フランスにおける19世紀ロマン主義時代の詩と演劇 | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

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After retirement, I enrolled at Keio University , correspondence course. Since graduation, I have been studying "Shakespeare" and writing in the fields of non-fiction . a member of the Shakespeare Society of Japan. Writer.

△ ミュッセの『ロレンザッチョ』

 

1.  ロマン主義確立への過程とその特質

 

 自由・平等・友愛を掲げたフランス大革命の精神は、19世紀を通じて政治体制、社会と文化の基盤を根本的に変革した。こうしたなかに登場したのがロマン主義である。ロマン主義とは、「まずは文学芸術における解放運動であり、やがてそれはあらゆる社会的・宗教的拘束からの人間の解放をめざす思想や運動の原動力ともなっていった」(田村、185)。ロマン主義は7月革命(1830)と軌を一にして頂点を極めた。7月革命前後に注目すると、ユゴー『エルナニ』上演(2月)、ラマルチーヌ『詩的宗教的諧調詩集』刊行(5月)、スタンダール『赤と黒』発表(11月)、そして12月、ミュッセの処女戯曲『ヴェネツィアの夜』の上演は、野次で惨憺たる結果に終わったが、数日前のベルリオーズ作曲『幻想交響曲』初演は大成功だった。さらに翌年のサロン(官展)には、7月革命を讃えるドラクロウの油彩画『民衆を導く自由の女神』が出品され、蜂起する民衆の姿を中世に移したユゴーの歴史小説『ノートル=ダム・ド・パリ 1482年』が発表された。このように文学芸術史上まれなほど傑作が集中して生まれ、そのすべてにロマン主義の共通した特徴が刻まれている。

 

2.  ロマン主義における詩と演劇の特徴

 

(1)ロマン主義時代の詩

 

「ロマン派の詩人たちは古典主義の詩の抽象性を排し、もっぱら霊感を重んじ想像力を駆使して『魂の吐息』『魂のほとばしり』を具体的かつ感動的、あるいは絵画的に表現しようとした」(饗庭、174)。ラマルチーヌの『瞑想詩集』(1820)はフランス・ロマン主義の詩の最初の金字塔であるが、真の革新はユゴーに始まるといってよい。彼はそれまでの規則に反する句跨ぎや日常語を使用して感情を表現し、詩の可能性を大きく広げた。1827年頃からユゴーとサント=ブーヴを中心に、文学者のみならず音楽家や画家をも巻き込んだロマン派の集団=「セナークル」が形成され、「エルナニの戦い」を準備するなどロマン派の結束に大きな役割を果たした。ユゴーの『諸世紀の伝説』はロマン主義叙事詩の頂点である。 

 

 1832年、パリではコレラが流行し2万人近い死者が出た。極限状況のなかで二人の詩人の創作への基本姿勢をみてみよう。ヴィニーとミュッセである。

 アルフレッド・ド・ヴィニーは『古近詩集』(1826)で認められる。寡作な詩人で、彼の最高傑作『運命』(1864)は、詩人の遺志にしたがって死後に出版されたものである。そこに収められた「狼の死」、「フルート」、「オリーヴ山」は特に有名であるが、今日ではロマン派的熱狂の時代を過ぎ、不遇の晩年に創作された哲学的詩篇とみなされている(田村、188参照)。ヴィニーはコレラに罹患(1832)した直後、未完成の作品を焼き捨てた。未完という意に満たない作品は徹底的に排除するという厳しさと自負をもって自己を律した文学者であった。

アルフレッド・ド・ミュッセはロマン派四天王(ラマチーヌ、ユゴー、ヴィニー、ミュッセ)のなかでは最年少、19歳で詩集『スペインとイタリアの物語』(1830)を上梓。4篇の長詩から成る『夜』(1835-37)やロマン派劇最高傑作といわれる史劇『ロレンザッチョ』(1834)、『戯れに恋はすまじ』(1834)などの「読む戯曲」を次々と発表した。しかし、多感で不安な青春を送り、女と酒を愛した遊蕩児の後半生は無気力と怠惰に流れた。

 

 ロマン派の周辺で活動し、一度は歴史から消え、1900年頃から「小ロマン派」と総称されるなかに、ジェラール・ド・ネルヴァルがいる。彼の12編のソネからなる「幻想詩篇」は短編小説集『火の娘』(1854)に収められた。ネルヴァルの最大の功績は詩の概念を散文にまで押し広げ、詩と文学を同義にしたところにあり、20世紀の詩を規定する基本線にもなっている(小倉、21参照)。他にテオフィル・ゴーチェがいるが、彼は後続世代の詩人たちの尊敬を集め、巨匠の一人として生涯を閉じている。

 

 

(2)ロマン主義時代の演劇

 

 ロマン主義演劇の特徴は、17世紀来の正統的な韻文古典劇に対抗し、三単一の規則が見直され、形式・題材の両面で劇空間を拡大し、劇作家の自由で奔放な想像力に道を開いたことである。そして、ロマン主義劇は、歴史をその豊かさと複雑さにおいて把握し、内的に引き裂かれ、激しい情念をみせる主人公を生み出した。ロマン主義劇上演の歴史は、15年(1829-1843)にも満たない短い期間であった。つまり、アレクサンドル・デュマの『アンリ3世とその宮廷』(1829)の成功から、ユゴーの『リュイ・ブラース』(1838)の勝利、そしてロマン派劇の流行に終わりを告げたのが、ユゴーの『城主』(1843)の失敗である。

 

 ロマン主義演劇史上最も有名なのは、「文学運動上のクー・デタともいわれる『エルナニ事件』」(渡辺、145)の勝利である。特に、ユゴーはロマン主義演劇の宣言の役割を果たした「クロムウェルの序文」(1827)をはじめ多くの大作を残し、ロマン主義の統領としての位置を保ちつづけた。他に後世に残る傑作は、デュマの上記の『アンリ3世とその宮廷』の他に『アントニー』(1831)がある。彼はいちはやくウォルター・スコット風の歴史的情景を主題とする新たな歴史劇の創作にかかった劇作家である。そして、ミュッセの『ロレンザッチョ』(1834)は、今日ロマン主義劇の典型と考えられている。この作品は、孤独な個人と時代との対決を通して、歴史の瞬間をその複雑さそのまま捉えようとする試みであって、「作品はシェイクスピアの偉大さに達している」(小倉、46)といわれる。

 

 

[文献表]

饗庭孝男、朝比奈誼 『新版 フランス文学史』 白水社、1995

小倉孝誠編 『フランス文学史Ⅱ』 慶応義塾大学出版会、2017

田島毅、塩川徹也 『フランス文学史』 東京大学出版会、1998