求めたことが実現する世界 | tokaiama20のブログ

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 久しぶりに、外に出られないほどの土砂降りになっている。また、かなり長い間(たぶん半月くらい)、連日の不安定な天気が続いている。
 まあ、3月~4月は、季節の境目で、北の気団が弱まり、南の気団が強まるなかで前線の位置が入れ替わることで天候が不安定になる傾向がある。
 しかし、今年は、少し異常性が強い気がする。

 この雨が、何によってもたらされているかを考えるとき、私は、地上のたくさんの命が雨を求めているのだと感じている。
 「意思が世界を作り出す」
 これが宇宙の本質であると私は考えているのだ。

 もちろん、人間社会の知性は、これを真っ向から否定している。現在の世界、そして人々の認識のスタンダードになっているのは「科学的方法論」であって、それは唯物論を原理としている。
 唯物論の原点は、たぶん、「偶然による突然変異と淘汰進化説」を主張したダウィーニズムだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

 自然界の動きに意思の関与は存在しない。すべては偶然に起きる突然変異であり、それが必然性によって淘汰されることで世界が変化してゆく。
 生物のあらゆる進化もまた、生物自身の意思ではなく、偶然と自然淘汰だけが関与している。

 マグロが高速で泳げるようになった理由も、マグロの意思など無関係だ。たまたま速度の速い個体が、たくさん生き延びて繁殖できる確率が高く、マグロ全体が高速で泳ぐようになった。もし、遅い方が生き延びていたなら遅くなったにちがいない。
 と考えるのがダウィーニズムだ。だが、これに異議を唱えたのが今西錦司だった。
 
  今西錦司 ‐ 「すみわけ理論」 と 「生物の世界」
  https://nafu.ac.jp/magazine/41708/

 農作物の世界で、優れた品種を開発する手法としては、選抜(たまたま見つかったよい品種を種子や接ぎ木で拡大していく)、淘汰(劣る品種には子孫を残させない)、交配(異なる種類のおしべ・めしべを掛け合わせて、優れた新品種を生み出す)、ゲノムの編集、遺伝子組み換えなどがあるが、いずれも背景には「優勝劣敗」の発想があると思う。
 種の起源(1859年) 
 イギリスのチャールズ・ダーウイン(1809~82)は、「生物は、弱いものは生存競争に敗れて滅び、環境に適したものが、生き延びて進化していく」と説いた。これが、中学校の社会科教科書にも登場する「いわゆる進化論」である。

「すみわけ」 による進化論へ 
「競争と自然淘汰」に異を唱えたのが日本の科学者(昆虫学者)今西錦司である。1933年の夏、京大理学部の講師をしていたころ、昆虫採集のフィールドだった鴨川で、一つの発見をする。

 川の中に棲む4種類のヒラタカゲロウ幼虫が、川の流れの速さに応じてきれいに分布していたのである。
 もし、弱肉強食、競争による自然淘汰であるならば、「究極の世界では、1種類の生物しか生存しなくなる」はずであるが、ここでは、4種の生物が、いずれもすみわけながら共存している、つまり、生物同士の生存競争は生き残りゲームではなく、共存して「すみわけつつ進化する」と考えた。

 また、今西は、この考え方を他の場所でも検証し、これを「生物の世界」として発表する。太平洋戦争勃発の1941年のことであった。今西の「すみわけ」は、イギリスの科学雑誌(たぶんネイチャー)に「反ダーウイン説」として紹介され、世界に進化論論争を巻き起こしたが、いまでは、「今西進化論」「今西自然科学」として定着、認められている。
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 一部引用以上

 ダーウィンは、「自然淘汰は優秀なものだけが生き残り、劣ったものは滅ぶ運命」であることを示唆したのに対し、今西は、「生き物は劣っていても、棲み分けることで自分たちの生存条件を確保する」ことを示した。
 これは欧州に根付いていた、劣ったものは滅び去る運命だとする「優生保護思想」に対する本質的な批判になったので、戦前に大きな論争を巻き起こしたものの、戦争によって無理矢理中断に追い込まれた。

 今西は、生物は、自らの意思によって進化の条件を獲得すると考えたのだ。
 これはダーウィニズムが唯物論であることに対し、いわば生物界の本質は、意思の関与する「唯心論的世界」であることを示したものだ。
 マグロの話で言えば、早いマグロも遅いマグロも、それぞれの条件で棲み分けて自分たちの生存環境に適合して行くというわけだ。

 生物は、自らの意思によって環境に適応し、淘汰されない条件を生み出すことができる、つまり、自然界には偶然の淘汰以外の「意思」という巨大な力が働いているのであって、生物は偶然に翻弄されるのではなく、自らの意思によって逆境を克服できるのだという意味になる。

 今西進化論は、この世界は偶然に支配されているわけではない。命が自らを変えることのできる世界であり、意思が世界を定めているということになる。
 つまり、唯物論は間違っていて、唯心論が正しいことを示唆する問題でもある。

 だから、冒頭に、今日のこの大雨は、もしかしたら地上の生き物たちの総意によって生じているのかもしれないと私は思った。
 春の芽吹きのために雨を求めている命の意思があるのだと……。

