに、

むしろ本作は異色の面のほうが際立って感じられるのではないかと。

テンポにしろ質感にしろどこか似た楽曲の並ぶ一枚。

そんな作品ってジャズでは珍しいんですよね。

 

もちろん、だからこそのトータル・アルバムという評価でもあるんでしょうし、

ジャズ表現の一つの到達点として、

エポックメイキングな作品だったというのは理解できるんですけどね。

「モードジャズ」という本作を評する言葉も、

好奇心をそそるところではありますし。

 

だから、そういった付加価値のせいで、

ロック・ポップスファンもジャズのアルバムを聴いてみようと思うに、

最初の一枚になるケースが多いのではないかと。

 

冒頭書いた「一番売れた」というのも、結局はそういうことに思っています。

本作のリスナーがジャズファンに収まらなかったということですね。


 

 

・・・なんて、一般的な傾向のようにあれこれ書いておりますが、

要は私自身の実体験がそうだったってことなんですけど(う)。

 

でも、実際のところ、

ここから他のジャズアルバムに広がることはなかったんですよね。

これがジャズの「入口」にはならなかった。

 

そして、それも、わりと一般的な傾向なんじゃないかと。

もっとも、その後もジャズへの興味が消えず、

他の作品なりが「入口」になって、

ジャズのアルバムあれこれを聴くようになると、

やがて、均質に感じられた本作の楽曲それぞれに、

異なる色柄を感じるようになってくるんですよ。

 

加えて、テンポに波がないがゆえの穏やかさも、

いっそう品格を感じるところになり、

それこそジャズ史に残る名盤として認識するようになると。

 

結果、やっぱりジャズ・ファンの最大公約数というのも、

今では間違いないように思っています。

それなりにあれこれ聴いたであろうファンの方であればあるほど、

その価値をいっそう感じる一枚ということですからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「MOANIN’」といえば、

ファンキー・ジャズを代表する一曲というか、

なんならジャズを代表する一曲といってもいいぐらい、

よく知られた曲でしょうか。

 

ぱっぱぱらりらり~らっ (どぅ~だっ) ・・・ってやつです。※1

アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの代表曲。

作ったのは当時のメンバー、ボビー・ティモンズですね。

 

この点、ファンキー・ジャズというと、覚えやすいリフやテーマのある、

むしろ、ポップ・ジャズなんて言葉で称してもいいんじゃないかと思うぐらいの、

R&B寄りのジャズと私は把握していたりします。

 

悪く言えば、やや水っぽいところがあるというか。

(売れ線狙い?)

 

ただ、そんな中、「MOANIN’」はちょっと一色違うんですよね。

確かに、テーマが印象的なのははそうなんですけど、

重厚感というか、どこか荘厳さもあるように感じられるというか。

 

そこは、やっぱりジャズ・メッセンジャーズの録音というのが、

大きいのでしょう。※2

出来上がっているものが他とは違うというか。


そんなこんなで、私も「MOANIN’」が、

ファンキー・ジャズの枠を超えて、

ジャズを代表する一曲に思っているっていうね。

 

 

 

 

 

 

「MOANIN’」(1958)

 

 

 

※1

 

私はそのフレーズに「ちょっと雑炊ちょうだいっ (ちょ~だいっ)」と、

適当な歌詞を乗せて覚えています。(なんじゃそら)

 

いや、覚えやすい曲なんですけど、

似た曲というのがあれこれあって、

当初、思い出そうとすると混乱したんですよね。

(「ワーク・ソング」とか。)

 

それが、そうやって覚えたら、

他の曲と混乱しなくなったもんで。

 

 

※2

 

ジャズ・メッセンジャーズって、

代々、メンバーを変えて活動していたグループなので、

時期によって、色を変えてきたグループでもあるんですけどね。

 

なので、そこは、アート・ブレイキーの、

変わらぬ存在感ありきという話なのかな。

プレイヤーとしてもそうですし、バンドリーダーとしても、

独特な存在だったりするように思いますし。

 

 

 

アート・ブレイキーと言えばジャズ・メッセンジャーズですが、

個人名義のアルバムというのもあったりします。

たまたま私が聴いた、

「HOLIDAY FOR SKINS Vol.1」というアルバムもそうですね。

 

