『父と子』の中に描かれている父の世代と子の世代の対立について論考する。
1860年代のロシアでは各地に頻発する農民の叛乱によって地主と官僚は農奴制を維持することができず、その結果、アレクサンドル2世は1861年2月、農奴解放令の交付を余儀なくされたのであった。『父と子』はこうしたロシア社会の激動期のもとで物語が進行していくのである。
父と子の世代の対立と矛盾について焦点をあてると次の3点をあげることができる。
第1に、父子両世代の対立、いわば子が父の世代をのりこえようとして生じる摩擦はいつの時代にも不可避であるということである。
『父と子』には、医学生バザーロフを軸にしながら親と子の世代の対立や矛盾が鋭く描かれている。雑階級出身者であるバザーロフは「われわれは有益とみとめるもののために行動してるんです」(註1)、「現代もっとも有益なものは否定ということです──だからわれわれは否定するのです」(註2)との旧いもの一切を否定する「ニヒリズム」に支えられた思考の持ち主である。したがって彼は、過去の権威・原則・遺風のすべてを否定するばかりか芸術・感傷までを蔑み、科学と経験を尊重し、実験と経験の結果しか信じようとしない。そして何ものをも尊敬しない人であり、すべてを理知と功利を基準に判断しようとする。
バザーロフは、両親のもとへ帰省する途中、自分に兄事する友人アルカージイに伴われて彼の田舎にしばらく滞在する。友人の父ニコライ・ペトローウィチはバザーロフを歓待し、同居するパーヴェル・ペトローウィチは、はじめからバザーロフを嫌悪する。バザーロフとパーヴェル・ペトローウィチの間で交わされる会話は、バザーロフは「子の世代」として、パーヴェル・ペトローウィチは「父の世代」の代弁者として登場する。
パーヴェル・ペトローウィチはバザーロフの慇懃無礼で攻撃的な態度にも腹を据えかね、二度目の滞在時にとうとう決闘にまで至る。
この作品は「それぞれの自分の心理を固執する老人と若者との永遠の争いに取材し、伝統に忠実な古い世代と、新しい門出を望む若い世代を描く。このいつの時代にも避けられない両者の衝突」(註3)を描いたものである。この対立は、子、父の「世代」としての対立であるが、そこには単に父と子の年齢のひらきによってもたらされる対立や矛盾ではなく、ロシアの改革には「子の世代」の新鮮な力が必要であることを示していると思う。したがって子と父の対立は「世代の対立」というよりも「時代の対立」といったほうが適切であると考える。そして、後述するように父子両世代の対立、いわば子が父の世代をのりこえようとして生じる摩擦はいつの時代にも不可避であるということである。
とはいえ、私自身はバザーロフが保守的な立場に固執する父の世代の姿勢を打ち破ろうとする言動のいくつかに共感するものの、多くの点で賛同できなかった。バザーロフが父や伯父と会話する際の投げやりで人を小バカにする態度に反発し、否定づくしの論理は時に空論であると感じられたからである。彼の思考には建設されて在るもの=「父の世代」への否定と破壊はあるが、それ自体のなかに新しい何かが建設されるであろうという萌芽や設計図を掬い取ることはできなかった。卑近な例ではあるが1960年代の日本で高揚した全共闘運動のようにあらゆることの否定を叫び、そののなかにこそ創造があるとしてエログロをもてはやし、破壊と内ゲバ・殺人を繰り返す思考方法と重なり合ってしまい、どうにも後味のわるい読後感となった。
この書が発表されて両陣営からの次のような批判があったことを知ったが十分に頷けることだ。
「『父と子』は発表されると同時に、はげしい論争をまき起した。バザーロフの形象は矛盾をはらんで読者の眼に映り、保守派の人々は旧世代を愚弄嘲笑しているように考えて憤激し、『同時代人』の批評家たちは、この作品を雑階級デモクラートに対する中傷であると見なした(註4)」。
第2に、世代間の対立はいかに激しくても父子双方に「赦し」の思考があるということである。
