国木田独歩『武蔵野』における語りの特徴 | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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After retirement, I enrolled at Keio University , correspondence course. Since graduation, I have been studying "Shakespeare" and writing in the fields of non-fiction . a member of the Shakespeare Society of Japan. Writer.

 

 

 国木田独歩が活躍した時代状況と『武蔵野』のテーマを論じたうえで、その語りの特徴について分析する。

 

1.独歩が活躍した時代と『武蔵野』のテーマについて

 

 国木田独歩(明治4-41年)が活躍した前後は、明治7年頃から明治22年頃までの自由民権運動とその後の虚脱状態を経て、日清戦争(独歩は記者として従軍)による鬱屈の中にあった。さらに明治20年代は明治政府の極端な「欧化政策」の反動によって国権思想の勃興をもたらし、このような社会情勢の変化は文学の分野にも反映し、井原西鶴らの元禄文学などを見直そうとする擬古典主義が生まれた。この運動は尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案らを中心とする硯友社(創立明治18。「我楽多文庫」を発行)によって推進された。

 

 一方、硯友社とはすでに対立的傾向をもつ一群として、民友社(明治20創立。徳富蘇峰の率いる雑誌「国民之友」及び「国民新聞」に拠った作家群)の自然派として宮崎湖処子、国木田独歩、徳冨蘆花がおり、まだ勢力は微弱でやや遅れて出たものに北村透谷、星野天知、戸川秋骨、島崎藤村らの文学界派があった。民友社の発行した両誌は、藩閥政治と貴族的な欧化政策に反対して平民主義をかかげ、明治中期の言論・思想界にも多大な影響を与えた。

 

 明治30年代は、紅葉ら硯友社の都会的な文学がほとんど無視していた自然美が再発見された時代であった。自然描写は花鳥風月や歌枕といった伝統的な風景意識がいまだ強かった中で、独歩は「武蔵野」を『国民之友』に「今の武蔵野」として発表し、後にタイトルをあらためて第一文集『武蔵野』 (明治31)に収められた。

 

 独歩は類型からぬけだし「武蔵野」によって新しい自然美を発見したのである。近代文明に汚染されていない無垢な自然の美しさと、それと一つに溶けあっている素朴な自然の姿は、自然を最も意味あるものとして解釈しようとしたところにテーマの特徴があり、人生感慨が伴い、その描写は簡潔な筆致をもって具体的に表現されている。いわば風景の美しさを言葉によって発見したものといえよう。 

 

 ここでのリアリズムは擬古典主義文学がもたない新鮮な生命を自然に与えるものであった。独歩の自然観察はワーズワースにヒントを受け、描写方法はツルゲネーフ、殊に二葉亭が翻訳した「あいびき」からの影響が大きい。

 

 「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」などの浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などの独歩の作品は自然主義文学の先駆とされる。

 

2.「武蔵野」の物語言説の特徴について 

 

 (1) この作品は「自分」を主人公とする一人称の小説である。「一人称小説とは、語り手が作中人物のうちの一人と同一であり、作中人物である自分を一人称(「私」「自分」など)で呼ぶ形式の小説である。」(註1)同時に、「武蔵野」は語り手「自分」(作者ではない)と語られている物語内容の中の「自分」(これも作者ではない)は同一人物である。ジェラール・ジュネットがいう等質物語への世界である。(註2)

 

自分は友と顔見合せて笑て、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑て、それも馬鹿にした様な笑いかたで「桜は春咲くこと知ねえだね」といった。其処で自分は夏の郊外の散歩のどんなに面白いかを婆さんの耳にも解るようにして話して見たが無駄であった。東京の人は呑気だという一語で消されて仕了った。(註3)

 

 ここでの「自分」は、概念上、「婆さん」と話をしている「自分」(作中人物の「自分」)と、事後的に「婆さん」とのやりとりを要約して語っている「自分」(語り手の「自分」)とに分けることができる。作中人物「自分」とは異なるレベルに位置する語り手は「自分」は、作中人物「自分」に寄り添っている。

 

(2) 「武蔵野」は、特定の作中人物である「自分」に内的焦点化されている小説である。それは「語り手が特定の作中人物に寄り添って(特定の作中人物の視点で)物語を提示する物語言説」(註4)をいう。

