⑤シェイクスピアとペスト その1 | 文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

文字の風景──To my grandchildren who will become adults someday

After retirement, I enrolled at Keio University , correspondence course. Since graduation, I have been studying "Shakespeare" and writing in the fields of non-fiction . a member of the Shakespeare Society of Japan. Writer.

 

 1564年、シェイクスピアが生まれた年、ストラットフォード・アポン・エイボンに疫病(ペスト)感染の波が押し寄せ、半年で337人が死亡しています。町の人口の一割以上です。シェイクスピアは後にロンドンで活躍することになりますが、その生涯で6度のペストの流行(1564年、1582年、1592~93年、1603~04年、1606年、1608~09年)を体験しています。ロンドンで芝居が打てず地方巡業もしばしばありました。

 

 ペストをめぐる深刻な危機はシェイクスピアの作品にも反映されています。二人の恋人をめぐる悲劇である『ロミオとジュリエット』では、ペストの感染のことが描かれています。

 仮面舞踏会で知り合った二人は深く愛し合いますが両家はかねてからの仇敵どうしの間柄。二人を密かに結婚へ導いたロレンス神父は、喧嘩に巻き込まれ追放の身となったロミオに便りをしたためます。そこには、ジュリエットが一時的に仮死状態となる薬を飲み、蘇生後にロミオと駆け落ちする手はずが記されていたのでした。 

 

 しかし、手紙はロミオに届かず、彼は霊廟に横たわるジュリエットを見て、死んだと勘違いして毒薬を飲んでしまいます。その後、目覚めたジュリ エットはロミオの亡骸を見て絶望し、短剣で自殺するのです。重要な計画がロミオに伝わらなかったのは、手紙を託されたジョン修道士が「伝染病におかされた患者の家にいあわせたと疑いをかけられ」、今でいう「濃厚接触者」とみなされ、検疫官に戸を封鎖され、隔離されてしまったからです。実際、当時のロンドンでは、感染者もその家族も、病気が治るか、死ぬかするまで閉じ込めらるという厳しい措置がとられていました。

 

 こうして、2人の愛はペストによって悲劇へ向かうのです。シェイクスピアは他の作品でも、単に比喩的なものとして、あるいは恐怖をよび起こすものとしてペストのことをとりあげています。