『オリヴァー・ツィスト』を『イギリスにおける労働者階級の状態』と重ねて読む | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

After retirement, I enrolled at Keio University , correspondence course. Since graduation, I have been studying "Shakespeare" and writing in the fields of non-fiction . a member of the Shakespeare Society of Japan. Writer.

素晴らしい訳でした!

 

 『オリヴァー・ツィスト』を読みすすめると、風刺とあてこすりに満ちたアイロニーで貧しさを捉えるディケンズの視線は鋭く、イギリス社会を操る者への怒りをも感じ取ることができて強い共感を抱いた。特に救貧院でのオリバーをめぐる物語の展開には、フリードリヒ・エンゲルスが著した『イギリスにおける労働者階級の状態』が二重写しとなってしまい、私自身、この書をくり返して読んでいることもあって、まるでエンゲルスが描いた救貧院の世界に入ってしまったような錯覚さえ覚えた。

 

 エンゲルスは、この本の多くのところで救貧院や救貧法について触れている。一例をあげる。

 

「賢明なマルサス主義者たちは自分たちの理論に誤りはないということを確信していたので、なんのためらいもなく、型にはまった自分たちの意見に貧民をあわせ、それにしたがって貧民をむかむかするほど冷酷にあつかってきた。彼らはマルサスやその他の自由競争の信奉者とともに、自分の世話は自分でやり、自由放任をつらぬきとおすことがいちばんよいと確信していたので、救貧法は完全に廃止するのがもっとも望ましいと考えていた。しかし彼らはそうする勇気も権限もなかったので、できるだけマルサス的な救貧法を提案したが、これは自由放任主義よりももっとひどいものだった。なぜなら、自由放任主義が消極的にしかはいりこまないところへ、それは積極的にはいりこんでくるからである。すでに見たように、マルサスは貧困を、もっと正確にいえば、失業を、過剰という名のもとに犯罪であると宣言し、社会はこれに餓死という刑罰を加えるべきであるとした。ところが救貧法委員はそれほどは残酷ではなかった。むやみに直接に餓死させることは、救貧法委員にとってさえ、あまりに恐ろしいことであった。よろしい、と彼らはいった、貧民諸君にも生きる権利はある、しかしただ生きるだけの権利だ。君たちには繁殖する権利はない。同じように人間らしく生きる権利もない。君たちは国の災いなのだ。われわれは、国のほかの災いと同じように、君たちをすぐにとりのぞくことはできないにしても、君たちは、自分がこういう災いであり、少なくとも抑制されるべきであると感じ、また、直接に、あるいは、他人を怠けさせ、失業するように誘惑して、これ以上に「過剰な人々」をつくってはならないと感ずるべきである。君たちも生きていくがよい。しかし、やはり過剰になるかもしれない人びとへの、いましめの見本として生きていけ」(註1)

 

 一方、『オリヴァー・ツィスト』にはこのような件がある。

 

「この委員会のメンバーはみな非常に賢く、博学で、哲学的な人物だったので、救貧院に注意を向けたとたん、一般の人々がとても気づかないようなことに気づいた──貧乏人は救貧院が好きだったのだ! 貧しい階級にとって、そこは願ってもない公共娯楽施設、何も支払う必要のない酒場だった。一年をつうじて、みなに朝食、昼食、お茶、夕食が出され、遊びばかりで仕事のない、煉瓦と漆喰からなる理想(エリユシ)(オン)である。(中略)そこで彼らは貧しい人々に選択肢を与える(なぜなら、彼らは誰にも無理強いしないからだ)というルールを定めた──救貧院に入ってじりじりと飢え死にするか、入らずにすぐさま飢え死にするか。」(註2)

 

 以上の二つの文章には、救貧院の本質が見事に言い当てられている。救貧院という施設がいかに抑圧的で非人間的な所であることが分かる。救貧院でのオリヴァーたちには、日に三回の薄粥と、週に二回のタマネギ、日曜にはロールパン半分がだされる。ある日、少年たちを代表してオリヴァーが一つの行動をとる。薄粥が配られ、子供達はたちまち平らげてしまう。少年たちはオリバーに目配せをし、隣の少年がオリバーを肘で小突いた。オリバーは空腹のあまり絶望しつつ、声を発する。「お願いします。お代わりをください」(註3)と嘆願するのだった。

 

「お代わりをください」との一言に、給仕は青ざめるだけではなく、よろめいて竃の縁に手をかけ、助手は驚きで、少年たちは恐怖で動けなくなるのであった。救貧院の運営をつかさどる委員会は、オリヴァーがお粥のお代わりを求めたと聞き、慌てて処分を検討する。委員の中にはオリヴァーが絞首刑になるだろうと言い、それを否定する者もいない。結局、オリヴァーは独房に監禁された後、葬儀屋に引き取られることになる。

