「この人と出逢えて
本当に良かった!」
そんな方とは極力
ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、
美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、
充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。
お付き合いください。
5月4日(月)。
今日の私の『ふたり酒』のお相手は、
プロ野球3球団で、
フロントとして数々の実績を残した
瀬戸山隆三氏
今日の会場は、
「金寿司」
東京都北区滝野川6-45-10
03(3916)0777
都営三田線「西巣鴨駅」徒歩7分
JR「板橋駅」徒歩10分
下町で創業75年の老舗寿司店。
扱う「まぐろ」は特に絶品で
女将が握る都内でも数少ない
江戸前寿司店。
瀬戸山氏と私の『ふたり酒』の
定例会場である。
(刺身の盛合せ)
改めて瀬戸山隆三氏の紹介を
してみたい。
1977年「スーパーダイエー」に入社、
食肉売り場を担当していた。
そのダイエーが1989年プロ野球球団
南海ホークスを買収、
水面下でその買収時の調査や
新球団立ち上げの
準備部門として新設された
神戸本店室課長に
中内功社長の命により
就任した事が、
瀬戸山隆三氏のその後の人生を
大きく変える。
「スーパーに入社した私が
後にプロ野球球団の
経営に携わるとは
思ってもみなかった(笑)」
南海ホークスを買収したダイエーは
それまでの本拠地大阪から
福岡へ球団を移転させた。
「福岡ダイエーホークス」の
誕生である。
当時の福岡は西鉄ライオンズが
球団を売却した後、
いくつかのスポンサーを経て
西武が買収、
西武ライオンズとして
本拠地を埼玉県所沢へ移したものの
それでも西鉄ライオンズ以外は
受け付けない絶対的なファンが
福岡には根強く残っていた。
その福岡の地で瀬戸山氏は
右も左も分からない中で
スポンサーやファン作りに遁走、
しかも観客が足を運ぶ球場は、
(当時:福岡ドーム)
市内とはかけ離れた海岸の埋立地。
しかしその地道な努力は花を咲かせ、
地元福岡でのファンをつかみ
スタジアムの観客は連日満員、
瀬戸山隆三氏のその手腕は
誰もが知る大きな功績として
今も尚、プロ野球界の語り草に
なっている。
その後瀬戸山氏は2004年に移籍した
千葉ロッテマリーンズの本拠地
千葉マリンスタジアムでも
球団代表、球団社長として
同様の功績を残し、
ロッテ球団31年ぶりの日本一にも
貢献している。
その後はオリックスバファローズでも
執行役員球団本部長として
球団運営に当たっている。
福岡ダイエーホークス、
千葉ロッテマリーンズ、
そしてオリックスバファローズと
3球団で球団代表や球団社長として
球団経営に携わってきた瀬戸山氏は、
(実は阪神タイガースからの勧誘も)
プロ野球球団の常道である
親会社から派遣された、
「球団経営の素人」とは異なり
百戦錬磨の球団経営者である。
そして何と言っても1995年、
それまでパ・リーグに
見向きもしなかったあの「世界の王」を
(現福岡ソフトバンクホークス
王貞治会長)
時間をかけ、「お百度参り」の末、
ホークス球団に招聘。
入団にこぎつけた事は
その後のプロ野球の歴史を
大きく変える事になる。
2004年の「プロ野球再編問題」。
当時、経営者側実行委員会の
選手関係委員長をしていた瀬戸山氏が
選手側の代表である
プロ野球選手会古田敦也会長との
(東京ヤクルトスワローズ)
交渉後に求めた握手を拒否された一幕は
当時、小学生に真似されるほど
今も尚、多くの人が目に浮かぶ
光景であろう。
その瀬戸山隆三氏と私の出逢いは、
遡る事24年前、
2002年6月8日。
私が46歳の時に人生初の
仲人を務めた結婚披露宴の席だった。
それは某幕内力士の結婚披露宴で
その力士の師匠は、
七代目高砂浦五郎親方。
(元大関・朝潮)
当時、家族ぐるみの付き合いをしていた
私と同い年の高砂親方は、
私がこの力士の四股名の
名付けでもあった事から
「ハギさん、こいつの仲人を
してもらえませんか?」
と、依頼して来た。
しかしながら天下の幕内力士の仲人が
どれだけ社会的地位のある後援者が
やるべきか、
父の影響で幼少時代より
大相撲の世界と接して来た私には
充分過ぎるほど分かっている。
私では役不足、分不相当だと
最後の最後まで親方にお断りをした。
最後には、
「私なんかが仲人を務めたら
親方が笑われますよ!」
そこまで言うも親方は譲らない。
元来、後援者を持ち上げるような
忖度が大の苦手で
形式などにもこだわらない
失礼ながら何事にも
良し悪しは別にして、
いい加減な親方(笑)
押し問答の繰り返しだった。
そこで私は、
実子のように可愛がっていただいた
今は亡き五代目の高砂浦五郎親方。
(第46代横綱朝潮)
その女将さんに相談をした。
女将さんにはこんにちでも、
相撲界に関する事で困った時には
いつも相談に乗ってもらっている。
「お引き受けになったらいかが?
