『ふたり酒』

『ふたり酒』

「この人と出逢えて本当に良かった!」。
そんな方とは、極力ふたりきりでお会いして、
会場にこだわり、美味しい酒肴を共にして、
熱く語り合い、充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

5月4日(月)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球3球団で、

フロントとして数々の実績を残した

瀬戸山隆三氏

 

今日の会場は、

 

「金寿司」

東京都北区滝野川6-45-10

03(3916)0777

都営三田線「西巣鴨駅」徒歩7分

JR「板橋駅」徒歩10分

 

下町で創業75年の老舗寿司店。

扱う「まぐろ」は特に絶品で

女将が握る都内でも数少ない

江戸前寿司店。

瀬戸山氏と私の『ふたり酒』の

定例会場である。

 

   (刺身の盛合せ)

 

改めて瀬戸山隆三氏の紹介を

してみたい。

1977年「スーパーダイエー」に入社、

食肉売り場を担当していた。

そのダイエーが1989年プロ野球球団

南海ホークスを買収、

水面下でその買収時の調査や

新球団立ち上げの

準備部門として新設された

神戸本店室課長に

中内功社長の命により

就任した事が、

瀬戸山隆三氏のその後の人生を

大きく変える。

「スーパーに入社した私が

 後にプロ野球球団の

 経営に携わるとは

 思ってもみなかった(笑)」

南海ホークスを買収したダイエーは

それまでの本拠地大阪から

福岡へ球団を移転させた。

「福岡ダイエーホークス」の

誕生である。

当時の福岡は西鉄ライオンズが

球団を売却した後、

いくつかのスポンサーを経て

西武が買収、

西武ライオンズとして

本拠地を埼玉県所沢へ移したものの

それでも西鉄ライオンズ以外は

受け付けない絶対的なファンが

福岡には根強く残っていた。

その福岡の地で瀬戸山氏は

右も左も分からない中で

スポンサーやファン作りに遁走、

しかも観客が足を運ぶ球場は、

(当時:福岡ドーム)

市内とはかけ離れた海岸の埋立地。

しかしその地道な努力は花を咲かせ、

地元福岡でのファンをつかみ

スタジアムの観客は連日満員、

瀬戸山隆三氏のその手腕は

誰もが知る大きな功績として

今も尚、プロ野球界の語り草に

なっている。

その後瀬戸山氏は2004年に移籍した

 千葉ロッテマリーンズの本拠地

 千葉マリンスタジアムでも

球団代表、球団社長として

同様の功績を残し、

ロッテ球団31年ぶりの日本一にも

貢献している。

その後はオリックスバファローズでも

執行役員球団本部長として

球団運営に当たっている。

福岡ダイエーホークス、

千葉ロッテマリーンズ、

そしてオリックスバファローズと

3球団で球団代表や球団社長として

球団経営に携わってきた瀬戸山氏は、

(実は阪神タイガースからの勧誘も)

プロ野球球団の常道である

親会社から派遣された、

「球団経営の素人」とは異なり

百戦錬磨の球団経営者である。

そして何と言っても1995年、

それまでパ・リーグに

見向きもしなかったあの「世界の王」を

(現福岡ソフトバンクホークス

 王貞治会長)

時間をかけ、「お百度参り」の末、

ホークス球団に招聘。

入団にこぎつけた事は

その後のプロ野球の歴史を

大きく変える事になる。

 

2004年の「プロ野球再編問題」。

当時、経営者側実行委員会の

選手関係委員長をしていた瀬戸山氏が

選手側の代表である

プロ野球選手会古田敦也会長との

(東京ヤクルトスワローズ)

交渉後に求めた握手を拒否された一幕は

当時、小学生に真似されるほど

今も尚、多くの人が目に浮かぶ

光景であろう。

 

その瀬戸山隆三氏と私の出逢いは、

遡る事24年前、

2002年6月8日。

私が46歳の時に人生初の

仲人を務めた結婚披露宴の席だった。

それは某幕内力士の結婚披露宴で

その力士の師匠は、

七代目高砂浦五郎親方。

(元大関・朝潮)

当時、家族ぐるみの付き合いをしていた

私と同い年の高砂親方は、

私がこの力士の四股名の

名付けでもあった事から

「ハギさん、こいつの仲人を

 してもらえませんか?」

と、依頼して来た。

しかしながら天下の幕内力士の仲人が

どれだけ社会的地位のある後援者が

やるべきか、

父の影響で幼少時代より

大相撲の世界と接して来た私には

充分過ぎるほど分かっている。

私では役不足、分不相当だと

最後の最後まで親方にお断りをした。

最後には、

「私なんかが仲人を務めたら

 親方が笑われますよ!」

そこまで言うも親方は譲らない。

元来、後援者を持ち上げるような

忖度が大の苦手で

形式などにもこだわらない

失礼ながら何事にも

良し悪しは別にして、

いい加減な親方(笑)

押し問答の繰り返しだった。

そこで私は、

実子のように可愛がっていただいた

今は亡き五代目の高砂浦五郎親方。

(第46代横綱朝潮)

その女将さんに相談をした。

女将さんにはこんにちでも、

相撲界に関する事で困った時には

いつも相談に乗ってもらっている。

 

「お引き受けになったらいかが?

