小さい子どもを守るということ | 『自炊力は人間力』おだしプロジェクト土岐山協子の〜「自炊はじめよう」ブログ

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おだしプロジェクト代表の土岐山協子と申します。
日々の徒然を書いております。『ゼロからはじめる自炊塾』という、大学生以下無料の料理教室をやっております。料理をする人が少しでも増えたら嬉しいなあ、と思っています。

皆様こんにちは

土岐山です( ´ ▽ ` )

暑い日が続きますね

夏休みだからでしょうか
普段子どもをみない場所でも子どもの姿を見ることが多いです


昨日長い文章のメールを一件受けとりました
ご本人の了解を得て投稿しています

一昨年前に私は居酒屋での飲み会に子ども(当時二歳前)を連れてきたお母さんを帰しました
その前に個室が空いていないかを店に聞いたが空いていなかったんですね
主催者の方はその方の参加は聞いていたけど子ども連れとは聞いていなかった、できたら子どもは遠慮してほしい、とのことだったため、主催者の了解を得て私が帰るように言ったのです

お母さんは相当気を悪くしたのか、それから急に音信不通になりました
時折、元気かなと思い出していたりしましたが昨日の朝そのお母さんから長いメールが届いていました

内容を簡単に説明すると、先日居酒屋に子ども(今三歳ぐらい)を連れて飲み会に出たら、隣のテーブルの男性が酔いつぶれて自分たちのテーブルにダイブ(わざとではなく)するような形になったとのこと

その時に割れたグラスの破片で子どもが怪我をしたらしい

手紙には、子どもが怪我をして始めて自分が子どもを大切にしていなかったことに気づいたということ
子どもの傷は痕が残るかもしれなくて居酒屋に連れていったことを大変後悔しているということ
できたらこのことを私のFacebookやブログで書いて欲しいということなどが書かれていました

この投稿は、それ見たことかということでも、だから居酒屋に子どもを連れていったらダメなんだ、という自分の主張の正当性を誇示したいためのものでもない

お酒を提供する仕事をしていた私の経験からすると、酒は度を越すと正気を失わせる危険な飲み物である
正気を失った時悪気なく暴れる場合もあるし、この場合のように飲みすぎて意識を失い倒れる場合もある

そういう場所に子どもを主体的に連れていくとはどういうことかを大人は心して欲しい

もっとも、危険な場所は世の中に沢山ある
例えば山登りに行かせて怪我をして帰ってきたなんてこともあるだろう
小さい時に川で溺れそうになって、という経験をした人もいるかもしれない

しかしそういったものは単なる事故で、天命だ
前向きに生きていてのトラブルは誰も避けようがない
自身の成長に必要な行動によって身体が傷ついたとしても、返って心の成長になる場合の方が多い
困難や苦労を乗り越えて人は成長するからだ

しかし「大人が楽しむという目的」としての居酒屋での飲み会に未就学の子どもを連れていき、個室もとらず、他人の酔っ払いと空間を一緒にしたり、子どもそっちのけで話をしたりすることが、果たして「我が子を大切にする」という行為なのかを考えてみて欲しい

親も息抜きは必要だという人もいる
それはもちろんそうなのだろう
どうしても息抜きしたい時は信頼できる人に預けることや、預ける人がいないのであれば個室をとること
もっと子どもを優先した考え方に基づいた行動はいくらでもできる

居酒屋という、他人の酔っ払いが沢山いる危険な場所で怪我なんかをした日には身体の傷はもとより、「親は私の身の安全よりも自分の欲望を優先した」
という記憶が心に残るのだ
頭では覚えていなくても感覚はそれを忘れない