 

「お願いします。お代わりをください」──空腹が満たされない少年たちを代弁するオリヴァーの嘆願が、犯罪として扱われる。これは、まさしく一人の人間が生きつづけることの不可欠な条件の一つを奪いとることに他ならない。生命活動を維持することが困難になり、それはそのまま死を意味する。生きる権利が否定される。それはじわりじわりと襲ってくるのではなく、生命活動を直接的に破壊するという、切羽詰ったものだ。

 

 貧困は罰だというが、こうした救貧院制度そのものこそ罰だ。これは、ディケンズが「救貧院に入ってじりじりと飢え死にするか、入らずにすぐさま飢え死にするか。」、そしてエンゲルスは「君たちも生きていくがよい。しかし、やはり過剰になるかもしれない人びとへの、いましめの見本として生きていけ。」と告発している。

 

『オリヴァー・ツィスト』の時代背景は1830年代のイギリスであるが、1832年の第1次選挙法改正では、人口が少なく都市選挙区の体をなしていない「腐敗選挙区」を数多く廃止し、マンチェスタやバーミンガムのような都市や人口の多い州に配分された。また中産階級と熟練職人のなかでも特に高賃金を得ていた一握りの人々があらたに有権者に加えられ、大部分の労働者は除外されたままであった。このことによって、社会の富人には地主貴族に中産階級が加わり、下層の間に引かれた「富める者と貧しき者」という社会の区分線は一層明確になった。さらに、公的な救済は、貧民の怠惰を助長し、自助独立の気概を失わせるとしたマルサスの人口論の原理を基に1834年に救貧法が改正され、救貧院が設立された。上記に述べたように、救貧院のその運営と環境は劣悪なものであり、子ども、病人、老人など働けない貧民も区別なく、貧しい食事と厳しい規律が強制された。新救貧法の実施にともない、救貧院の収容者は囚人なみに扱われ、人命は軽視され、残虐な行為が平然とおこなわれることに対して、1830年代の後半には人びとの抗議、抵抗がはげしくなった。

 

 そのような社会情況の中で、ディケンズは、『オリヴァー・ツィスト』を通して新救貧法に対する立場を明確にし、これを告発し、当時の下層社会の悲惨な実態を描いた。また、救貧院の非人道的な冷酷さにとどまらず、フェイギンやサイクスたち下層社会の犯罪集団による泥棒、強盗、ごろつきの浮浪者、売春婦、人殺しやオリヴァーのような孤独な逃亡児たちなど社会の暗部でうごめく姿、スラムの実態を暴きだしている。ここには、恵まれない境遇のオリバーではなく、恵まれないイギリスの労働者階級の状態の一側面が読み取ることができるもので、ディケンズは人間と社会の真実をアイロニーによって鋭くかつ的確に描き出している。

 

『オリヴァー・ツィスト』は小説だからフィクションであろう。しかし、現実に起きているかのようなリアルさがある。そのリアルさはエンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』で矛盾の構造やその背景を暴いたのに対し、ディケンズは、そこにオリヴァーという一人の人間を据え、悩み、葛藤し、生きる姿がより現実味を持ったものとして描きだされているのである。まるでエンゲルスの本のなかから一人の少年が飛び出し、当時のイギリスの子供やロンドンの情況を再現してくれたように思われた。

 

 エンゲルスの盟友、カール・マルクスはチャールズ・ディケンズの名前もあげながら「イギリスの小説家の生き生きとした、雄弁な作品は、あらゆる職業的な政治家、政論家、道学者たち全部をあわせたものが口にしたよりもはるかに多くの政治的・社会的真実を世間に伝えてきた」(註4)と述べている。

 小説の効用が実感できる一文である。

 

<引用註>

1 エンゲルス  143-144頁。

2 ディケンズ  21-22頁。

3 ディケンズ  24頁。

4 マルクス   655頁。

 

<文献表>

・川北稔 編 『イギリス史』 山川出版社 1998 

・島田 桂子 『ディケンズ文学の闇と光──<悪>を照らし出す<光>に魅入られた人の物語』 

彩流社 2010

・三ツ星堅三 『チャールズ・ディケンズ──生涯と作品──』 創元社 1995

・カール・マルクス 「イギリスの中間階級」(『マルクス=エンゲルス全集』第10巻所収、青木書店 1963

・チャールズ・ディケンズ/加賀山卓朗訳 『オリヴァー・ツィスト』 新潮社 2017

・フリードリヒ.エンゲルス/浜林正夫訳 『イギリスにおける労働者階級の状態』上、下 新日本出版社                  

2000