社長がそんなに心配するなら
当日、仲人としてのご挨拶を
バッチリ決める事よ(笑)」
背中を押された。
46歳という若さで人生初の仲人、
しかも招待客は460名という
それは大規模な結婚披露宴だった。
その中で私がさせていただいた
スピーチの内容は…、
何度も親方にお断りした末、
お引き受けした身分不相当な
大役であるという招待客への
言わば了承をまず冒頭に、
父の影響でこれまで40年近く
接して来た大相撲界と私の歴史、
更に父から学んだ
角界とのお付き合いの仕方、
そして慣例の新郎新婦の
プロフィールと馴れ初め。
約15分間のそのスピーチを
一切原稿など見ることなく話した。
私からすると
招待客になめられたくないという意地と
私に依頼した高砂親方に
恥をかかせたくない
そんな一心からだった。
ご歓談の宴が始まり、
我々が座る高砂の席に
すぐにご挨拶に見えられたのが
「福岡ダイエーホークス
常務取締役球団代表」
その肩書の名刺を出された
瀬戸山隆三氏だった。
「お仲人さん、本日はご苦労様です。
ご挨拶に感動しました!」
瀬戸山氏は面識のない私に
お酌をしながらそう言った。
短い会話ではあったが、
私が千葉ロッテマリーンズと
関りがあると知ると
後日、福岡ドームで開催される
対千葉ロッテマリーンズ戦に
2泊3日で福岡へご招待いただき、
野球観戦はVIPルーム、
試合後は福岡最大の繁華街「中州」へ、
宿泊は球団関連のシーホークホテル、
(現在のホテルジャルシティ福岡)
帰京の際にはお土産に
ホークス球団のスポンサーでもある
丸一食品の「明太子」を
持ちきれないほど持たせてくれた。
それ以来24年間、
良きお付き合いが続いている。
ちょっと余談だが、
「感動した」と言えば…。
披露宴が終わり、
金屏風の前での招待客の送賓時、
憧れの北の富士勝昭さんが
「仲人さん、
ご挨拶に感動しましたよ!」
この日の結婚式までの準備期間中、
親方夫妻と新郎新婦の間に入り
色々大変な思いや
屈辱的嫌な思いもしたが
そのもやもやが
一気に晴れた瞬間だった。
仲人を務めたこの力士とは
残念ながらその後、
「人間関係の卒業」をしたので、
実名は控えさせていただく。
この時がきっかけで
お付き合いが始まった瀬戸山氏だが、
その2年後の2004年、
ホークス球団を退団し、
当時私がどっぷりと浸かっていた
千葉ロッテマリーンズへ球団代表
(その後社長)として
移籍して来られた事は
「青天の霹靂」だった。
更にその在任中の2010年、
私の長年の夢、
悲願の「西村徳文監督」の誕生は
瀬戸山氏なくしてありえなかった。
又、その翌年の2011年には
私の出身大学千葉商科大学の
「スポーツビジネス」科目で
客員教授として教壇に立たれたり
関西出身の瀬戸山氏が
私の生まれ育ちの東京都北区へ
(駅で一つ違い)
引っ越しして来られた数々の出来事は、
それこそ俗にいう
前世からの「赤い糸」で
結ばれていたとしか思えない
実に不思議な縁だと思っている。
現在はプロ野球界を離れ、
いくつかの会社の顧問として
活躍する瀬戸山氏だが、
再びプロ野球界に関わる話も
いただいているという。
こうして定期的に『ふたり酒』をして
互いの人脈に頼った相談を
持ちかけながら
交流を温めている。
既に時効だが、瀬戸山氏には
プロ野球界在籍中に、
私がお付き合いある関係者の
コーチ人事や戦力外選手の
再雇用でもお世話になった。
中でも2010年9月14日。
瀬戸山氏が千葉ロッテマリーンズの
球団社長時代、
千葉マリンスタジアムでの
対福岡ソフトバンクホークス戦で
私が「始球式」を仰せつかった事は
最大の想い出であり、
小学6年生の卒業アルバムに、
「将来はプロ野球選手になりたい」
そんな想いを綴った私からすると
まさかプロ野球公式戦の
マウンドに立つという
そんな信じられない
夢のような出来事も
経験させてもらった。
夢の始球式
写真提供:千葉ロッテマリーンズ球団
今日の『ふたり酒』。
互いの近況報告や思い出話しの中で、
改めて私は聞いてみた。
「30年のプロ野球球団経営者として、