 社長がそんなに心配するなら

 当日、仲人としてのご挨拶を

 バッチリ決める事よ(笑)」

背中を押された。

 

46歳という若さで人生初の仲人、

しかも招待客は460名という

それは大規模な結婚披露宴だった。

その中で私がさせていただいた

スピーチの内容は…、

何度も親方にお断りした末、

お引き受けした身分不相当な

大役であるという招待客への

言わば了承をまず冒頭に、

父の影響でこれまで40年近く

接して来た大相撲界と私の歴史、

更に父から学んだ

角界とのお付き合いの仕方、

そして慣例の新郎新婦の

プロフィールと馴れ初め。

約15分間のそのスピーチを

一切原稿など見ることなく話した。

私からすると

招待客になめられたくないという意地と

私に依頼した高砂親方に

恥をかかせたくない

そんな一心からだった。

ご歓談の宴が始まり、

我々が座る高砂の席に

すぐにご挨拶に見えられたのが

「福岡ダイエーホークス 

 常務取締役球団代表」

その肩書の名刺を出された

瀬戸山隆三氏だった。

「お仲人さん、本日はご苦労様です。

 ご挨拶に感動しました!」

瀬戸山氏は面識のない私に

お酌をしながらそう言った。

短い会話ではあったが、

私が千葉ロッテマリーンズと

関りがあると知ると

後日、福岡ドームで開催される

対千葉ロッテマリーンズ戦に

2泊3日で福岡へご招待いただき、

野球観戦はVIPルーム、

試合後は福岡最大の繁華街「中州」へ、

宿泊は球団関連のシーホークホテル、

(現在のホテルジャルシティ福岡)

帰京の際にはお土産に

ホークス球団のスポンサーでもある

丸一食品の「明太子」を

持ちきれないほど持たせてくれた。

それ以来24年間、

良きお付き合いが続いている。

ちょっと余談だが、

「感動した」と言えば…。

披露宴が終わり、

金屏風の前での招待客の送賓時、

憧れの北の富士勝昭さんが

「仲人さん、

 ご挨拶に感動しましたよ!」

この日の結婚式までの準備期間中、

親方夫妻と新郎新婦の間に入り

色々大変な思いや

屈辱的嫌な思いもしたが

そのもやもやが

一気に晴れた瞬間だった。

仲人を務めたこの力士とは

残念ながらその後、

「人間関係の卒業」をしたので、

実名は控えさせていただく。

 

この時がきっかけで

お付き合いが始まった瀬戸山氏だが、

その2年後の2004年、

ホークス球団を退団し、

当時私がどっぷりと浸かっていた

千葉ロッテマリーンズへ球団代表

(その後社長)として

移籍して来られた事は

「青天の霹靂」だった。

更にその在任中の2010年、

私の長年の夢、

悲願の「西村徳文監督」の誕生は

瀬戸山氏なくしてありえなかった。

又、その翌年の2011年には

私の出身大学千葉商科大学の

「スポーツビジネス」科目で

客員教授として教壇に立たれたり

関西出身の瀬戸山氏が

私の生まれ育ちの東京都北区へ

(駅で一つ違い)

引っ越しして来られた数々の出来事は、

それこそ俗にいう

前世からの「赤い糸」

結ばれていたとしか思えない

実に不思議な縁だと思っている。

現在はプロ野球界を離れ、

いくつかの会社の顧問として

活躍する瀬戸山氏だが、

再びプロ野球界に関わる話も

いただいているという。

こうして定期的に『ふたり酒』をして

互いの人脈に頼った相談を

持ちかけながら

交流を温めている。

 

既に時効だが、瀬戸山氏には

プロ野球界在籍中に、

私がお付き合いある関係者の

コーチ人事や戦力外選手の

再雇用でもお世話になった。

中でも2010年9月14日。

瀬戸山氏が千葉ロッテマリーンズの

球団社長時代、

千葉マリンスタジアムでの

対福岡ソフトバンクホークス戦で

私が「始球式」を仰せつかった事は

最大の想い出であり、

小学6年生の卒業アルバムに、

「将来はプロ野球選手になりたい」

そんな想いを綴った私からすると

まさかプロ野球公式戦の

マウンドに立つという

そんな信じられない

夢のような出来事も

経験させてもらった。

 

              夢の始球式

写真提供:千葉ロッテマリーンズ球団

 

