こんにちは、東建ハウジングです。
前回は弊社の簡単な自己紹介をさせて頂きました。
本日は、皆様に東建ハウジングをもっと身近に感じて頂けるよう、代表の久慈正己について紹介していきたいと思います。
弊社代表の久慈は、昭和11年に北海道三笠市幌内という炭鉱の街に生まれ、美唄茶志内炭鉱で小学校3年生の時に終戦を迎えています。
当時の住居はベニヤ板一枚で仕切られた6畳2間の長屋に家族8人で暮らし。当然ながら近隣の世帯も同じような造りになっていますから、部屋と部屋、家と家の会話はほぼ筒抜け状態でした。しかし、久慈はそのような生活環境の中でも全く気にはならず、むしろ暖かい暮らしだったと語ります。
当時の住居はベニヤ板一枚で仕切られた6畳2間の長屋に家族8人で暮らし。当然ながら近隣の世帯も同じような造りになっていますから、部屋と部屋、家と家の会話はほぼ筒抜け状態でした。しかし、久慈はそのような生活環境の中でも全く気にはならず、むしろ暖かい暮らしだったと語ります。
なぜなら、炭鉱の街だけに落盤事故や雪によって人命にかかわるようなトラブルは日常茶飯事。世帯で隔てるのではなく「全員で助ける」という連帯意識が常にあり、街全体が家族のような暖かい環境だったからだといいます。
久慈は、この幼少期における“街全体が家族”という暖かい暮らしが、東建ハウジングの家づくりのコンセプトになっていると考えています。
“暖かい”というのは人と人の気配を感じられるということ。
現代のような情報化社会の中で、個人のプライバシーを守るということはとても大事ですが、そのような流行りの住宅構造の中で、子どもや老人が孤立化してしまうという現状もあります。
東建ハウジングでは、代表の久慈が体験してきた古き良き昭和時代の暖かさを大事にした家造りに取り組んでいきたいと思います。
現代のような情報化社会の中で、個人のプライバシーを守るということはとても大事ですが、そのような流行りの住宅構造の中で、子どもや老人が孤立化してしまうという現状もあります。
東建ハウジングでは、代表の久慈が体験してきた古き良き昭和時代の暖かさを大事にした家造りに取り組んでいきたいと思います。
次回は、久慈が19歳で飛び込んだ建築業界について紹介します。
