こんにちは東建ハウジングです。
終戦から5年ほど経過した昭和25年辺りから日本の工業復興は始まりました。
そしてこの時期は地方から仕事を求めて東京への移住する人々が多く、久慈もその中の一人として北海道から学校へ通うため19歳で上京することになります。
しかし、身一つで上京した久慈は勉強どころか住む場所も決まってないという状況。
住み込みで仕事ができて勉強をできる環境をということで飛び込んだのが左官業でした。
そこからは怒涛の日々が続きます。仕事をしながら建築と社会学を学ぶべく夜間学校に通う毎日。通常の学生と違い昼間は仕事をしていますから、睡眠時間を削って勉強するしかありません。
しかし、当時の収入では夜間学校の授業料をまかないきれず、やむなく1年で夜間学校を退学することになります。
しかし、当時の収入では夜間学校の授業料をまかないきれず、やむなく1年で夜間学校を退学することになります。
その後は左官業を続けながら、“世の中を変えてやろう”という野心のもと、建築業界の労働環境を改善するための勉強や運動にも積極的に参加していました。
そして26歳のときには、左官業で独立起業するに至ります。
そして26歳のときには、左官業で独立起業するに至ります。
次回は、久慈が25歳の若さで自営業として独立した話を紹介します。