今日の『ふたり酒』。

互いの近況報告や思い出話しの中で、

改めて私は聞いてみた。

「30年のプロ野球球団経営者として、

 してやったりの出来事は

 なんだったでしょう?」

すると瀬戸山氏は、

「そうですね。

 時系列で話すと、

 まずは南海ホークスの買収時、

 何としても自身の出身地『神戸』を

 新本拠地にしたい中内功社長を

 ビジネス面の事を考えると、

 福岡がベストと1年がかりで説得。

 それが実現して、

 更にそれがその後のプロ野球界の

 フランチャイズモデルになった事。

 そして世界の王さんを

 球団に招聘できた事。

 それまでパ・リーグには全く関心を

 寄せなかった方ですから、

 それは時間がかかりました。

 あとは球界再編の時ですかね。

 球団を合併させ1リーグにという

 オーナー側と、ストライキまでして

 それを阻止しようとした選手会。

 私が選手関係委員長として間に入り、

 2リーグ存続という元のさやへ

 納めた時には正直ホッとしました。

 千葉ロッテマリーンズ時代は、

 球場の土地、球場本体、球団と

 それぞれ所有者が異なる

 複雑な関係を球場と球団を

 一体化させた事は大変でしたが、

 それにより球団経営が一気に

 上向きましたから。

 球場は球団が所有しないと

 球団経営は厳しい。

 これまでほとんどの球場が

 球団の持ち物ではなく、

 あのジャイアンツでさえ

 東京ドームは自己所有では

 ありませんからね。」

 

我々が時に驚き、

時に何となく見て来た

この数々の出来事は、

瀬戸山隆三がプロ野球界に残した

また球界の歴史そのものを変えた

大きな出来事に他ならない。

 

「もう1杯吞みましょうか?」

二人にとって、

いつも最後のはずの1杯が

最後でなくなる(笑)

 

更に私は遊び心で

こんな質問をぶつけてみた。

それは…。

通常の「ベストナイン」という

選手のプレーの技量から選出する

ベストナインではなく

プロ野球3球団で30年間

フロント(球団代表や社長)として、

更にパリーグ理事長や

選手関係委員長なども歴任し、

多くの選手と契約交渉などでも

接して来た瀬戸山氏に

何か特別なエピソードがあった選手や

「人格者」というような角度からの

独断と偏見で選んだベストナインを

選出してもらった。

題して、

「瀬戸山隆三思い出のベストナイン」

(笑)

 

投 手:渡辺 俊介

       (千葉ロッテマリーンズ)

捕 手:的場 直樹

       (福岡ダイエー・千葉ロッテ)

一塁手:中島 裕之

       (オリックスバファローズ)

二塁手:井口 資仁

       (福岡ダイエー・千葉ロッテ)

三塁手:小久保裕紀

       (福岡ダイエーホークス)

遊撃手:小坂 誠

       (千葉ロッテマリーンズ)

左翼手:村松 有人

       (福岡ダイエーホークス)

中堅手:秋山 幸二

       (福岡ダイエーホークス)

右翼手:糸井 嘉男

       (オリックスバファローズ)

 

※ ( )内の所属球団は

   瀬戸山氏が在籍して

  その選手と交流があった球団

 

実はこのラインナップ、

瀬戸山氏が企てたトレードに

関わった選手がほとんど(笑)

私は後でそれに気付いた。

 

「更に私の方から付け加えると

 コーチでは福岡ダイエー、

    千葉ロッテ、 オリックスで

 一緒にやった高橋慶彦。

 彼は私の方針を忠実に

 実行してくれた男で

 私としては監督にしたかった男です。

 監督は、福岡ダイエーで共に戦った

 根本陸夫さんですかね。

 私は8人の監督と一緒にしましたが、

 私にプロ野球のいろはを教えてくれた

 『球界の寝業師』、大恩人です。

 (笑)」

 

話は尽きなかった。

そして今日もまた、

我が家で待つ私の娘にと

お寿司のお土産を持たせてくれた

瀬戸山隆三氏。

24年前、

私が止む無く引き受けた仲人、

仮に引き受けなかったら

瀬戸山氏と知り合う事は

まずなかっただろう…。

当時は色々問題もあったが、

それを考えると

引き受けて本当に良かった。

人と人の出逢いや縁は

実に面白い。

 

このように考えると

この縁は、今は亡き大ちゃんこと

元大関朝潮・七代目高砂浦五郎親方に

感謝しなくてはいけないのかも

しれない…。

(合掌)

 

瀬戸山隆三氏の著書

「裏方力」(うらかたりょく)

 

 

中々知られていない

プロ野球界の裏事情や

そこでの瀬戸山氏の歩み。

是非、読んでみてください。

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり、

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い、

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

4月24日(金)。

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

大相撲・元小結 豊真将の

錣山(しころやま)親方。

このブログ2回目のゲスト。

 

         

今日の『ふたり酒』の会場は、

 

 浅草ビューホテル

東京都台東区西浅草3-17-1

TEL: 03(3847)1111

つくばエクスプレス「浅草駅」直結

 東京メトロ銀座線「田原町駅」

 徒歩7分

 

その27階にある「華‐KAORI‐」

 

  東京スカイツリーが一望できる貴賓室

 

当ホテルで最も格式のある個室で

中々予約が入らない。

しかも6人収容の貴賓室に

『ふたり酒』のお願いをする(笑)

 

 

本日の料理は中華菜譜。

メインディッシュは、

「霜降り和牛肩ロースの柔らか煮込み

 彩り野菜添え」

 

 

