第七章 2020年~ 

       ( 新 時 代 )

 

 (95)後継者として  ①

 

会社を継ぐという事は、

並大抵な事ではなく、

相当な覚悟がいる。

そしてその思いは、

むしろ月日の経過とともに

実感としてくる。

会社に関する出来事の最終責任は、

全て社長が取らなくてはならない。

対処しなくてはならない諸問題が

次から次へと、

日々身に降りかかってくる。

 

社長は誰にも辞表を出せない。

進み続けることで

責任をとるしかない。

「一難去らずにまた一難」

経営は、常に、様々な問題が

起きる。

朝起きたときには

想像もしていなかったことが、

その日に起きることもある。

なぜこんな突然に!

と思うのだが、

そこで嘆いてもしょうがない。

もっとやっかいなことは、

問題が起きて

それが解決しないうちに、

また新しい問題が起きること。

「一つずつにしてくれ!」

と心の中で叫ぶが、

起こってしまったものは

しょうがない。

なんとか対処するしかない。

「一難去ってまた一難」

ではなく、

「一難去らずにまた一難」

である。

 

思えば社長になる前、

営業マンとして実績を残し、

対外的な評価も受けて、

社内的には発言力が増し、

任せてもらえる範囲も広がった。

その自信から、

想いや考えを社長や先輩に主張。

そこには自分しか見えない

自分がいた…。

「資金繰り」という

会社経営で最も重要なことに

携わっているわけでもなく、

諸問題の最終責任を

取る立場でもない。

会社経営にとって大切な事は?

そんな事を理解もしていない

「無知で勘違い」の私だった。

何事も口で言うのは容易い。

言われる社長の方は

さぞかし、

忍耐の連続だっただろうと

自分がこの立場になって

つくづく思う…。

 

三代目の私の場合、

父である二代目と18年間、

四代目候補の息子とは、

これまで15年間、

職場を共にしてきた。

つまり引継ぐ立場と

引継がせる立場、

その両方を経験したわけだが、

先代の時代に当たり前のように

行われて来た慣習の中でも

「トキワの文化」として

残すことが必須な事。

一方、時代の変化から

これまでして来た事を

止める決断。

そのすみ分けを

しっかりとしなくてはならない。

 

誰が考えても止める事が

自然な事ばかりなら良いが、

これまでトキワが

長年継続して来た事を

自分の代で止める…。

その判断には、

常に自問自答の繰り返しだった。

ただ後に、

止めた事で後悔した事は、

なかったのが、

せめてもの救いだった。

 

トキワの歴史を

しっかりと紐解き、

これまでトキワが

なぜ継続できたのか?

取引先はトキワに何を求め、

何に満足をして、

これまで取引を

継続してくれたのか?

そんなトキワの「強み」を

しっかりと把握して、

それを判断基準に

これまでの慣習の継続を決める。

それは社外的な事も

社内的な事も同じだと思う。

 

父の時代に行われて来た

トキワの慣習を

私の時代も引き続き残した事、

一方、何らかの理由から

廃止した事、その理由。

更に私の時代に

新たに始めた事、そのきっかけ。

次世代は?

 

そんな事を

「後継者として」と題し

4回に分けて綴ってみたい。

 

(つづく)

 

 

   第七章 2020年~ 

        ( 新 時 代 )

(94)TOKIWA VISION 100

 

2022年に入りまもなくのこと、

新たな会社案内を作る計画が

社内で持ち上がった。

当初は4年前に作製したものが

少なくなってきたことから

増刷、再発行的なイメージでいたが、

社内で検討した結果、

いよいよ8年後に迎える

創業100周年を見据え、

会社の目指す姿を具現化した、

『 TOKIWA VISION 100 』

と題した冊子を発行することで

調整がなされた。

 

改めてこれまでのトキワの足跡や

C I を通じて、

現在のトキワを理解していただき、

更に100周年時のあるべき姿、

ビジョンを宣言。

そんな構成で編集する事になった。

今回も前作同様、

コンパクトなA5大で広く配布、

しっかりと読んでいただけるよう

できるだけ簡潔化、

集約された構成を心掛けた。

 

