『夏の夜の夢』は、アテネが舞台です。アテネの法律では父の意向に背いて結婚すれば、「死刑」か、「薄暗い修道院に閉じ込められる」かの選択を迫られます。父親に結婚を反対された娘ハーミアはライサンダーと駆け落ちし、アテネの法律が及ばない街へ逃げようと、森で落ち合います。そこへ友人のヘレナとディミートリアスも追いかけて来ます。森は異次元の世界で、妖精パックのいたずらで、現実か夢かもわからぬほどの大騒動となります。やがて若者たちの恋は成就し、ハッピーエンドに。
物語のなかで、ライサンダーは大好きなハーミアとの結婚を許されないことに、こう嘆きます。「まことの恋が平穏無事に進んだためしはない」と。
『資本論』第一巻(流通手段)には、この台詞が次のように引用されています。
商品は貨幣を恋い慕うが、『まことの恋が平穏無事に進んだためしはない』。分業体系のうちにその「引き裂かれた四肢」を示している社会的生産有機体の量的編成は、その質的編成と同じく、自然発生的・偶然的である
つまり、資本主義の下では、自分は社会的分業の一部を担って生産しているつもりでも、同じ商品をつくっている人がいて、過剰生産になれば売れないということになります。それは、社会的分業が「自然発生的・偶然的」だからです。「商品は貨幣を恋い慕う」=商品が売れ、貨幣になるのは容易なことではなく、それは、「まことの恋が平穏無事に進んだためしはない」ことと、同じ困難を伴うものだ、と読みとることができます。
マルクスは同じ箇所で、「商品のからだから金のからだに飛び移ることは……商品の“命がけの飛躍”である。」とも表現しています。この「命がけの飛躍」もシェイクスピアの台詞と重なりあうものです。特に、資本主義社会では、長時間労働、低賃金に加え、人間相互の関係も希薄な関係に陥りやすく、「まことの恋が平穏無事に進んだためしはない」ですからね……。