『マクベス』には、権力の座をねらう暴君マクベスとペスト感染の恐怖とを重ね合わせた町の沈鬱な様子が、次のように描写されています。
溜息、呻き、嘆きが天をつん裂くが
気にとめるものもない。激しい悲しみの情も
日常茶飯事としか見えない。弔いの鐘を聞いても
だれが死んだか問うものもない
『リア王』では、リアが長女ゴネリルを「おまえはわしの腐った血が生み出す腫れ物だ、吹き出物だ」とののしり、『アントニーとクレオパトラ』では、どちらが勝っているかと問われた兵士が「味方はまるで疫病やみだ、死斑が現われている」とこたえています。『恋の骨折り損』では、「あの三人のからだに隔離患者用の札をぶらさげてほしいな、三人とも心臓に悪い病気がとりついているのだ」と、恋の病をペストに喩えているのです。
また、『アテネのタイモン』では、アテネを征服しようとする武将に対して、タイモンは「大ジュピターが悪徳のはびこる町に毒の雨を降らせるときの疫病のように猛威をふるうのだ」と語ります。
シェイクスピア作品には、比喩としてペストを表現してはいるものの、ペストを主題とした作品はありません。ロミオはペストによる犠牲者だったともいえますが、ペストにかかり死に逝く人はいません。
ペストの感染には、人間社会が作りあげた境界線はありません。
強力な感染力はあらゆる人びとに襲いかかり、何千、何万人もの人々──父、母、夫、妻や子どもたちを墓場へいざなう恐るべき存在でした。そこでは、一人ひとりの生活や思考、感性、性癖などの個人の独自性はすべて奪われてしまいます。〝今日の死亡者は何人、感染者は何人〟と数だけが浮き彫りにされ、個々人の人生の物語は省みられることはありません。こうした中で、シェイクスピアは、恐るべきペストを記録として残すのではなく、人間をあるがままに描くことに重きを置いた作品ばかりを残しました。