錣山親方との稀有な出逢いや

親方のプロフィールは

前回のブログでたっぷりと

綴らせていただいたので

割愛さえていただくが、

その時の初めての『ふたり酒』は、

「相撲談義」づくしだった。

親方は2年前、

急逝した先代(元関脇 寺尾)から

部屋を急遽引き継ぎ

運営してはいるものの

継承後の弟子の指導や

後援者とのお付き合い、

部屋の行事開催など

これまでとは全く異なる

未知の仕事ばかり。

戸惑いを感じている様子だった。

こんにちまで60数年、

大相撲の世界、関係者と接してきて

私が相撲部屋や師匠に感じて来た事を

率直に話したところ

もう一度ゆっくり話が聞きたいと

連絡をいただき

今日の『ふたり酒』に至った。

 

現在、大相撲の人気は大盛況。

平成の幕開けと同時に起こった

あの「若貴時代」以来であろう。

しかし閑古鳥が鳴いていた時代も多い。

私の知るこれまでの60数年、

むしろそんな時代の方が多かった。

父の影響で子供のころから

大相撲ファンだった私。

我が家に力士や角界関係者が

出入する環境に育った事が

そうさせたと思う。

当時は「大鵬全盛時代」。

(世間では「柏鵬時代」というが。

 因みに当時の私は朝潮ファン)

大鵬があまりに強すぎて

大相撲人気はどん底。

「相撲なんて年寄りが見るもの」

世の中はそんな風潮だった。

小学生の私の友達に

相撲ファンなど誰一人いない。

人に「相撲が好き」とは

恥ずかしくて言えなかったほど。

いわば「隠れ相撲ファン」。

今では信じられないが、

土曜日、日曜日でさえ

当時の蔵前国技館へ行くと、

当日券は余るだけ余り、

本来2階のイス席を求める私に

お茶屋さんから

(現在の相撲サービス会社)

「升席空いているから座らない?」

そんなありさま。

後の「若貴時代」そして現在の

この人気は大変結構な事ではあるが

この人気もいつまで続くか?

そんな余計な心配をしてしまう。

その最大の理由は

「チケットの入手が困難」。

これほどチケットの入手が困難な興行も

そうはない。

本場所の大相撲を観戦しているのは

必ずしも相撲ファンばかりでなく

接待を受け、

相撲そのものをよく理解せずに

観戦している人も多いと聞く。

本来の相撲ファンが生で見たくても

チケットが手に入らないのが現実。

現在どんな世界でも

将来的な存亡や発展を見据え

裾野を広げようと

必死になって集めるのが

若年層のファン。

特に子供たちに対するサービスには

各界とも様々な知恵を練っている。

その一方で、大相撲を子供たちが

生で見ている光景を

目にするだろうか?

「子供の頃から相撲ファン」

私の時代のような

そんなファンが育つ

環境にないのが今の相撲界。

このような入手困難な

チケットの仕組みと流通の事を綴ると

差し障りがあるので控えるが、

これがいつの時代も

大相撲が安定した人気に繋がらない

最大の理由だと私は考えている。

 

そんな独特の世界?で

一生懸命生きる錣山親方と

60数年の好角家で

こんにちまで多くの大相撲関係者と

お付き合いをして来た私の

今日の『ふたり酒』。

 

錣山親方は、

前述の私へのリクエストから

部屋の現状をつぶさに説明しつつ

色々と私に質問を投げかけてくる。

人間、どんな業界に生きようとも

幾つになっても

聞く耳を持った「素直さ」が大切。

「キャリアに勝るものなし」

諸先輩の経験をいち早く

自分のものにする方が

間違いなく有利に生きられる。

私もこの年になると、

これまでの「山あり谷あり」、

「艱難辛苦」の人生の中で

経験した事やそこで得た術を

これからの時代に生きる人たちに

引き継いで残したい

そんな想いが強い。

但しそれは、「相手が望むならば」。

そんな相手には惜しみなく

伝授したいと思っている。

望む相手に「お役に立ちたい」

それが私の生き方。

ましてやこの親方のように

素直で真面目な人間性なら尚更。

豊真将の現役時代の

あの土俵上の所作が

全てを物語っている。

 

今日も会話を進めるうちに、

親方の現役時代の四股名

「豊真将」の名付け親が

私と面識がある人だったり、

錣山部屋将来の構想の地が

私と深く繋がりのある土地だったり、

今回も又、「不思議な縁」を

感じた。

 

そんな親方に遊び心で質問。

「親方、豊真将の時代に

 今の現役力士で是非、

 対戦してみたい力士は?」

すると親方は間髪入れず、

「安青錦ですね。

 自分も前傾の相撲を

 取っていたので、

 彼の前傾と自分の前傾、

 どちらが強いのか?