これが不思議なアルバムなんですけどね。

なんせ、ドラムがアート・ブレイキーのみならず、

フィリ―・ジョー・ジョーンズに、アート・テイラーも参加。

さらにパーカッションが7人も加わって、

アフリカン・リズムを録音していると。


といっても、ペットにドナルド・バード、ピアノがレイ・ブライアント、

ベースはウェンデル・マーシャル(私はよく知らない)と、

ジャズな顔ぶれもいて、

そんなこんなで、アフリカンというか、

むしろ、アフロ・キューバンと言われている作品だったりもするみたい。

 

う~ん、まあそれも確かにそうなんですけど、

でも、聴き心地は、圧倒的にアフリカンです。

そう思って聴く方が間違いないかと。

メロディの抑揚がない歌が入っているのもそうですし、  ※

何より打楽器のアンサンブルがメインの作品ですし。

 

ちなみに、他にもこの手の作品がアート・ブレイキーにはあるんだとか。

(そもそも、VOL.1っていうぐらいだし。)

だから、バンドと別のところでは、こういう「リズムの探求」みたいなことが、

アート・ブレイキーの創作、挑戦の中心だったということなのかもしれません。

 

その点、興味深く感じるところだったりも。

アート・ブレイキーというミュージシャンの幅というかスタンスというか。

 

ただ、だからと言って、その他の諸作はまだ聴いていないんですけどね(う)。

興味が湧く一方で、そういった打楽器アンサンブルって、

なかなか聴くに躊躇するところもあるもんで。

 

(試作という感じ。ここで試されたリズムが他で活用されるみたいな。

今だったら、サンプリングの元みたいな。)

 

 

 

 

 

 

 

「HOLIDAY FOR SKINS Vol.1」(1958)

 

 

 

お経みたいな歌です。歌っているのはフィリ―・ジョー・ジョーンズなんだとか。

でも、そういうプリミティヴというか、エスニックとでもいうべきものは、

実はアフリカも日本も似たところがあるというのが、ちょっと面白く感じられたり。

 

 

 

 

アルバム「A NIGHT IN TUNISIA」(1960)は、

アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの人気盤ってことでいいのかな。

フロントにリー・モーガンとウェイン・ショーターが在籍している頃の一枚。

 

人気の理由は、タイトル曲のアート・ブレイキーのドラムでしょうか。

その豪快さときたら、アフリカン・リズムというかマーチング・バンドというか、

とにかくドカドカぶりが、熱いったらないんですよね。

もはや、ライブを見ているかのような気分になるほどで、

ラストに拍手の音が聞こえないのが、不思議に感じてしまぐらい(笑)。

 

(本作はスタジオ録音盤です。)

 

一方、他の収録曲の雰囲気はというと、熱いばかりでもないかと。

ただ、それもまた、

アート・ブレイキーの達者ぶりを感じるところではあるのかなと。

曲に合わせたドラミングの変化がお見事というか。

 

これが、本当に達者で、

「SO TIRED」という曲の小洒落たソウル・ジャズ(?)な雰囲気だったり、

「YAMA」という曲のダウン・テンポのムーディーな雰囲気も、

きっちり支えているんですよね。

タイトル曲でドカドカ叩いていたのと同じ人というのが、

ちょっと不思議に思えるぐらい。

 

(今回、何かと不思議に感じておりますな(う)。)

 

だから、本作はタイトル曲はもちろんのこと、

トータル、アート・ブレイキーのドラムを知るにいい録音なのではないかと。

そのドラム・プレイの花や実だけでなく、

根も茎も実感できるっていうね。

 

(そして、そんなプレイヤーだからこそ、

長きに渡りジャズ・メッセンジャーズというグループを継続できたのかもなんて、

想像の膨らむところだったりも。)








 

「A NIGHT IN TUNISIA」(1960)

 

ART BLAKEY(dr)

LEE MORGAN(tp)

WAYNE SHORTER(ts)

BOBBY TIMMONS(p)

JYMIE MERRITT(b)









 

「遥かな手紙(ニジェールから)」は、

チャボのアルバム「GREAT SPIRITS」(1997)収録の、

柔らかく、穏やかに流れる曲の上を、

チャボが訥々と歌う(途中「読む」)一曲です。

 

タイトルの通り、

アフリカのニジェールにいる友人からの、

手紙に綴られた言葉に対する思いを描く一曲。

その点、さだまさしの「風に立つライオン」が思い浮かぶところですが、

実際、「日本という国には、ないもの」に思いをはせるという点でいえば、

同じテーマと言えるのかもしれません。

 

