『リチャード3世』(推定執筆年1592-3)は、主人公が苦しいほどの野望に燃え、王座にのぼりつめる生涯を描いています。リチャードはアン王女の夫と舅のヘンリー6世を殺害した人物です。その殺人者がアンを口説くのです。
ヘンリー王の遺体と共に教会に向かうアンに、リチャードは胸をはだけ結婚を迫ります。愛を受け入れてくれないならば、この胸を剣で突き刺してくれと。彼女はその胸に剣を突きつけますが、逡巡してしまいます。
「ためらわれるな、ヘンリー王を殺したのはこの私だ、/だが私にそれをさせたのはあなたの美しさだ。/さあ、早く、王子エドワードを刺したのはこの私だ、/だが私をその気にさせたのはその天使のような顔だ。/その剣をとられるか、それとも私をとられるか」
リチャードはなおもうそぶき、もう一度死ねと言われるがいいと訴えます。
「そうすればただちに/あなたへの愛ゆえに
あなたの愛する人を殺した手が、/あなたへの愛ゆえにあなたを愛するものを殺すだろう/いずれにしろあなたは二人を死に追いやった共犯者だ」
厚顔無恥の邪悪さとひねくれたユーモアにあふれたせりふはつづくのです。
アンはリチャードの顔に唾を吐き、嫌悪しながらも、彼が差し出す指輪を受けとり、求婚に応じてしまいます。
リチャードはほくそ笑み、独白します。
「こんな気分のときに求婚に応じた女がいるか?/あの女はおれのものにする、/だがいつまでも手もとに/おく気はない」
アンへの甘言にはひとかけらの愛情もないのです。
「夫も舅も殺されながらアンはどうして?」と思われるのではないでしょうか。
こんな疑問にシェイクスピアはこたえてくれません。先に徹底した行動があって、その行動があらたな行動を生むのです。その底知れぬエネルギーに圧倒されます。これがシェイクスピアの凄さなのだと思います。
リチャードは悔やむことなく残虐非道の生涯を貫ぬきます。この作品には、主人公の苦悩や迷いはほとんど描かれていません。この点が他のシェイクスピア作品にはない特徴としてあげられます。