してやったりの出来事は
なんだったでしょう?」
すると瀬戸山氏は、
「そうですね。
時系列で話すと、
まずは南海ホークスの買収時、
何としても自身の出身地『神戸』を
新本拠地にしたい中内功社長を
ビジネス面の事を考えると、
福岡がベストと1年がかりで説得。
それが実現して、
更にそれがその後のプロ野球界の
フランチャイズモデルになった事。
そして世界の王さんを
球団に招聘できた事。
それまでパ・リーグには全く関心を
寄せなかった方ですから、
それは時間がかかりました。
あとは球界再編の時ですかね。
球団を合併させ1リーグにという
オーナー側と、ストライキまでして
それを阻止しようとした選手会。
私が選手関係委員長として間に入り、
2リーグ存続という元のさやへ
納めた時には正直ホッとしました。
千葉ロッテマリーンズ時代は、
球場の土地、球場本体、球団と
それぞれ所有者が異なる
複雑な関係を球場と球団を
一体化させた事は大変でしたが、
それにより球団経営が一気に
上向きましたから。
球場は球団が所有しないと
球団経営は厳しい。
これまでほとんどの球場が
球団の持ち物ではなく、
あのジャイアンツでさえ
東京ドームは自己所有では
ありませんからね。」
我々が時に驚き、
時に何となく見て来た
この数々の出来事は、
瀬戸山隆三がプロ野球界に残した
また球界の歴史そのものを変えた
大きな出来事に他ならない。
「もう1杯吞みましょうか?」
二人にとって、
いつも最後のはずの1杯が
最後でなくなる(笑)
更に私は遊び心で
こんな質問をぶつけてみた。
それは…。
通常の「ベストナイン」という
選手のプレーの技量から選出する
ベストナインではなく
プロ野球3球団で30年間
フロント(球団代表や社長)として、
更にパリーグ理事長や
選手関係委員長なども歴任し、
多くの選手と契約交渉などでも
接して来た瀬戸山氏に
何か特別なエピソードがあった選手や
「人格者」というような角度からの
独断と偏見で選んだベストナインを
選出してもらった。
題して、
「瀬戸山隆三思い出のベストナイン」
(笑)
投 手:渡辺 俊介
(千葉ロッテマリーンズ)
捕 手:的場 直樹
(福岡ダイエー・千葉ロッテ)
一塁手:中島 裕之
(オリックスバファローズ)
二塁手:井口 資仁
(福岡ダイエー・千葉ロッテ)
三塁手:小久保裕紀
(福岡ダイエーホークス)
遊撃手:小坂 誠
(千葉ロッテマリーンズ)
左翼手:村松 有人
(福岡ダイエーホークス)
中堅手:秋山 幸二
(福岡ダイエーホークス)
右翼手:糸井 嘉男
(オリックスバファローズ)
※ ( )内の所属球団は
瀬戸山氏が在籍して
その選手と交流があった球団
実はこのラインナップ、
瀬戸山氏が企てたトレードに
関わった選手がほとんど(笑)
私は後でそれに気付いた。
「更に私の方から付け加えると
コーチでは福岡ダイエー、
千葉ロッテ、 オリックスで
一緒にやった高橋慶彦。
彼は私の方針を忠実に
実行してくれた男で
私としては監督にしたかった男です。
監督は、福岡ダイエーで共に戦った
根本陸夫さんですかね。
私は8人の監督と一緒にしましたが、
私にプロ野球のいろはを教えてくれた
『球界の寝業師』、大恩人です。
(笑)」
話は尽きなかった。
そして今日もまた、
我が家で待つ私の娘にと
お寿司のお土産を持たせてくれた
瀬戸山隆三氏。
24年前、
私が止む無く引き受けた仲人、
仮に引き受けなかったら
瀬戸山氏と知り合う事は
まずなかっただろう…。
当時は色々問題もあったが、
それを考えると
引き受けて本当に良かった。
人と人の出逢いや縁は
実に面白い。
このように考えると
この縁は、今は亡き大ちゃんこと
元大関朝潮・七代目高砂浦五郎親方に
感謝しなくてはいけないのかも
しれない…。
(合掌)
瀬戸山隆三氏の著書
「裏方力」(うらかたりょく)
中々知られていない
プロ野球界の裏事情や
そこでの瀬戸山氏の歩み。
是非、読んでみてください。





























