第七章 2020年~ 

      ( 新 時 代 )

 

(97) 後継者として ③

 

1990年9月1日、

三代目としてトキワを

引継いだ時の私の年齢は、

34歳。

何度も言った通り、

お家騒動から急遽社長に

就任したわけだが、

世間はそのきっかけとなる

トキワから独立した

叔父の新会社と

私が後継したトキワを

否が応でも比較していた。

だから私の中には、

叔父には絶対に負けられない

という強い気持ちがあった。

やり手の叔父が抜けても

トキワは健在だというアピールや

私自身が人生経験の浅い

経営者ゆえに、

舐められたくない

という気持ちが強かった。

今思えば背伸びも

かなりしていたように思う。

一方、内に目を向ければ、

父は当初こそ、

「お前の思う通りにしたのだから」

と私を突き放す態度を取っていたが、

思いもよらぬ

都内の同業社が皆、

叔父への同情からその矛先が、

父へと向けられた状況に、

父は私とタッグを組み、

協力的になっていった(苦笑)

そんな背景で船出した私は、

これまでトキワが

行って来た慣習を

残す事、止める事。

又、時代に即した

新しい仕組み作りなど、

新生トキワの構築に

日々時間を費やしていた。

大半の社員が私より若く、

その新しい仕組みに、

むしろ好感を抱いて、

協力してくれた事が

思い出される。

 

後に当時の社員と

飲む機会があった。

そのアルコールの席で

当時の私をどのように見ていたか

聞いてみた事がある。

「 社長は社員に

  厳しいかったですが

    自分に対しても厳しい。

  しかも誰よりも

    営業実績を上げていたので

    言う事に説得力があり、

    ついて行く事ができました。

  又、仕事を離れて

  あれだけ多士済々な友人が

    いるという事は、

  我々の知らない

  仕事以外での別の顔が

  きっとあるのだろうと

    そんな事も思ってました。」

 

そんな社員たちと共に歩んだ

当時の「よちよち歩きの社長」が、

後継者として引継いだ事、

止めた事、

そして新たに始めた事、

そのいくつかを

振り返ってみたい。

 

新しく始めた事のひとつに、

「トキワだより」と題し、

毎月発行した社外報がある。

新製品やイベント情報、

社員の横顔、

又、現在会社が計画している事を

取引先のみならず

トキワに関わる全ての人に

発信した。

この「トキワだより」の発行は、

会社そのものを

知ってもらう事が目的で、

とても好評だった。

33年も前に中小零細企業が

社外報を毎月出す(約300通)、

そのこと自体、あまり見られず、

少なくとも業界では初めてだった。

 

そして今だから話せる

これを始めた本当の理由…。

それは当時、

それなりの営業実績を上げていた

某営業マンの担当する取引先に、

私は何社か単独で表敬訪問をした。

すると、そこで聞く話が、

どうもトキワの実態と異なる…。

 

これは何時の時代にも言える事だが、

とかく実績を上げる営業マンは、

往々にして会社はさておき、

自分自身を売り込む。

自分をアピールして、

自分の方に目を向かせ、

受注に結びつける。

そんな言動が

いつの間にか取引先からすると、

仕入取引をしている会社より

その営業マンの方に、

目が向くようになってしまう。

(もちろん取引先にもよるが)

その営業マンも営業マンで

自分自身を売り込んでいるうちは、

まだ良いが、

本来、その後ろ盾となっているのは、

会社の信用。

それが大前提で、

実績を上げているという

「営業の根幹」を、

あたかも全てが「自分の実力」と、

大きな勘違いをして、

うぬぼれていく。

更にそれがエスカレートすると

会社の批判やこぼし話しを

取引先に平気でするようになる。

それを聞く単純な取引先は(失礼)

一方通行のその話を信じて、

いつの間にか内情も知らずして、

取引をしている会社より

営業マンに寄り添うように

なっていく。

私は一(いち)営業マン時代、

自分が訪問する会社の

営業マンのそのような実態を

いくつも見て来た。

だからそんな理由から

取引先には会社そのものを

理解してもらいたく、

この社外報を始めた。

前述の決算説明も同じであるが

私が新たに始めた事は、

相手の心理や気持ちを察し、

情報は何らかの形で

会社(経営者)から発信する

という目的で始めた事が

多かった。

 

話しは少々それるが、

決算説明と同時に、

私の代で始めたのが、

「スローガン」の発表。

会社の新年度(8月)に

その期の行動指針を発表する。

社長業33年、これまで毎期、

33のスローガンを、

(内、直近の5つは息子)

掲げて来たが、

中でも忘れることが出来ないのは、

やはり記念すべき

第1回目のスローガン。

それは「役割分担の認識」だった。

社員各々が自分のやるべきことを

しっかりと把握して、

自発的に、責任をもって、

臨んでもらいたく、

このスローガンを唱えたが、

これとて会社を、

あるいは社長を、

信頼する気持がないと、

役割の認識そのものを

理解したり、

言動に表現したりすることは、

できない。

 

一方、

父の時代から受け継いだ

事のひとつに、

会社がいただく「お中元」や

「お歳暮」は社員で分配する

という慣習。

聞くところによると、

とかく同族会社の場合、

社長が家に…(苦笑)

