▲Catherine Bailey as Portia
▲ロンドンのグローブ座はスタンディング(平土間席)チケットが900円程(5£)なので、5回も観劇してしまいました。開演前、シーザーの凱旋を待ちわび、観客が「シーザー、シーザー」と歓呼していたことにはとても驚きました。
『ジュリアス・シーザー』は、共和制末期のローマ、紀元前44年3月15日のシーザー暗殺とその後の物語です。
シーザーを父のように敬愛するブルータスは、義弟のキャシアスにそそのかされ、シーザー暗殺の陰謀に加わることを決意します。ブルータスの心は「内乱状態」となり、その異変に気づいた妻ポーシャは、「どうか悩みのわけをうちあけて」と求めます。「からだのぐあいがよくない、それだけだ」とブルータスは本心を語ることを拒むのです。これに対してポーシャはなおも訴えます。
……結婚の約束のなかに、
あなたに関する秘密を妻の私が知ってはならぬ/そんな条項がありまして? 私があなたと一体なのは、
いわば条件つきであって、ただ食事をともにし、
閨のお伽をし、ときには話し相手になるという、
それだけのことですか? 私はあなたの愛の
本宅にではなく、街はずれに住んでいるのですか?
であればポーシャはブルータスの娼婦です。妻ではなく。
ブルータスは「おまえこそまことの妻だ」、「おれのいのちだ」ととりなそうとしますが、ポーシャは納得しません。
そのおことばがまことなら、あなたの秘密を
私に教えてくださっていいはずです、たしかに私は/女です、でもブルータスが妻に選んだ女です。
たしかに私は女です、でもケートーの娘として
恥ずかしくないだけの評判をえている女です。
このような父をもち、このような夫をもつ私を、
世間並みの弱い女としかお思いにならないのですか?
そして、ポーシャは「私はうちあけられた秘密を漏らす女ではありません」と自らの太腿に短剣を突き刺した傷を見せ、鉄の意志を示します。
ポーシャは自分を慰み物ととらえることを拒み、対等な者同士の共同関係をもとめ、それを譲ることのできない権利として要求するのです。シェイクスピアは、伝統や因襲に抵抗する一人の女性の内面を描くことで、血肉のある人間たちの悲劇、男も女もいる人間劇をつくりあげたのです。そこにはルネサンス期を生きる女性たちへの賛歌があるように思います。
今(2021))、ブルータス役に吉田羊などオール女性で本作が上演されます。