バザーロフはアルカージイとともに訪れた美しい未亡人女地主アンナ・セルゲーエヴナ・オジンツォーワと言葉を重ねていくうちにやがて恋心を抱くようになる。しかし愛を告白できずに悩み葛藤し、意地の張り合いをするのであった。この恋は成就することはなかったがバザーロフはいまわの際に彼女に「ぼくはあなたを愛していました!」(註5)と告げる。自らの感情に溺れるなど日頃のバザーロフの言動からは考えられない。自らの哲学・思考を否定してしまうことにもつながるといってもいい。しかし、古今東西、恋は魔物であり、バザーロフをもってしても燃えあがる炎を消すことはできなかった。いや人それぞれの内奥にこうした情愛は本能的なものがあり、結局は抑えることは不可能なのではないか。
「突然ロマンチックな炎に包まれて、バザーロフは衝撃を感じる。だがそのことは真の芸術の必要条件を満足させる。なぜなら、そのことによってバザーロフの内部の万人共通の青春の論理が強調されるのであるから。万人共通の論理は私的思考の論理を─この場合にはニヒリズムを─越えるのである(註6)」。
私は、この点についてはバザーロフと両親との関係においても読み取ることができるように思う。バザーロフは絶命直前に両親のことを彼女にこう語る。
「死んだものは生きてるものの友だちになれません。親父はあなたにいうでしょう。ロシアはこんな人間を失おうとしている‥‥ばかげたことですが、年寄りのいうことですから、だまってきいてやってください。子供をどうしてあやしたらいいかは‥‥ご存じでしょう。母にもやさしくしてやってください。彼らのような人間は、あなたがたの上流社会には、昼間明かりをつけてさがしたって、見つかりませんよ‥‥」(註7)
バザーロフの両親に対する情愛は、恋愛とおなじであるとはいえないが、そこには共通なものがあるように思う。その共通のものとは「赦し」と表現してもいい。愛する人であるが故の、両親であるが故の「赦し」とは相手を受け入れる感情の発露なのかも知れない。
第3に、当時のロシアと現代日本における世代間の対立の在り方に大きな差異は認められない、ということである。
現代日本の子と親の世代の対立・矛盾の内容や質において、1860年代前後に生きたバザーロフとは違うものの、いずれも時代に生きる人々の客観的な社会的・政治的・文化的状況に大きく左右されながら世代間の対立は生み出される。バザーロフは親の世代を批判し、新しいロシアを生み出そうとしていた。日本においても戦争を生き抜いた「父の世代」と戦後すぐに生まれた「子の世代」の対立や矛盾は、戦争や原子爆弾をめぐっても大きなものがあった。私たち団塊の世代にとっては教育(進学)をめぐる対立が大きな位置を占めていたように思う。進学の夢を抱く「若い世代」と主に経済的な理由や進学の意義を認めようとしない「父の世代」の対立は先鋭化していったように思う。他にも跡継ぎ問題、女性差別、貧困、結婚、生活様式の一つひとつに世代間の対立と矛盾は内包していた。幸いにもそれらは今日よりは明日は豊かに、という「アメリカン・ドリーム」ならぬ「ジャパニーズ・ドリーム」を夢見ての対立・矛盾であったのではないだろうか。
しかし、昨今の日本での父子の対立は極めて深刻な状況にある。それは矛盾や対立という概念を越えた社会問題として提起されている。一例をあげるならば、殺人全体のなかで親子、兄弟、配偶者同士など「親族間」の殺人が過半数に達しているという事実である。高齢化社会、核家族化、貧困と格差、ワーキングプワー、女性の地位などで生きにくい状況が生まれている。こうした時代の閉塞感は日本やロシアだけではなく世界のいたるところで漂っているように思う。
父子の対立というのは、当然、社会的、政治的、文化的条件に左右されることはたしかだが、世代間でそれぞれを抹殺するような状況に直面することではなく、社会と人間の生活を前進させるための健全な対立や矛盾であってほしいと願う。
<引用註>
1 ツルゲネーフ p.96
2 ツルゲネーフ p.96
3 マーク p.258
4 小椋 p.167
5 ツルゲネーフ p.396
6 ウラジーミル p.91
7 ツルゲネーフ p.p397-398
<文献表>
・ツルゲーネフ著/工藤精一郎訳(1998)、『父と子』、新潮社
・マーク・スローニム著/池田健太郎訳(1976)『ロシア文学史』、新潮社
・小椋公人著(1980)『ツルゲーネフ 生涯と作品』、法政大学出版局
・ウラジーミル・ナボコフ著/小笠原豊樹訳(1982)『ロシア文学講義』、ティビーエス・ブリタニカ