ただ、「そもそもないもの」が本作で、

「風に立つライオン」はこの国が「失くしたもの」という違いはあるのかな。

その点、本作のほうが、

アフリカを「理想郷」として描くタッチは強い印象だったりも。

 

まあ、チャボの作品自体、そもそも、

どこか「理想郷」を描いて感じられるものってのは、

それまでにも見受けられたところではあるんですよね。

ただ、これまでは、どこか「異空間」の佇まいだったのに対し、

こちらでは、具体的な「場所」になっていると。※

 

う~ん、この時期、何か心境の変化がチャボにあったってことなのでしょうか。

かなり決定的な変化に感じるところなんですけど。

 

・・・といっても、やっぱり、行ったことのない国ではあるのかなと思うので、

その意味では変わりないと言えたりするのかもしれませんが(ぬ)。

 

(ポエトリーリーディング的なパートを挟むところは、

古井戸の頃から続くところと言えばそうですし。)





 

「遥かな手紙(ニジェールから)」(1997)

 

 

 

 

世界で一番貧乏な国はニジェールだと、

この曲を聴いて頭に残ることに。

 

(今も変わらない?)

 

 

 

私がジャズに興味を持ち出したころから、耳に残っている曲として、

ソニー・ロリンズの「エアジン」があります。

 

そもそもは、マイルスさんのアルバム

「クッキン」(1956)で聴いたのかな。

以前も書いたように、

私がマイルスさんのアルバムあれこれを聴こうと思った、

スタートの一枚。

ということは、つまり、

私がジャズに興味を持ち始めた頃から聴いていたって話になるんですね。

 

その後に聴いた、アルバム「バグズ・グルーヴ」にも、

この曲が収録されていたりしてね。

ちょっと譜割りが違うんですけど、そっちがオリジナルなのかな。

 

(そもそものソニー・ロリンズとの共演バージョンで、

「クッキン」以前にマイルスさんとロリンズで録音して、

10インチLPで出ていたのを、

再度、「バグズ・グルーヴ」に収録したんだとか。)

 

・・・で、さらに、ウェス・モンゴメリーのアルバム

「インクレディブル・ジャズ・ギター」(1960)っていうのもあるんですよね。

そこでも「エアジン」が録音されているっていうね。

 

私の場合、こちらもわりと、

「クッキン」と近い時期に聴いたんだったんだと思います。

それで余計、印象的だったというのもあるでしょうし、

(またこの曲だ、みたいな。)

ウェス・モンゴメリーのギターで奏でられると、

そりゃ、耳に残るって話なんじゃないかな。

「歌もの」っぽく弾いちゃうところがあるわけで。

 

ソニー・ロリンズの作曲者としての才を示す一曲。

それに加えて、そんなこんなの個人的な思い出もありで、

「エアジン」は、いまだに私の頭の中に残る一曲になっています。






 

「AIREGIN」(1954?)


 

ちなみに、タイトルは「ナイジェリア」のスペルを逆にしたんだそうです。

 

どうしてそうしたのかは、よく分からないんですけど(う)。

 

 

「TRAVESSIA」は、ミルトン・ナシメントの曲です。

 

・・・という書き始めで、2年ぐらい前に記事を書いた私ですが、

その時はテーマ「ポケットの中」で書いたところ、

今回は「道端に咲いた花」で。

 

といっても、その時にも触れていた、NOKKOが歌うバージョンが、

今さらながら好きになったって話です。

 

(「のっこ」名義の「ベランダの岸辺」収録。)

 

そもそもが「覚えにくい曲」という内容で記事を書いていたかと。

実際、メロディも、素朴なようで、

コード進行の加減もあってか、(ブラジルっぽい?)

ぼんやり(?)したところがあるんですよね。

 

それが、このところ、またNOKKOの録音に興味が湧いて、

「ベランダの岸辺」も改めて聴いているうちに、

曲の「原型」がつかめるようになってきたというか。※

 

で、いつのまにやらいい曲だなぁとしみじみ思っちゃたり。

船出の歌ということで、

日々の気分に希望の光を指すかのように響いたりもしてね。


 

 

 

 

 

「TRAVESSIA」(1998)

 

 

 

そんな調子で原型がつかめると、

原曲に加え、あれこれ他のカバーバージョンも、

改めて楽しめたりしている今日この頃。