四大悲劇の中で『リア王』は、邪悪さが最も冷酷で無慈悲に描かれている作品です。リア王の家臣グロスター公の庶子エドマンドは、家督を手に入れようと嫡子の兄エドガーを陥れ、父の命をねらい、正統な権利もないのに王位を手に入れようと陰謀をめぐらします。
「だまされやすいおやじに、お人好しの兄貴か。/兄貴は自分が人に悪いことをしないから、人からも/されないと思っている。そのばか正直さにつけこみ、/こっちの仕事は順風満帆、成功は目に見えている。」
一方、リアの邪悪な二人の娘はエドマンドをひきこみ、父王を亡き者にしようと謀ります。二人の娘は、共にエドマンドに愛欲の火を燃やし、それがもとで内乱の不安がのしかかります。エドマンドはどっちにしようか楽しそうに迷う素振りを見せながら、自らの目的のために二人の愛を利用します。
「姉と妹の両方に愛を誓っておいた。おたがいに/相手を疑いの目で見ている、マムシに噛まれたやつが/マムシを見る目つきでな。どっちをとるとするか?/どっちもか? どっちかか?」
エドマンドは父、兄をも殺すことを厭わない狡猾で残忍な人物です。何故? 彼は私生児であるが故に、父からも侮辱され、社会的弱者としての不利益を受けつづけてきました。
「……なぜおれは/忌わしい習慣に縛られ、口さがない世間の思惑に/相続権を奪われ、黙っていなければならんのだ?/……正当な奥方が生んだご子息と/どこがちがう?」
彼は、私生児に対する差別と偏見をもつ社会、その社会を操る世界観である「存在の鎖」を真向から否定する“反逆者”です。
「運が悪くなると、たいていはおのれが招いたわざわいだというのに、それを太陽や月や星のせいにしやがる。まるで悪党になるのは運命の必然、阿呆になるのは天体の強制、ごろつき、泥棒、裏切り者になるのは星座の支配、飲んだくれ、嘘つき、間男になるのは惑星の影響、って言うようなもんだ」
伝統的な世界観を嘲笑するエドマンドの言葉には、神よりも理性で生きるという近代的な自我へと向かう萌芽が見られます。