 単純に興味がありますね。」

「なるほど、もぐり合いだね(笑)」

 

そして私もまた、

自分の人生観について語る。

毎年年末、

日赤へのチャリティイベントを

開催しているライフワークに

「今年は是非自分も

 協力させてください。」

そんな約束をしながら

今日の『ふたり酒』を

締めくくった。

 

(32)錣山親方(元豊真将) | 『ふたり酒』

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

3月20日(金)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

私が「姉さん」と慕う S さん。

残念ながら実名・顔写真は

ご本人の希望でNG。

 

姉さんは今は亡き

私どものお仲人さんのお嬢様で、

私より4歳年上。

長年1年を通じてコンスタントに

『ふたり酒』をするお付き合い。

近況報告や相談事、

あるいは亡きご両親の

想い出話に花を咲かせる。

又、平素は私のチャリティ活動にも

協力いただき、

私が何事も包み隠さず

話のできる数少ない1人である。

 

毎年、私の誕生日には

「胡蝶蘭」を届けてくださるが、

今年は私が『古希』を迎えた事から

更に食事のご招待を受けた。

 

  今年の「胡蝶蘭」

 

以前にも触れたが

両親共に亡くなった66歳を過ぎ、

無事67歳になった年に私は、

古希70歳を迎えたあかつきには

「こうありたい」

という3年後の目標を定めていた。

それは容姿体形、気力体力充実など

誰から見ても

「信じられない70歳」

を目指して(笑)

周囲の声からすると…、

自分で言うのもなんであるが、

それらをクリアしたのではないかと

勝手に思っている(笑)

 

10年前の還暦の直前、

家内を亡くした私は、

当時、子供たちや友人が

「還暦お祝い」

と言っていただいたが、

とてもその気にはなれず

全て丁重にお断りしていた。

そのような諸事情から迎えた

今年の「古希」。

子供たちが食事会を開催、

しかも10年前、

余命宣告を受けていた家内の

還暦祝いをした会場という

それは感慨深いサプライズだった。

又、このブログにも綴ったように

多方面にわたる友人知人が

お祝いをしてくれて、

おかげさまで、

本当に素晴らしい古希を

無事迎えることができた。

 

今日のお祝いで

姉さんが設営してくれた会場、

と言うよりも

姉さんと私の『ふたり酒』は、

必ずここ。

 

「ザ・キャピトルホテル東急」

東京都千代田区永田町2-10-3

地下鉄千代田線・丸ノ内線

「国会議事堂前」駅直結

地下鉄銀座線・南北線

「溜池山王」駅直結

 

このホテル内にいくつかある

レストランの中でも

私たちが特にこよなく愛する

「水簾(すいれん)」鉄板焼

 

 

ロビーから水上の通路「渡殿」を抜けて

「水簾」のエントランスへ。

非日常へと誘うアプローチの演出に、

期待が高まっていく。

扉を開けると、

そこには6席と8席の個室が2部屋、

それぞれ L 字型カウンターを配した

特別な空間。

限られた人数のためだけの場、

磨き上げられた鉄板の輝き、

そこで出迎えてくれるのは

庄子俊也シェフ

鉄板焼ひと筋30年。

私たちが全幅の信頼をよせる

シェフである。

 

46年前、

このホテルの前身

「東京ヒルトンホテル」で

姉さんのご両親のお仲人で

挙式を挙げた私たち夫婦。

それがきっかけで、

このホテルに相当顔の利いた

姉さんのご両親からの紹介で

私はメンバーに。

(当時の私の年齢や収入では

 本来はあり得なかった)

「東京ヒルトンホテル」、

「キャピトル東急ホテル」、

「ザ・キャピトルホテル東急」と

ホテルの名称が移り変わっても、

これまで結婚記念日はもちろん

家族の誕生日や節目のお祝い事は

全てこのホテル内にある

いづれかのレストランを

使用して来た。

私にとって、

最も「至福のひととき」を

味わえる場所。

姉さんのご両親がルーツで

今がある。

だから姉さんとの『ふたり酒』は

ここをさておき、あり得ない。

もちろん今日も。

 

かつて私は姉さんのご両親に連れられ

若い時から超一流を経験でき、

それが自信を作り上げてきた。

このホテルは私を育ててくれた。

いわば私の恩師。

今でもこのホテルの

エントランスに差し掛かると

身を正し緊張感が。

このように年長者が若い人へ、

文化や作法を教えていく伝統。

私もこれからの人生、

自分が目にかけた若い人たちに

繋いでいこうと思っている。

若い人が自分たちのお金では

入れない超一流の場所に…。

 

今日の会場「水簾・鉄板焼」。

前出の庄子シェフの出勤日を

確認してから予約を入れる。

姉さんと私、ふたりの好みを知る

庄子シェフにお料理は全てお任せ、

会話を楽しむ。

ただ「見せる」ことも重視する

庄子シェフの手さばきをリスペクト。

時に会話を中断させて視線を送る。

 

その手さばきとは…。

 

本日のお肉「但馬牛」

部位は「サーロイン」、

「下駄」、「かぶり」

 焼き加減はミディアムレアー

     フランベ

   部位ごとに順次

 

仕事柄多忙な年度末を送る

姉さんとの『ふたり酒』。

今日もまた楽しく充実した

ひとときだった。

最高の「古希祝い」を

していただいた。

 

姉さんとのこの出逢いに

導いてくださった

今は亡きお仲人ご夫妻に

心より感謝を申し上げたい。

そしてこれまで頂戴した

有形無形のご恩を

私は少しでも

姉さんにお返しできればと

心している。

 

そしていつも気を利かせて

帰り際にお土産を持たせてくれる

庄子俊也シェフ。

それは家で待つ私の娘用に

私が食べきれなかった?