 

 自分が一度、今より四五年前の夏の夜の事であった。かの友と相携えて近郊を散歩した事を憶えている。神田上水の上流の橋の一つを、夜の八時ごろ通りかかった。この夜は月冴えて風清く、野も林も白紗につつまれしようにて、何とも言い難き良夜であった。かの橋の上には村のもの四五人集っていて、欄に倚て何事をか語り何事をか笑い、何事をか歌ていた。その中に一人の老翁が雑ていて、頻りに若い者の話や歌をまぜッかえしていた。(註5)

 

 上記引用文のなかの「散歩した事を憶えている。」、「何とも言い難き良夜であった。」という表現は、語り手の「自分」は、第三者からはうかがえない作中人物の「自分」の内面を語っている。それとは対照的に、語り手は「自分」以外の作中人物の内面を直接語ることはしない。「何事をか笑い、何事をか歌ていた」というのは語り手が見た外面的なものであり、語り手の推測の域を越えてはいない。

 

(3)「武蔵野」における自然の描写は外的焦点化によって外面をリアルに描ききったことで、読み手には「武蔵野」に描かれた風景が視覚だけではなく、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の五つの感覚にうったえる効果を生み出している。

 

 松本和也は、外的焦点化について「登場人物の思考・感情・感覚などを描かず、外面しか描かない視点。」(註6)と述べ、牛場暁夫は、「語り手がある場面を外的視点から描くのは、あたかもその場面を撮影するテレビや映画のカメラに譬えることができるだろう。そこに設置されたカメラが写す映像のみを伝達する」(註7)と説明している。

 

日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、その時は路をいそぎたまえ、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放ているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落しそうである。突然又た野に出る。君はその時、

山は暮れ野は黄昏の薄かな

の名句を思いだすだろう。(註8)

 

「日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、」との外的焦点化が、「寒さが身に沁む、」以下の文=内的焦点化を呼び起こす。つまり、「武蔵野」に外的焦点化と内的焦点化が響き合うことで、まるでビデオカメラをまわしながら、自然観照しているような効果を生み出している。

 

(4)「武蔵野」には意識的に語られてはいないものがあるように思う。それは、五カ所に登場する「朋友」のことである。なぜ、独歩は「朋友」の存在をさりげなく登場させたのだろうか。「要するに、読者は空所を埋めなければ、小説の意味を読み取ることができない。そこで、読者は、小説の意味を捉えようとするモチベーションが高まり、その謎=空所を埋めようと想像力を駆使する」(註9)。

 

 独歩は大恋愛の末に結婚した妻信子が失踪し、その後武蔵野に住む。第六章では「今より三年前の夏のことであった」と書き起こされ、「或友」と同行したことが記されている。ここには信子の名こそないが、独歩の明治28年8月11日の日記には二人が小金井まで足をのばした様子が記されている。

 

 武蔵野を歩く独歩の「かたわらには、信子という美しい娘が寄り添っていたのだ。‥‥しかし、それはあくまで下絵であった」(註10)──私自身、この評をよみ、妙に余韻が残り独歩の内奥にもっと迫りたいとの思いに駆られた。

 

<引用註>

1  松本     134頁。

2   〃        134頁参照。

3  国木田      21-22頁。

4  松本        136頁。

5   国木田      27-28頁。

6  松本        50頁。

7  牛場        154頁。

8  国木田        21頁。

9  松本       69頁。

10 赤坂        141頁。

 

〈文献表〉

・国木田独歩(1949)、『武蔵野』、新潮社

・牛場暁夫ほか(2010)、『フランス文学概説』、慶應義塾大学出版会

・松本和也編(2016)、『テクスト分析入門』、ひつじ書房

・赤坂憲雄(2018)、『武蔵野をよむ』、岩波書店

〈参考文献〉

・ディヴィッド・ロッジ(1997)、『小説の技法』(柴田元幸、斎藤兆史訳)、白水社

・塩田良平(1995)、『近代日本文学』(改訂版)、慶應義塾大学出版会

・五井信(2001)、「恋しい人の『不在』の風景」、(週刊朝日百科『世界の文学』92所収)、朝日新聞社