思えば、

創業50周年の時の祝賀会で

司会を仰せつかり。

60周年の年に急遽社長へ就任。

70周年の時には、

多くの招待客に、

感動していただいたあの伝説の

「感謝の夕べ」を開催。

「もう一度、営業マンとして」

その決意をした80周年。

そして2年前、

コロナ渦の中で迎えた90周年。

私はトキワの

そんな節目の約半世紀を

共に歩んで来た。

創業者の祖父、二代目の父、

既にその誰よりも

トキワの歴史を知る人間に。

こうしてこのブログで

46年間を振り返っていると

様々な出来事が

走馬灯のように甦って来る。

そしていよいよ8年後には、

悲願の「100年企業」の仲間入り。

そんな思いを込めた冊子

「TOKIWA VISION 100」

 

これまで常に、

この類の製作には、

私が関わって来たが、

今回は息子の専務が中心となって、

新しいデザイナーとコラボして

製作した冊子である。

 

      表  紙

 

 トキワに残された最も古い写真

   1939(昭和14)年

「トキワのルーツと

    創業100周年に目指す姿」

 

     トキワのこだわり 

  「完全防水追求の3原則」

 

    クオリティの高さを誇る

  「トキワのレインウエア」

 

     トキワらしさ   

 「企業理念&トキワスタイル」

 

        トキワの今昔

   「沿革・概要&社会貢献」

 

※ トキワのホームページTOP画面に

  デジタル化したこの冊子、

「100年企業をめざすトキワとは?」

  が掲載されております。

  是非、ご覧ください。

 

誰よりも長くトキワに在籍するこの私、

現在の私に残された使命は、

心血注いで尽力された

これまでの役員や社員のためにも

トキワの歴史を語り継ぎ、

「トキワの文化」を

未来永劫に残す為、

次世代へのアドバイス。

それが私の使命と心している。

 

(つづく)

  第七章 2020年~ 

      ( 新 時 代 )

 

 (93) 画期的新製品

     (防水バッグ)

 

コロナ渦の行動制限から

色々な事を考える時間が

できた事は、

むしろ私の中では

大きな収穫だった。

一時は会社継承を

「そろそろ」などと

考えてしまった時期もあったが、

現在のこのコロナ渦の苦戦を

どのようにして乗り切るか?

これまで私が経験した

トキワでの44年間を振り返り

次世代へその経験を提言、

私自身も自ら行動しなくてはと

思った。

その私からの提言は、

「成長期に新製品有り」

これまでのその経験から

再現をすべく、

私のスイッチは入った。

 

トキワは元来、

「レインウエア」など

防水衣料品のメ-カ-。

しかもその防水に関しては

「完全防水」を追求してきた。

その完全防水に不可欠な3原則とは、

まず、生地そのものがJIS規格の

「耐水圧」試験をクリアした

一般的な傘に使用されている生地の

20倍以上の防水性を持つ生地で

あること。

次に製品を縫製したミシン目には

全て裏側から防水テープをシール、

小さな針穴と言えども

そこからの漏水を防ぐこと。

そして3つ目は製品の仕立て、

つまり本体の構造上で

防水対応をすること。

これが我々の追求する

「完全防水の3原則」だ。

 

世の大方の人は、

雨が降った時に

使用する雨具は「傘」。

ところがトキワが販売する

レインウエアは、

その傘を差すことが出来ない状況で

使用する雨具。

つまり誰もが使用する雨具では

ないことから、

その特長は中々理解されていない。

そこでトキワが長年培った

完全防水を追求するノウハウを

日用品で商品化して、

その奥深さや利便性を

知っていただく事は

トキワにとって

長年の想いでもあった。

 

