『チボー家の人々 一九一四年夏』(第7部)──小説と批評 | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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慶應義塾大学文学部 英米文学専攻(通信教育課程)を卒業後、シェイクスピア『ハムレット』の研究に専念しながら、小説、ノンフィクションなどの分野で執筆活動をしています。日本シェイクスピア協会会員。著書『ペスト時代を生きたシェイクスピア』他。

  

 

 ロジェ・マルタン・デュ・ガール(1881-1958)の『チボー家の人々』全8巻(1922-40)は、ロマン・ロランの『ジャン=クリフトフ』(1904-12)の流れを汲む大河小説であり、人類が初めて経験した全面(トータル・)戦争(ウオー)の記録でもある。

 

 第7部『一九一四年夏』(1936)は、ブルジョワ家庭チボー家の兄弟アントワーヌとジャックが生きる第一次世界大戦までの20世紀初頭のフランス社会を背景に、戦争と革命に対する異なった態度、誠実に生きようとする青年たちの希望と苦悩を描き出している。父親が固執する価値観に反抗するジャックは反戦運動に加わり、アントワーヌは小児科医の道に価値を探し求める。しかし大戦が勃発し、反戦ビラを撒こうとしたジャックは、飛行機から墜落、スパイとして処刑される。アントワーヌも前線で毒ガスを吸って死の淵に追いやられるのだった。「個が全体に抗おうとし、しかし全体によって個が押し潰されるそのさまは、たしかに陰鬱だが」(小倉、252)、その陰鬱は人間の生のはかなさの不条理さをいっそう浮き彫りにするものである。

 

 以下、この小説の特徴と当時の批評の概要について述べる。

 

1. 全知の語り手によって作品世界に重層化を与えている。

 

 この作品は、登場人物の心理的・精神的状態すべてに精通する全知の語り手になっている。作家は主観の表出を抑制し、どの人物からも一定の距離を保ち、あくまでも記録者としての役割に終始している。その結果、それぞれの登場人物の多角的な生き方、考えが豊かに表現され、作品世界に重層化を与えている。個人の努力の如何にかかわらず破局へと社会を押し流してしまう第一次世界大戦の悲惨さがより強調されるものとなっている。

 

2. 写実的表現によって事の本質を捉えている。

 

 ジャックの社会批判、特に制度としての資本主義の批判には、資本と労働者との対立を表面的な矛盾に限定せず、その本質である生産関係の所在をも捉える現状分析と社会主義リアリズムの視点に貫かれている。ジャックは兄・アントワーヌに資本主義社会の本質を語る。

 

(略)工場労働者にとっての日々の仕事がどんなものになっているか、兄さんは想像できるだろうか? それがどんなにたまらない奴隷状態であるかが?……昔だったら、そのおなじ人間が、自分の小さな仕事場を愛し、自分の仕事に興味を持つひとりの勤勉な職人になれたのだ。それが今日では、彼は彼自身として一文の価値のないものになってしまっている。それは単に一個の歯車なのだ。神秘な機械を組み立てている数かぎりない部分品の、そのひとつにしかすぎなくなっている。しかも彼には、自分の仕事を生み出すため、その機械の神秘を理解する必要さえないんだ! 神秘、それこそは少数者の占有物なんだ。いつも同じ少数者の──資本家であるとか、技師であるとか……」(Ⅰ.253-254)

 

 ジャックの語る「神秘、それこそは少数者の占有物なんだ」という、「神秘」とは「機械」のことであって、「商品」という言葉に置き換えてもよい。つまり、労働者は「商品」のほんの一部分を作りだしていて、いったいそれはどのような「商品」なのか「神秘」のベールにつつまれていることを意味している。そして「神秘」である「商品」をつくる生産手段は、資本家という「少数者の占有物」であるという、社会主義リアリズム、あるいは唯物史観の要諦を説くものとなっている。さらに何ゆえにそのような考えに至ったかを、すでにジャックはアントワーヌに次のように語っている。

 

「何がぼくをして革命家にさせたか」と、ジャックはやがて口を切った。──そし て、唇をふるわせた──「それはここ、この家に生まれたからのことなんだ……一個のブルジョワの息子として生まれたからのことなんだ……子どものころから、悪いことをしているといった感じ……悪事の片棒をになっているといった感じを持っていたからのことなんだ! そうだ、そうしたことをたまらなくいやだと思いながら、やはりそれを利用していたという、身を切られるような感じのためだ!」

  彼はアントワーヌが異議をはさもうとするのを手で制した。

 「資本主義がどんなものであるかを知るよりずっとまえ、その言葉さえまだ知らなかったころ、おそらく十二、十三のころだったと思う、ぼくは自分の住んでいる社会、友人たちの社会、教師たちの社会……お父さんの社会、そしてまたお父さんのりっぱな事業の社会にたいして反抗の気持ちを持っていたんだ!」(Ⅰ.248-249)

 

 ジャックは「悪事の片棒をになっているといった感じを持っていた」と言う。少年期に父親を通して見聞した社会にも目を向けながら、彼自身の繊細な痛々しい感情を見事に表現している。こうした類のジャックの描写は枚挙に暇がない。「手法としてはプルーストの小説などよりも、はるかに伝統的なものであり、むしろバルザックやゾラの手法に近い」(渡辺、235)といわれる。

 

3. 戦争によって阻まれた人間の生のはかなさ、不条理観を説得的に描いている。

 