 「意思が世界を変える」というのは、もちろん人間社会でも同じで、人々の意思が反映されて社会が変化するはずなのだが、現実は違う。
 人々の意思をくみ取った政治が行われている理想国家など、実は見たことがない。大半の国では、政治力や軍事力を支配した連中が、自らの利権のために国家を利用し、人々を従わせているのだ。

 とりわけひどいのが、中国、ロシア、北朝鮮など旧共産主義国家だ。これには理由があって、共産主義の理論を作ったマルクスの著作に「ゴータ綱領批判」というのがあって、そこに、共産主義国家実現のためには「必ず一党独裁」が必要だと書かれているのだ。
 これを要領よく利用した革命勢力は、独裁社会を正当化するのに「一党独裁理論」を持ち出してきた。

 一党独裁は、指導者の長期的利権を保障してくれるので、例えば、日本共産党の志位委員長も23年の長期独裁体制を築いたが、批判されて退き、指名した後任の田村委員長もまた「一党独裁=民主集中制」を謳って、長期独裁を続けようとしている。

 こんな長期独裁体制では、どんな屁理屈を並べても、矛盾が累積して開かれた透明性の高い組織にはならない。利権が固定されて、本来の目的はスローガンだけしか残らなくなる。
 だから組織を信奉する人たちにも不満が鬱積し、いつか組織そのものの存在理由や合理性に疑問を抱いて否定する力に変わってゆくのである。つまり滅びる。

 独裁政権の害悪がひどい中国・ロシア・北朝鮮でも同じで、人々は国家組織に不信感を抱き不満を持つが、それを国家の統制暴力組織が抑えつける仕組みがあって、「国家に文句を言えば殺される」という仕組みのなかで沈黙せざるをえなくなる。

 だが、国や体制に対する不満は、際限なく累積してゆき、人々は「この体制を崩壊させなければ未来はない」と考えるようになる。
 一部の能力や資力の高い人たちは国外に脱出し、外の世界の自由を目指す。しかし、脱出できない人たちは、心のなかに暗い苦しい心情を沈殿させ続ける。
 この人々の心=意思は、何を産み出すのだろう?

 国が滅びる前には、たくさんの天変地異や飢饉など異変が続くようになる。
 日本では、戦国時代までは温暖な安定した気象が続いたのだが、江戸期に入って小氷期の寒冷化が押し寄せてきた。
 徳川幕府がある程度住みやすい社会を実現していたのは八代将軍吉宗の頃までで、それ以降は、飢饉や天災が相次ぎ、庶民の生活は苦しかった。
 政治が悪くなると、気象まで悪化し、宝暦以降は飢饉や一揆が相次いだ。天明時代には最悪クラスの大飢饉になり、数十万人の餓死者が出た。

 江戸時代、庶民は飢饉や災害、疫病の蔓延は人間の奢りが招いた「天の戒め」「天罰」であるとする世界観を持っていた。
 政治の悪化、無力化と天災や疫病は相関性を持っていると人々が感じていたのだ。
 これは中国でも同じで、老荘思想のなかに、皇帝の施政が悪化すると天災が起きると書かれていた。
  https://10mtv.jp/pc/content/detail.php?movie_id=1587

 人々は、政治に対する不満が累積すると、社会が悪化することで為政者が交代に追い込まれることを期待するようになる。
 天災というのは、自然の摂理というより、実は、その時代の人々の感情、意思の結果であると考えることもできる。

 北朝鮮では、金王朝の独裁体制が始まってから、自然条件が好転して社会が潤ったことなどほとんどない。みんなが絶望することしかできない社会で、自然や物事がうまくゆくことなどないのだ。
 中国も習近平独裁体制が民衆生活を圧迫するようになってから、次々に洪水や飢饉、蝗害や大地震などに見舞われている。
 老荘思想によれば、これは民衆の権力者に対する意思の反映ということになる。

 翻って、日本社会を見ても、消費税が導入され、安倍晋三が10%に爆上げした頃から、天災や疫病がこれでもかと続くようになった。
 政治と自然など何の関係もないと信じている人が大半なのだが、実は、政治不信や生活不安が、自然の摂理になんらかの影響を与えていると感じる人は少なくない。

 芽吹きを待つ春の自然界が恵の雨を求めるように、失政、悪政に苦しむ人たちは、為政者を支えている社会体制の崩壊を無意識に望むのだ。
 習近平独裁、つまり中国共産党独裁体制の崩壊をもたらすためには、中国経済の全面的崩壊が必要であって、これは生活や暴力的統制に苦しむ中国人の心の底から湧き出てくる求めである。

 今まさに、それが起きようとしている。中国共産党体制が延命しようとすれば、台湾や日本に軍事侵攻するしかないのだが、それが成功するとしても、中共体制が存続することを中国の人々も、世界中も許さないだろう。
 我々は、ひとつの歴史的崩壊、たぶん人類社会が始まって以来の巨大な体制崩壊を目撃しようとしてる。
 それはロシアも北朝鮮も同じなのだ。

 人々は「独裁」という体制が、どれほど人の心を苦しめるものかを学んだ。
 今、我々はその巨大な崩壊を目撃しつつある。
 だが、とてつもない犠牲者が出ることは避けられないだろう。