そんなある時、

濡れた折り畳み傘の収納に

困っている人が多い事を知った。

そこで我々が使用する完全防水布で

その「傘ケ-ス」を作ればと

試作を何度も繰り返したが、

我々の最大の特長である

防水テープのシ-ル加工が

本体の大きさからして

物理的に不可能な為に断念。

 

今度は、

こんにち1人3~4つ

持っている「エコバック」に挑戦。

雨の日専用の

防水性に優れたエコバックは

市場に出回っていない事から

「防水エコバック」を考案、

2021年春に上市した。

 

  「雨先案内人 防水エコバッグ」   

    ハローキティ バージョン

 

   

本来、我々の最大の特長である

防水テープを施すことが大前提

ではあったものの

今度はこの製品の構造上、

技術的に難しかった。

ところが、

我々専門家の想いは他所に

一般消費者は、

そこまでの防水性を

気にしておらず、

製品本体の生地そのものから

浸み込んでこないだけでも

これまでにない製品だと

評価された。

 

しかし私個人的には、

当初の目的を

実現していない事から

どうしても納得ができなかった。

現在のように、

「ものづくり」の大半を

海外へ依存している時代と違い

私の20代から30代前半は

ほとんどが国内生産。

その生産管理に

20年以上携わった私としては、

当時取得したノウハウを

今こそ、現在生産する

海外工場に指導すべき

と考えた。

そこで私は製品の裁断様式と

そこに施す防水テープの

貼り方を直接指導。

ついに防水テープを施した

第二弾の「防水バック」が

完成した。

 

   製品に挿入されたリフレット

 

我々が長年培った

レインウエアにおける

「完全防水追求の3原則」、

その全ての原理を兼ね備えた

この防水バッグを、

2023年6月1日、

新製品として発売した。

 

この拡販に追い風となったのは、

この製品を東京都の公的団体へ

申請、狭き門をくぐり、

「支援商品」に採択された。

現在その東京都の営業部隊が、

販路開拓に企業や団体に

同行をしてくれている。

その訪問先からは、

エコバックとしての用途のみならず

多様性を持った

言わば「防水マルチバッグ」として

高い評価を受け、

各メディアでも

取り上げられ始めた。

 

You Tube チャンネル

   JoynTV

 

それは我々が使用シーンとして

打ち出した事ばかりでなく

業者や消費者から

その使用目的と使い勝手を

逆に教わるほどだった。

改めて、

我々が商売柄望む雨の日は、

一般の方々にとって、

様々な問題を抱えていることが

浮き彫りとなった。

 

雨の日だけではない。

「目からウロコ」は、

某会社のバイヤーの一言。

「 外からの雨が、

  中へ入らないという事は

    仮に中へ水を貯めたら

    外には漏れないという

    解釈で宜しいですか?」

うなずく我々にすぐさま

そのバイヤーは、

「 これは災害時の

    給水バッグとして

    防災用品に

    なりますよ!」

 

日本赤十字社の最高議決機関

「代議員会」。

その代議員の私の立場を

活用させていただき、

早速、日赤の災害救護班に

集まっていただきヒヤリング。

 

「 これは給水用に良いです。

  コンパクトになるから

    常備しやすいし、

    給水時には肩にも

    担げるので水を運び易い。

    これまで使われて来た

    ポリタンクとは又違った

 利点が多々あります。」

更に、

「 防水性が完ぺきなので

  災害時に通帳や印鑑などの

  貴重品入れにも

    良いですね。」

お墨付きをいただいた。

 

又、この製品の本体に

アウトポケットを付けて

濡れた傘を

単独で収納できるようにした。

かつて断念した「傘ケース」を

違う方法で実現したわけである。

これは量産の寸前、

社員の福谷美穂からのアイデアで

急遽付加した。

こうして、

これまでのトキワにない、

ある種、悲願でもあった

世の誰もが必要とする

唯一無二の画期的な新商品

「防水バッグ」の販売に

現在、会社をあげて

力を入れている。

 

そして私自身も又、

自らが技術指導をして

実現したこの商品誕生までの

ストーリーを

販売先相手に

熱く語っている。

 

(つづく)

 

 

   第七章 2020年~ 

        ( 新 時 代 )

 

    (92)コロナ禍の転機

 

実質2020年から始まった

新型コロナウイルス感染拡大による

経済への影響は甚大だった。

誰もが経験したことの無い

この世界的パンデミックは、

仕事のみならず日常生活など

あらゆる事が大きく変化した。

 

トキワは製品の企画、製造、販売と

一貫して行う会社だが、

やはり「販売」なくして

経営は成り立たない。

このコロナ渦が

どこでどのような影響を

売上に及ぼしているのか?