「ステーキ」と

「ガーリックライス」。

 

ホテルからもケーキ、花束を

いただいた。

 

同い年の家内も

一緒に迎えたかった

この古希。

 

さぁ!

次なる目標は4年後の74歳。

それは会社創業100周年の年。

自分自身は、

「容姿体形維持」、「気力体力充実」。

そして行動指針は、

「世のため人のため」。

 

短命の萩原家。

創業者よりも(67歳没)

二代目の父や母よりも(66歳没)

そして家内よりも(60歳没)

長生きしてしまった…。

 

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

 

3月12日(木)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

プロ野球・横浜DeNAベイスターズ 

相川亮二監督。

昨年8月6日、

このブログの第(16)章で

「相川亮二コーチ」として綴り

今回、2回目のゲスト。

 

その前回のブログの文末で私は、

「横浜、ヤクルト、ジャイアンツと

 セ・リーグの在京3チームでプレー、

 五輪、WBCと国際試合も経験、

 指導者としてもジャイアンツ、

 そして横浜。

 現在の横浜DeNAベイスターズでは、

 三浦大輔監督の片腕として、

 ヘッド格のコーチ。

 そんな豊富な経験を持ち

 上からはかわいがられ、

 下からは慕われる

 そんな相川亮二の監督就任を

 私は強く願っている。」

と結んでいる。

そしてこの2ケ月後、

私の悲願である

「相川亮二監督」が

誕生した。

 

相川亮二氏(以下亮二)との出逢いは

今から17年前、

2009年5月16日(下記写真)。

神宮球場での阪神タイガース対

東京ヤクルトスワローズの試合後、

スワローズの宮本慎也選手と亮二、

そして当時は、

阪神タイガースに在籍していた

新井貴浩選手と私の4人で、

赤坂の焼き肉店で食事をした時が

最初だった。

 

      【 17年前  】

写真左より相川亮二、新井貴浩、

宮本慎也、私

(以下、全て敬称略)

 

私も若いが、みんな実に若い(笑)

この中から監督が2人誕生、

宮本慎也監督が実現したあかつきには

パーフェクト。

この写真は更に価値あるものになる。

 

前述のように

アテネ五輪でチームメイトだった

和田一浩(当時西武ライオンズ)は

「亮二は熱くていい奴です!

 萩原さんが絶対に気に入る奴です。

 是非、紹介させてください!」

その後、スワローズで

チームメイトになった

宮本慎也は、

「今度、亮二も食事に誘いますよ。」

阪神タイガースの新井貴浩からも

(現広島東洋カープ監督)

「亮二とは同い年なんですよ。

 一度、3人で食事でも

 したいですね。」

まるで「三処攻め」のように

(笑)

そんな相川亮二と私は、

赤い糸で結ばれていたのかも

しれない。

 

その亮二と

この赤坂での初対面の後、

当時のブログに私は

次のように綴っている。

「相川亮二選手は、

 評判通りの男であった。
 目の前にいる初対面の私の

 アルコールが入ったグラスや

 食べ物のお皿の空き加減を

 常に気遣いながら食事や

 会話をする。
 謙虚な『ナイスガイ』で、

 野球を熱く語る男だった。」
 

その出逢いをきっかけに、

亮二は一人でも我が家へ

来るようになった。

これまで数多くのプロ野球選手が

我が家に出入りして来たが、

亮二の人柄に

「 相川さん、うちの娘を

     もらってくれないかなぁ。」

家内に唯一、

そんなセリフを言わした男である。

 

当時、毎年12月に私が開催していた

「萩原杯チャリティゴルフ」にも

出逢った年から欠かさず

参加してくれた。

またその間、

ジャイアンツにFA移籍した時も

引退を決めた時も

ジャイアンツやベイスターズに

コーチで呼ばれた時も

必ず報道で公開される前に

連絡をくれる義理堅い男で

それはもちろん

今回の監督就任の際も

同様だった。

 

亮二と『ふたり酒』をすると

野球談議よりも

むしろ一般的な話題の方が多い。

それは彼が一般的感覚を

身につけているからだと思う。

数年前、

今の奥さんと

お付き合いが始まった当初、

「 萩原さん、一度会って

     もらえますか?」

「 おい亮二、もし俺が会って

     付き合い止めた方がいいよ、

 と言ったら、

    別れるのか(笑)」

そんな軽口を聞いた後、

2度ほど3人で食事をしたが

とても感性豊かな女性だった。

 前言撤回!

