ハイゲイト墓地に眠るマルクス
悲劇『アテネのタイモン』は金と人間との関係をテーマにした物語です。アテネの貴族タイモンが金に対する呪いを滔々と述べる場面があります。
金貨か?
黄金色にきらきら輝く貴重な金貨だな?
……これだけの金があれば、
黒を白に、醜を美に、邪を正に、卑賎を高貴に、
老いを若きに、臆病を勇気に変えることもできよう。
この箇所を読み、「あれ、これってマルクスの『資本論』と同じじゃないの」と思ってしまいました。『資本論』には、金は「愛を憎しみに、憎しみを愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主に、主を奴隷に、分別を愚純に変える」との表現があります。「シェイクスピアはマルクスを読んでいたのに違いない」、そう思ってしまうほどでした。しかし、マルクスはシェイクスピア没後二〇〇年を経て生まれているので、あり得ないことです。
二人のかかわりを記す書物に、『モールと将軍』(ドイツ社会主義統一党付属研究所編、モールはマルクス、将軍はエンゲルスのあだ名)や『マルクスの娘たち』(イ・シネリニコワ著)などがあります。それらによると、マルクスはシェイクスピアを人類の生んだ最も偉大な劇作の天才として尊敬していました。シェイクスピア作品のどんな端役でも知っていたようですし、三人の娘たちもシェイクスピアを暗記していたと記されています。
マルクスは一八八三年三月十四日、亡くなります。娘たちは父の生涯のスケッチを、シェイクスピアの言葉(『ジュリアス・シーザー』)をひき、こう結んでいます。
……自然みずから立ちあがって、全世界にむかい、
これこそ人間だった! といったことだろう。
敗れてみずから刃に伏したブルータスについてアントニウスの言ったこと──精神の戦いで敗れないもの、また破ることのできないもの──はマルクスにいっそうあてはまる。これこそ人間だった
次回から『資本論』に登場するシェイクスピア作品のいくつかをとりあげたいと思います。