とにかくコロナの感染拡大が

世間を騒がせてから

売上は徐々に落ちていった…。

特に取扱い品目のひとつ、

「業務用エプロン」の売上げ減は

飲食店への休業要請が影響、

顕著だった。

取引先に営業に行きたくても

世の風潮はそれを認めない。

特に当初は最も感染者の多い

東京の人間は敬遠され、

他府県においては

東京ナンバーの車が

いたずらされるほどだった。

 

ただ前述のように

この機会に社内整理が

出来たように

「ウイズ コロナ」

長引くこの環境に沿う事が

必要とされてきた。

私自身、このコロナ渦で

生活が大きく変化。

当初、時差出勤が始まった時

私の場合は早朝出社で

夕方16時退社、

16時半には既に帰宅。

一日を振り返えれば、

生産性のある仕事など

何一つしていない。

そんな状況下で

晩酌などする気持ちにも

なれなかった。

これまでの人生、

ほぼ毎日アルコールを

飲んでいた私が一念発起、

休前日の終末2日間だけの

飲酒にしたことは、

その後、様々な事に

良い影響を及ぼした。

 

増え気味だった体重が

2年間で12Kg減。

この頃の「コロナ太り」は

よく耳にしたが

私のような「コロナ痩せ」は

あまり聞いたことがない(笑)

脱アルコールが

直接の要因と言うよりも

アルコールのない

食事メニューが

カロリー的に

減量に結び付いたと察する。

会う人会う人に

「少しお痩せになったのでは?」

病気を心配するかの問い掛けに

この「コロナ痩せ」の経緯を

繰り返し説明した(苦笑)

更に朝晩2回のストレッチや

通勤時の軽いジョギングも

日々のルーティンになり、

これまでになく

熟睡もできるようになった。

これも主治医に言わせると

脱アルコールが要因だという。

こんにちでは

それが更にエスカレート。

毎朝4時起床に

なってしまったことは

自分でもいささか呆れている

(笑)

 

営業に出られない仕事環境から

私は思い切って、

息子の専務に「営業戦略」、

「社内の仕組み作り」、

「社員指導」の3つの面を

任せる事にした。

更にこれをきっかけに

毎朝のミーティングも

全てお任せ。

私は末席に座るゲスト(笑)

コロナ渦がなかったら

この時点でここまでの任せ方は

出来なかったと思う。

 

継承と言えば、

私が社長に就任以来、

先代がしていなかった事で

私が新たに始めた事のひとつに

決算書に「決算説明書」を

添える事がある。

会社の1期が終わり、

顧問税理士により

最終的な決算が組まれ

税務申告をする。

ここまでの流れは、

どこの会社も同じだと思うが、

私はその決算書に

「決算説明」と題した

当期の「経営・財務・営業の概況」、

新たな期の「取組・数値目標」、

そして「スローガン」を

A4用紙約4~5枚にまとめて

取引金融機関向けに添える。

そもそもこれは、

上場企業が株主に対して

その期の会社状況の説明を書いた

冊子を見て、

真似た事がその始まりで、

これは金融機関への

印象度を上げることに

大きく繋がった。

資金調達の時など効果てき面。

この説明書の作成も

3年前から専務に任せ、

新期のスローガンに至っては

既に5年前から任せていた。

これもコロナ渦の産物だった。

 

会社経営はいつの日か

継承しなければならない。

ただ、同族会社の場合

特にそのタイミングが難しい。

まずは後継者の有無が

大きな問題となるが、

トキワには幸い、

次なる4代目がいる。

そしてその継承のタイミングは、

それぞれの会社の内部事情から

現経営者が決めなくてはならない。

いや、その経営者と

全てを知る顧問税理士にしか

できない。

事情を知らない外部の人間が

口を挟むのことは僭越。

様々な状況を見据え、熟考。

自分の事は二の次に、

会社にとって、次世代にとって

どのタイミングで

どのような形が良いのか?