そしてそれから約2年後、

ほろ酔い加減の私のもとに

「今日、入籍をしました。」

元旦早々、

めでたい報告があった。

 

前置きが大変長くなったが、

昨年10月、

横浜DeNAベイスターズの

新監督に就任以来、

「お祝いさせてもらわないとね。」

ところが新監督、

多忙に多忙を極め、

5ケ月遅れの今日やっと

お祝いの『ふたり酒』。

話はそれるが昨年12月20日、

私が開催したチャリティパーティでは、

急遽球団のスタッフミーテイングが

入ったにもかかわらず

ミーテイング会場の横浜とは

反対方向のパーティ会場に

貴重なチャリテイグッズを持参して

30分だけ顔を出してくれた。

私の顔が立った事は言うまでもない。

 

さて、今日の『ふたり酒』の会場は

このブログで既に何度も登場している

私の推し

鮨割烹「ひら川」。

 

 

以前、このブログを見た亮二から

「僕も行ってみたいです。」

そんな経緯もあったので、

その時から私の中で

お祝いは「ここ」と決めていた。

この日は横浜スタジアムで

オープン戦のデーゲーム。

試合後、横浜から遠路

都内の湯島まで足を運んで

『ふたり酒』。

明日も予定が入っている中、

しっかり4時間、

大いに飲み、かつ語った。

監督業のやりがいや

シンドイ部分等の野球談議。

彼の話は昔から

泣き言や愚痴、言い訳が

一切ないので

快く受け止める事ができる。

(個室から漏れた会話に

 店主曰く「相川さんの声

 の方が多く聞こえました」

(笑) 

そんな亮二が突然、

何を言うかと思いしや…、

「 しかし萩原さん、

  どんなに疲れていても

  どんなに嫌な事があっても

  家に帰り、

  娘の顔を見れば

  全て吹っ飛びますよ(笑)」

 

昨年6月に生まれたばかりの

「 陽和(ようわ) 」ちゃん。

可愛くて可愛くて

しょうがないようだ(笑)

そこで私から大きなお世話の一言、

「 一人っ子はかわいそうだから

 最低もう一人頑張れ!(笑)」

「 ハイ!」

この返事が今日の会話の中で

一番大きな声だった(笑)

 

来る3月27日〈金)。

監督初出陣の開幕ゲーム、

残念ながら所用と重なり

私は行くことが出来ないが、

「 今シーズンは是非、

 横浜スタジアムに

 来てください!」

「 監督ストレスがたまったら

  また『ふたり酒』をしょう!」

そんな約束をして別れた。

 

新監督としてこれから始まる

長いレギュラーシーズン、

これまでとは立場も環境も変わり、

様々な想定外の出来事が

次から次へと起こることとは思うが

「 総理大臣とプロ野球の監督、

  3日やったら辞められない 」

互いに新任同期生、

高市早苗総理と共に(笑)

やりがいを感じて

ファンや国民のために

是非、頑張ってほしい!

そして亮二においては、

ポストシーズンも

是非、私を楽しませてもらいたい。

 

この出逢いに導いてくれた

宮本慎也氏と和田一浩氏には

心より感謝を申し上げたい。

 

【 追 伸 】

昨今私が、

プロ野球関係者と

食事をした時に、

遊び心で必ず聞く

「あなたが選ぶベストナイン」。

その条件は、

自分が現役時代の

チームメイトを含めた

当時現役で活躍していた選手。

 

今日も亮二に聞いてみた。

「  外国人も入れて良いですか?」

そのように付け加えた

『 相川亮二監督が選ぶ

  ベストナイン 』

 

投 手:上原 浩治

捕 手:城島 健司

一塁手:タイロン  ウッズ

二塁手:井口 資仁

三塁手:村田 修一

遊撃手:宮本 慎也

左翼手:ウラディミール   

                     バレンティン

中堅手:多村 仁志

右翼手:福留 孝介

 

べんちゃん(和田一浩氏)と

ほぼ同時代にプレーしている亮二、

にもかかわらず同じ選手の選出は

上原浩治と井口資仁の二人だけ。

見る角度が異なると

このように違いも…。

面白いものである。

 

 

 

2013年。

第3回WBC出場の時に使用した

「侍JAPANのジャンパー」

「侍JAPANのキャップ」

「キャッチャーミット」

そして記念に公式ボールを

大会直後、

我が家に届けてくれた。

 

「この人と出逢えて

   本当に良かった!」
そんな方とは極力

ふたりきりでお会いして
会場にもこだわり

美味しいお酒と肴を共にして
熱く語り合い

充実した時間を楽しんでいます。
そんな方とのエピソードを
『ふたり酒』と題して綴っています。

お付き合いください。

 

       WBC日韓戦を観戦

 

3月7日(土)。

 

今日の私の『ふたり酒』のお相手は、

澤ちゃんこと 

恵比寿化成(株)澤村 太郎社長。

このブログ、(11)章に続き

2回目のゲスト。

 

 澤ちゃんとは、

私の出身大学の先輩が

かつて主宰していた

異業種交流会で出逢い、

以来25年を超えるお付き合い。

 

この間、

「月例会」と称して月に一度、

互いの行きつけの店を

交互に設営する『ふたり酒』や

かつて弊社が

「イベント企画制作部」を

営んでいた時代、

私どもの主催イベントへ

参加者動員や協賛をしてくれた。

また澤ちゃんの会社の

忘年会の設営や

社内旅行における余興手配などの

お手伝いもさせてもらった。

中でも最大の出来事は15年前、

澤ちゃんのお父様である

先代社長の「お別れの会」

東京と大阪で、

弊社がプロデュースさせて

いただいた事である。

 