 この作品の深淵には、戦争によってせきとめられた「人間の生のはかなさという不条理観があり、そのようなもろくはかない人間どもが作っている社会制度や文明機構といったものにたいする根源的な不信感」(Ⅳ店村、332)がある。指導者ジョーレスの暗殺、頼りとしていたインターナショナルの瓦解、散りぢりになり戦争にのみこまれる同志の姿はジャックの人間不信を決定的にし、もはや自らの死によってしか、解消するすべがないことを自覚する。いよいよ飛行機でビラを撒く前日、一人になった時のジャックはこう思う。

 

……反乱、同胞愛、休戦!《たとい成功しないまでも、りっぱな手本を示してやれ る! たといどっちへころんだところでおれの死は、りっぱな行為(・・)と言えるんだ……名誉を保つこと……忠実であること……忠実であり、しかも役立つこと……そうだ、()()立つ(・・)こと! 自分の一生をとりもどすこと、くだらなかった自分の一生を回復すること……そして、大きな安息を見いだすこと……》」(Ⅳ.248)

 

……こうした意識的な死、これこそは人生の完成なのだ。これこそは、自分自身にたいしての忠実さ……反抗の本能にたいしての忠実さの、窮極の行為にほかならないのだ……彼は、子供のころから、いつも《否!》と言いつづけた。それこそは、彼にとり、ただ一つの自己確認の方法だった。人生にたいする否ではなかった……社会にたいする否だった。ところが、いまこそ最後の否、すなわち、生きることにたいしての否なのだ……」(Ⅳ.252)

 

 ジャックにとって戦争に加担し生きつづけることよりも戦争反対のために戦うことが大切であった。だから、ジェンニーとの別れの場面は、生きることの哀しさと死への勇気を刺激するものになっていく。

 

 「わかってくださる?」と、彼女はつぶやくように言った。「わたし、とても出発する気になれないの。あんなことがあった以上……」

 「わかるさ、わかるさ……」と、彼もつぶやくように言った。

 「わたし、ママのそばにいなければ……せめて、ここ数日でも……向こうであなたといっしょになるわ……すぐ……できるだけ早く」

 「そうだ」と、彼は力をこめて言った。「できるだけ早く!」だが、心の中では、《だめだ、永遠に……これでおしまいだと》と、思った。  

                           (Ⅳ.174-175)

 

4. 1930年代の大河小説の特徴

 

 大河小説は、チボーデに倣って「連鎖小説」(roman-cycle)とも呼ばれる。フランス最初の大河小説はロマン・ローラン(1866-1944)の『ジャンクリフトフ』(1904-12)であるが、1930年代を中心に『チボー家の人々』、ジョルジュ・デュアメルの『パスキエ家の記録』全10巻(1933-1945)、ジュール・ロマンの『善意の人々』全27巻(1932-46)、などが次々と生み出された。19世紀から20世紀初頭の小説にあっては、作品を主導する中心に個人があったが、しかしマルタン・デュ・ガールたちの世代は20世紀になると個人は大枠の変転に翻弄される、ちっぽけな、みじめな存在となる。その背景には、世紀末まで西洋文明を支えていた二本の精神的支柱、キリスト教の信仰と科学主義が夢見させた人間の精神的・社会的進歩の観点がゆらぎ、第一次世界大戦に突入してしまう時代の不安があった。このような大河小説の内実の変容と変質は『チボー家の人々』にも見ることができる(若林、19-21参照)。

 

 なお、「大河小説に取り組む作家が少なからずいるのは、全体の呈示ということが、ひょっとすると技法的革新以上に、魅惑的な夢だからなのかもしれない」(小倉、252)との指摘もあるが、『チボー家の人々』に限るならば、ジャックの生涯に思いを馳せつつヨーロッパにおける第一次世界大戦の惨禍を想起すると「夢」というよりも、作家の内奥からやってくる“叫び”であったのではないかと思えてならない。

 

5. 20世紀前半の批評の特徴

 

 20世紀初めの批評の分野では1909年に、アンドレ・ジッド(1869-1951)を中心とする一群の文学者によって『NRF(新フランス評論)』が創刊された。文学、芸術、思想におけるそれまでの伝統的価値観を見直し、批評に重きを置いた。特に19世紀後半以降の批評の傾向に反発し、純粋に文学的な価値でもって同時代の作品を評価するという立場を打ち出すものであった。『NRF』はジードの他、アルベール・ティボーデ(1874-1936)、ジャック・リヴィエール(1886-1925)といった重要な批評家たちを生んだ。ティボーデは両大戦間の批評界において最も重要な批評家であり、『ステファヌ・マラルメの詩』(1912)、『ギュスターヴ・フローベール』(1922)、『フランス文学史』(1936)を執筆している。

 

 

[文献表]

饗庭孝男他 『新版 フランス文学史』白水社、1995

小倉孝誠編 『フランス文学史Ⅱ』 慶應義塾大学出版会、 2017

店村新次 「解説」 『チボー家の人々 一九一四年夏Ⅳ』山内義雄訳 白水社、1985、pp.321-338

若林真 他 『20世紀のフランス文学』 慶應義塾大学出版会、2011

渡辺一夫、鈴木力衛 『増補 フランス文学案内』 岩波書店、1997

ロジェ・マルタン・デュ・ガール『チボー家の人々 一九一四年夏Ⅰ-Ⅳ』 山内義雄訳 白水社、1985