自問自答を繰り返しながら

しっかりと判断しなくてはならない。

そのような意味からしても

このコロナ渦はトキワにとって

まずその第一歩を踏み出す

大きなきっかけになった事は

間違いない。

 

あとは次世代が

これまでの時代の何を残して

何を変えて行くのか?

その判断を誤らない事である。

「キャリアに勝るものは無し」

とは言うが、

キャリアが無いが故に

斬新なアイデアが生まれる事も

ある。

 

(つづく)

 

※ 7月は5週につき、

  来週31日(月)は

  お休みとさせていただき

  次回は8月7日(月)の

  配信とさせていただきます。

 

 

 

 

      第七章 2020年~ 

       ( 新時代へ )

 

(91)  コロナ禍の90周年

 

西暦2020年のこの年は、

日本で56年ぶりに

オリンピックが開催される

記念の年で、

トキワにとっても創業90周年、

又、東京商工会議所の

在籍40年という

節目の年でもあった。

 

その東商からは、新年早々

永年会員の感謝状を授与。

 

 

そんなおめでた続きとは他所に

世の中と言えば…。

 

前年2019年12月、

中国武漢市で

「COVID-19」と名付けられた

「新型コロナウイルス」が

初めて検出され、

翌2020年2月初旬には、

クルーズ船

「ダイヤモンドプリンセス」に

その感染者が

乗船していたことが発覚。

横浜港で長期検疫体制に入り

その後、感染していた人数が

増え続けるという事態。

この現象は、

こんにちまで続く

世界的なパンデミックの

始まりとなった。

 

当初、前述のように

中国武漢市で

初めて検出された

と言われていたが、

その後スペインやイタリアの

研究発表から

武漢市で報告される前から

世界中にウイルスが

広まっていた可能性が高いと

2020年3月時点で

指摘されている。

その真偽はともかく、

まさかこれほど感染が

世界中に広がり、

しかもここまで長引くとは

いったい誰が想像しただろうか。

世の人々は誰もが、

これまでの生活様式や

サイクルを変えることを

余儀なくされた。

 

前出のダイヤモンドプリンセスに

友人が乗船しており、

当時検疫体制の中、

缶詰め状態のその友人と

ほぼ毎日連絡を

取り合ってはいたが

当時は全く他人ごとだった。

ところがその翌3月には、

国内でも感染は広がり

「マスク生活」の始まり。

イベントは自粛や無観客開催、

オリンピックの開催も

懸念され始めた。

飲食店に至っては、

死活問題にもなる「休業要請」。

人の多い東京で営業する

トキワとしても

社員の通勤帰宅時の

満員電車車内での

感染を避ける為、

始業時間を遅らせたり、

時差出勤も始めた。

 

4月10日。

創業90周年を迎えたものの

この状況下では、

数年前から計画していた

『創業90周年記念6事業』を

実行することさえ危ぶまれた。

 

その6事業とは、

1)  マスコットキャラクターの製作

前出のタナカミノル先生に

周年記念の「90」を

タスキに入れて描いていただいた

「マスコットキャラクター」

   

の誕生、

これがその原型。

 

2)  記念品の製作配付

 

 

感謝の気持ちを込めて

これまでトキワに

関わってくださった多くの方々に

広く配布する事を目的に作製した

「オリジナルクリアファイル

コーポレートフラワーである

「紫陽花」や木村朝之助さん筆耕の

トキワのキャッチ「雨の日快適宣言」、

これまでの社名と歴代社長の変革、

そして「トキソラ」のお披露目。

それこそC I が終結された

ファイルを作製した。

 