今日の『ふたり酒』の会場は、

「東京ドーム」。

 

東京都文京区後楽にある

1988年に開場した

日本初のドーム球場。

ご存じ読売ジャイアンツが

専用球場にしている。

 

このブログ『ふたり酒』

始まって以来初の店外(笑)

 

実は来週「古希」を迎える

私のお祝いに、

本日のWBC 韓 国 V S 日 本 戦の

内野 指定席 S に

ご招待いただいた。

 

WBCのチケットといえば、

私は3年前の前回大会の時、

大谷翔平ファンの娘にせがまれ、

私が持つプロ野球界の

ありとあらゆる人脈を頼っても

手にすることはできなかった。

最後は強力な某関係者から

コミッショナーにまで

連絡を取っていただいたにも

関わらず…。

その私の中で出した結論は

全ては抽選という「フェアな形」、

それがWBCのチケットだと

解釈していた。

 

澤ちゃんは、

両面粘着テープの加工販売をする

恵比寿化成(株)の二代目社長。

その恵比寿化成さんは

これまで継続して

東京ドームに広告を出している。

 

レフトスタンドの最もポール寄り

 

そんな関係から

プロ野球関係者でも入手できない

このプラチナチケットを

手にする事ができるようだ。

そうか…、そういう事か…。

 

それにしても

そのゲームの同伴者に

私を選んでいただいた事が

とてもうれしかった。

実はこの日、

既に15時から別の場所で

お祝いの『ふたり酒』の

ご招待を受け、

二次会の会場が、

この東京ドーム(笑)

しかもプールCの

1次ラウンドで最も人気の高い

韓国戦。

 

試合は期待に背くことなく

接戦の好ゲーム。

3点先制された日本は、

鈴木誠也の2ランで

追い上げののろし、

3回には大谷翔平の同点ソロ、

鈴木誠也の一時勝ち越しソロ、

さらに吉田正尚にも

ソロが飛び出し、

メジャーリーガーパワーを

見せつけた。

「天下無双打線」が爆発。

8対6で勝利を収めた

素晴らしいゲームだった。

前述のように

ただでさえ貴重な

WBCの戦いを

観戦できるだけでも。

しかも韓国戦。

更にこれだけ中身の濃い

「ナイスゲーム」。

プロ野球観戦歴60数年、

忘れる事の出来ない

「野球観戦」になった。

 

この恵比寿化成さんの

東京ドームの宣伝看板と言えば、

面白い話しがある。

 

   2020年の第1号 看板

 

この看板が最初に設置されたシーズン、

現在の横浜DeNAベイスターズの

相川亮二監督は(以下亮二)

当時ジャイアンツに在籍、

バッテリーコーチを務めていた。

私は亮二に、

「レフトスタンドの

 一番左にある柱に

 広告を出している会社、

 私の友人の会社なんだよ。

 その社長が、

 『ホームランボールを

 あの柱に当てた選手に

 ポケットマネーで

 賞金を出す』

 それを相川さんに

 伝えてほしいと

 言ってたよ(笑)」

 

亮二がそれをジャイアンツの

選手たちに言ったかどうかは

定かではないが、

そんなやりとりがあった。

 

今回も「美酒美肴」

すっかり酔いしれ

充実した『ふたり酒』だった。

 

15年前のお父様の

「お別れの会」において、

ご自分の想いを

具現化できた事を

いつまでもいつまでも

私に感謝して、

事あるごとに

それを話題にする澤ちゃん。

この事に限らず、

彼の話題には、

「以前、お世話になった」

という昔の出来事を

しっかりと自分の中に残し、

その人に対する「感謝」を

けして忘れず恩返しをする。

世の中、

言葉で「感謝」「感謝」と

言う人多かれど、

これほど「重みのある感謝」

実行に移せる人もそうはいない。

そんな彼を

見習わなくてはいけないと

私は常々思っている。

 

古希を迎えても

亡き父が私に残してくれた

「まだ足りぬ学べ学べとあの世まで」

生涯「学び」を忘れてはならないと

心している。

 

【 追 伸:1 】

翌日8日の対オーストラリア戦の

「天覧試合」、

この日の澤ちゃんは

「エキサイトシート」で

(グラウンドの最前列に位置する特別席)

連日の観戦と聞き、

「グッドショットの写メを是非!」

 

頼んで送られてきたその写メは…。

 

選手目線のエキサイトシートから

2塁ランナーに出た大谷翔平選手と

その後ろには「恵比寿化成」の

広告!

会社の社員たちも誇れる

「グッドショット」に違いない。

 

【 追 伸:2 】

そして日を改め、

澤ちゃんからの紹介で知り合い

20年を超えるお付き合いの

木山徹志社長と林雅俊社長、

その3人がサプライズで

ゴルフ帰りに

私の「古希祝い」の食事会を

開催してくれた。

 

 

そこでサプライズが!

 

 

私の写真入り「掛け時計」を

記念に頂戴した。

このパネルに書かれた文字「感謝」は、

むしろ私からお三方へ

「重みのある感謝」

しなければいけないと

思っている。