父が始めたこの事は、

現在も尚、継続している。

社員に対してと言えば、

1年に1度、

実棚のカウント作業

「棚卸の日」、

あるいは「大掃除の日」など

会社行事の時の昼食は、

必ず会社で支給していた。

これらも私は継続している。

些細な事かも知れないが、

良き慣習と思っている。

一方、

既に止めた事に、

「社内旅行」がある。

父の時代には毎年1回、

国内に1泊旅行をしていた。

引継いだ当初は私も継続して、

第1回目の千葉県「鴨川」に始まり、

「湯河原」や「山中湖」には1泊で、

工場のあった「金沢」には

能登半島を絡めて2泊で、

海外は「台湾」と

「フィリピン・セブ島」へも行った。

セブ島は、

かつて私が大学4年生の時に、

留学していた先で、

後に新婚旅行でも。

そしていつの日か、

会社の創業記念の区切りの年には、

是非この場所で社員旅行をと、

70周年のこの年に催した。

ありがたい事に、

既にその時点で、

23年も経過していた

私の留学当時のホストファミリーが

全て段取りをしてお世話下さった。

この旅行が最後の社内旅行。

これも時代の流れで、

社員のマインドを考えると、

止めることにした。

現在残された郊外での親睦は、

6月の第1土曜日、

臨時出勤扱いで(別日に代休)

神奈川県伊勢原市にある

大山阿夫利神社への

「雨乞い」の合同参拝がある。

その帰路、スパで入浴、

そして食事会を行っている。

食事会と言えば、

先代の時代には、

忘年会、新年会しか

社内の食事会は

行っていなかったが

私は不定期ではあるが、

忘年会、新年会の他に、

年間2~3回は、

行うようにしている。

それぞれが仕事中とは違う顔を

見せ合う事も大切だと、

「決起集会」とばかりに、

社員の気持ちは他所に(笑)

行っている。

 

又、前述した私が始めた事に

毎週月曜日の朝、

40分間の本社全員清掃がある。

そもそもこれは女性社員だけで

掃除している姿を見た私の発案で、

するようになった。

ただでさえ週初めの月曜日の朝は

「サザエさん」の翌日(笑)

誰でも憂鬱だ。

その日をいつもより1時間も早く

出社してもらう(苦笑)

週の始まりだからこそ、

大切と思い続けている。

社員はきっと、

そうは思っていないと

察するが(笑)

こんにちでは、

給与の時間外出勤にも

反映させている。

そんな「働き方問題」など

かつては全く話題にも

上らなかった時代には、

毎月1回、休日の土曜日、

会議のために出社してもらった。

これはある時からさすがに止めた。

これらはほんの一部であるが、

先代の慣習を続けた事、

止めた事、

又、新たに始めた事。

それぞれその理由や

きっかけがあり、

私自身が決めた事とは言うものの

社内の空気を読み、

「べき論」にとらわれる事なく、

判断することも大切だと、

今はそのように思っている。

社長就任当時の私に、

全くその感覚はなかったが、

それでもついて来てくれた

ありがたい社員たちに、

この場を借りて頭を下げたい。

 

又、私の代に、

時代の流れや社員の気質変化から

途中で変えた事も

いくつかある。

 

私が20代前半の頃、

ある出来事で、

先輩からえらく怒られた事があった。

それはある時、

セミナーで勉強してくるように

指示された。

帰社後、

その交通費を清算しようとすると、

前述の I 部長から、

「 会社がお前自身の勉強の場を

    提供してくれているのに、

  その交通費を会社に請求するとは、

  どんな神経しているのだ!」

と一喝された。

更にそのI 部長は、

「 この前、健康診断の交通費を

    精算している奴にも

  同じ事を言ったが、

  会社が負担するのは、

  あくまでも会社が

    必要とする物の費用や

  社用の経費。

  セミナーや健康診断が

  それにあたるか?」

言われればその通りだと思った。

又、嫌味を交えて厳しいことを

いつも言う I 部長ではあったが、

当時の私の立場は「社長の息子」。

中々言えるものではない。

かつてはそんな先輩がいて、

同族会社にありがちな

社長である親が言えない、

あるいは言わないような事を

先輩が厳しく言ってくれた。

今となっては、

本当に感謝している。

 

以後の私自身はもちろん、

私が社長に就任してからは、

社員には同じように諭して来た。

だが、本来このような事は、

社長や同族以外の上司が

言う事が望ましい。

説得力も格段の差。

そのような人材は、

同族会社にとって、

なくてはならない存在で、

会社からみたら財産。

人財」である。

 

しかし時代や環境が変わり、

社員の気質も変化した昨今、

決め事を作ることなく、

仮に会計出納責任者が不問にして、

個人の感覚だけに任せると

その現状は…。

だが現在の私は、

「そんな細かい事を言っても…、

 まぁいいか。。。」

と黙認している。

 

しかし本来、

このような感覚は、

多岐に共通する

とても大切な感覚で、

けして些細なことではない。

その物事の本質が、

当人にとって、

「ありがとう」の出来事なのか、

「ごめんなさい」の出来事なのか、

「お願いします」の出来事なのか、

それによって、

その当人が取るべき言動は、

大きく変わってくる。

又、そのメリハリが、

きちんと出来る人間が、

往々にして、

世の中で評価される人。

「セミナー」の参加や

「健康診断」の受診、

あるいは「食事会」など、

当人が希望していない

かもしれないが、

これらは皆、

「ありがとうございます。」

の出来事。

けして時代の流れや

社員の気質変化で

変る事ではないと思う。

 

ただ、

私が絶対に譲らない事は、

例えばその出来事に相手がいて、

それが、

「トキワらしさ」「トキワの文化」

に影響を及ぼす事。

これらは会社にとって、

とても重要なことで、

これに反する社員には、

けして妥協する気持ちはない。

仮にそれを不満に思う

社員がいたとしたら、

残念ながらその社員には、

お引き取り願うしかない

という信念だけは、

今も昔も全く変わらない。

 

(つづく)

 

※  先週の9月1日、

  おかげさまで社長就任

    丸33年を数え、

  恒例の「自分にご褒美」を

  ひとりでして来ました(笑)

  もう少し頑張ります!