3)  1年間限定の名刺を作製

 

 

平素、トキワの社会貢献の柱は

「日本赤十字社の活動支援」。

今回の90周年は、

これまでとは異なる形での社会貢献もと。

それは、

障害者施設で働く方の収入源となる

「点字名刺の作製」

この1年間限定で

全社の名刺に点字加工を施した。

点字の加工賃が

少しでも社会貢献になればと。

 

ところが、

1年間限定予定のはずだった

この点字名刺。

思いもよらず反響が!

と言うのは、

名刺を差し出すと同時に

受け取り側が大変興味を抱き、

その話題でまず盛り上がる。

そもそも名刺を差し出す

という事は初対面。

初対面にも関わらず、

場は和み、その効果てき面。

結局3年経過した現在でも

「トキワらしさ」の一つとして

引き続き使用している。

 

4)  日本赤十字社へ記念社資を寄付

 

 

創業70周年、そして80周年同様、

今回の90周年も「記念社資」として

日本赤十字社へ活動資金を寄付。

 

5) 本社及び物流センター設備改修

 

これまで手付かずだった場所を

何ヵ所か「メンテナンス」

 

これら5つの事業は、

何とか無事、

実行する事が出来た。

 

ただ、私も楽しみにしていた

もう一つ。

それは…。

現在は退職しているものの

これまでトキワを支えてくれた

勤続10年以上で、

「円満退社」の元社員にも

声をかけた「記念食事会」

この開催だけは、

感染拡大の状況下から

残念ながら

中止を余儀なくされた。

楽しみにしていた

元社員もいたので、

いつの日か何らかの形で

改めて開催したいと

考えている。

 

この新型コロナウイルスの

感染拡大は、

トキワにとっても

平素の営業スタイルはもちろん

業績にも影響を与えた事は

否めない。

 

しかし一方で、

毎週木曜日に約3ケ月間費やして

会社内を整理整頓。

不要な資料の破棄という

平素、中々できない事に

着手することも出来た。

その一環として、

これまでの「社長室」を

大きく模様替え。

ちょっとした「博物館」に。

 

4年前の私の自宅転居によって、

お蔵入りしていた

私がこれまでお付き合いして来た

プロ野球関係者や

大相撲関係者から寄贈された

お金では買えない貴重な品々を展示。

 

 プロ野球関係者から寄贈された品々

 

  大相撲関係者から寄贈された品々

 

こんにち、

来客には大変興味を持って

いただいている。

 

そこにビッグな品が仲間入り。

それは、

この創業90周年のお祝いに

40年以上のお付き合いがある

大相撲元水戸泉の錦戸親方始め、

高砂部屋所属十両格行司(当時)

木村朝之助さん、

そして同じく十両呼出しの

呼出し邦夫さん。

このお三方から

トキワの社名を染め抜いた幟付きの

「相撲櫓(やぐら)」の模型を

サプライズで頂戴した。

 

 

この「相撲櫓(やぐら)」。

大相撲本場所開催中、

国技館など相撲場の正面に

それこそ前述の板番付と共に

設置され、

この櫓の上で呼出しさんが

太鼓を叩く。

その模型である。

 

現在の相撲界では、

今回寄贈してくれた三人の一人

呼出し邦夫さんが

唯一の作り手。

全てが手作りで、

前出の朝之助さんが

相撲字で「板番付」「取組」を

信じられないほど

小さな文字で筆耕、

それはまさに「修練の賜物」。

板番付中央には、

トキワの名も入るという

大変貴重な品。

製作に約3ケ月を要したという。

 

約50年前、

父も大相撲関係者より頂戴しており、

大相撲ファンの私としては

自分の時代にも

いただけるなどとは

思ってもいなかった。

 

そんな波乱万丈の2020年、

「コロナ禍の90周年」だった。

 

(つづく)