「あなたが大切」や「愛してる」なんて口ではいくらでも言える
子どもは言葉なんて聞いていない
親の目と心が自分を向いているかどうか
それだけを見ている
向いていなかったら向かせようと様々な行動にでる
奇声を発したり暴れたりする子どもはまだわかりやすい
黙って親のいう通りにして気に入られなくては、という行動に出る子どももいる
これはかなりサインとしてはわかりにくい
普通に「いい子」と言われていた子が大人になってから問題を引き起こす(法に触れる犯罪という意味ではなく、大人になっても自分のことが嫌いだったり、人を許せなかったり、感情をコントロールできず不機嫌になったり、自己顕示欲が強かったり、他人と自分を比べて苦しんだり、人が妬ましいために人を陥れる嘘をついたりするなどの幼児的な行動)ことの要因は

信頼できる大人に守られていたという絶対的な安心感を経験していないからだと土岐山は思っています

人を疑う人がいるが、それは周りに信頼できる大人がいなかっただけだ
教えてもらっていないこと、経験していないことは身につかない

あなたが大切よ、と口では言って、実際一緒にいる時に子どもをそっちのけでインターネットに興じていたり、他の人とずっと楽しそうに話しをして自分の方を全くみないことが続いたら、子どもは「言ってることとやってることが違うじゃん。大人は嘘つきだ」と思うだろう

あなたを愛している、といいながら自分の生き方を優先して時間がなくなり、レトルトの食品や出来合いのお弁当を食べさせられたら子どもは大いなる矛盾を感じるだろう
まだ、「お前が嫌いだから料理なんて作らない」と言われながらカップラーメンを与えられたほうが、言っていることとやっていることが一致していて理解ができる

頭と心と身体がバラバラになると人間はおかしくなる
カロリーゼロの甘味で、味覚的には脳で甘さを感じても身体は血糖値が上がらず、そして心は実はこれは偽物の甘味だとわかって自分を騙していることを感じるようなものだ
偽物は頭と心と身体をバラバラにする

だから親をはじめ子どもと関わる大人は
子どもと正面から向き合って欲しいのだ
人と向き合うのに嘘なんて必要ないだろ
この場合の正直とは
思ってもないことを口にしないということだ
人の心を守るために、嘘は必要な時は、ある
そこと一緒くたにはしないで欲しい


まず、子どもは一人一人違う
だから今自分のそばにいる子どもをよく見る必要がある
人と比べる必要はない
その子はその子
世界に一人しかいない
教育書なんてあんなもん全くあてにならないよ
子どもは工業製品じゃないんだよ


子どもよりも自分を優先してしまうという人がいる
それはまだ自分自身が大人としての精神をまだ持ち合わせていないということなのだ

まずは自分が大人になりきれない理由が何なのかをじっくり考える方が先だ
親が自分にしたことを自分の子どもに同じようにする必要はない
なぜなら親とあなたは違う人間だからだ
生まれた時代も出会った人も全く違う
違う道を歩むことはできる

自分を後回しにして人のことを考える心の余裕と器を持つ人を大人というのだと思う

大人は、子どもと一緒にいる時は子どもを優先して欲しい
優先するとは決してわがままな行動を放っておくこということではない

今なぜ泣き、なぜだだをこね、なぜ奇声を発するのか、という子どもの行動にじっくりと向き合うということだ

なんのためにじっくり子どもを見る必要があるのか
教育のためだ
なんのために教育するのか
親がいなくなっても自分の力で幸せに生きていけるように自立した人格を育てるためだ
子どもを自立させるために教育するのは大人の義務だ

大人である私が子どもの心よりも優先するものなんて世の中にありはしない

毎日の子育てで体力的に疲れるという人もいるでしょう
その時は周りを頼って少し休んだらよいと思います

しかし子どもの心に休みはない
私達大人の心も同じように休みがないのだから当たり前だ

子どものいない私が何ができるのかを、こうやって子どもが沢山いる光景を見るたびに思うのです


写真は先日の
佐々木十美さんのカレー教室

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我が子を温かくみつめるお母さんが
世の中で一番キラキラしていると
土岐山は思います(^^)


土岐山拝