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『鏡王女物語』 (七)中大兄皇子、そして鎌足のもとへー2

『鏡王女物語』 (七)中大兄皇子、そして鎌足のもとへー2


 寶女王さまと父上がお会いになられた次の日、父上が私をお呼びになりました。

 「安児も不憫(ふびん)な子じゃ。星回りは悪くないと思っていたが、一貴殿のことはこれも運命と諦めて欲しい。良かれと思ってあのような・・・、申し訳ない。」


「いいえ、お父様、そのように安児のことを思っていただきありがたく思っています。」

「それよりも、寶女王様との談判の首尾(しゅび 注709)は如何でございましたかと、お聞きしますと、

「寶殿との話は出来た。それがじゃ。えげつないとはこのこと、足元を見おって」と今までに見たことも無いお父上のえらい剣幕(けんまく 注710)です


しばらく息を継がれて、思い直したのでしょう、穏やかな声に強いて戻られ、話を続けられます。

 「今の、安児に聞かせたくない話だが、聞いて貰わなければならない。」

 「何事でございましょう?」

 「今度の戦の助太刀(すけだち 注711)の話は、今まで続いてきていた以前からの約定ゆえ、先方は逃げられない話じゃ。じゃが、いざとなってもう一つ条件を付けてきおった。」

 「???」

 「安児を、中大兄のところに寄越せと言うのじゃ。」

 「!!!」

 「済まぬ。」と、いきなり私を抱きしめられました。

 「考えてみると、寶女王は、安児を息子の嫁に、と以前より目星をつけていたのかも知れぬ。息子達のために、日の本の血筋が欲しかったのであろう。それならそうと言ってくれば、それなりに対応が出来たものを!」

 「・・・・・」 何も言えない私でした。

 「しかし、考え直してみれば、戦いの場に近い筑紫に、先々戻ることができたとしても、そなたの幸せが待つとはとても言えない今の状態。いぶせき(注712)大和の地だが、あの中大兄であればそなたを粗末にはしまい、いや私が生きている限りはさせることはない。・・・・・」


やっとのことで言葉が出てきました。「向こうには幸い額田王がいます。仏門に入り尼にとお願いしようか、と思ったりもしました。この世で生を受け、会うは別れの始まりと、お教えいただいた父上のお言葉のように、覚悟は出来ています。これも星回りの運命でございましょう」と声を振り絞りながらも、涙が止め処もなく流れてきました。


 父上が、あまりにも落ち込んでしまった私のことを心配して、古くからの気心知れた多賀を付けてくださったので、飛鳥の御殿に向かうのにも非常に心強うございました 多賀はこの話を聞いた時に、姫のお輿(こし)入れに付き添えるのは幸せです」と、言ってはくれました。 しかし、も少し私に何か言いたそうな素振りを見せましたが、それ以上のことは何も言いませんでした。 この輿入れの話が進んでいる間も、全く他人事のような感じでした。 随分前に、額田王がよしゑやし うら嘆げき居るぬえ鳥の わが念へるを 告げる如くに」と詠んだ気持ちがわかる気がしました。


 飛鳥の御殿で額田王は私と会うなり、よく来てくれました」、と、本当に喜んでくれました。これは意外でしたし、ホッとしました。なにか嫌味か皮肉っぽいことを言われることを覚悟していたのですが。 額田王は賢いので、沢山の大奥のお女中に、どうやれば寶女王様に嫌われないか、どうすれば中大兄皇子様のお気にいられるか、など助言して上げているそうです。 それがよく的を射ているので、皆の者から好かれているそうですが、気の置けない親しい友は出来ていないようです。この飛鳥の中大兄皇子の宮殿奥の中でも、いろいろ起きていたようです。


 後で思うと、ああそうだったか、と思い当たることも随分とあります。額田王の方も私が来てくれたことで、安心して話が出来る者が来てくれて、ホッとしたのかもしれません。矢継ぎ早に、まるで川の水が堰を切った時の様に、御殿内の人々の、もろもろの話を聞かせてくれました。額田王は、表には出しませんが感情の起伏がはげしいく、かつ頭の働きが鋭い人です。中大兄皇子も賢いお方ですから、しばらくしてそれを見抜き、頭の働きの良さ、その機智に富んだお話を愛でられてはいるものの、閨(ねや)への訪れはいつしか、遠のいていらっしゃるとか、多賀が都雀(みやこすずめ)のさえずりを聞いたといって教えてくれていました。


 中大兄皇子の腹違いの弟、大海人皇子(おおしあまのおうじ)は、兄と勝るとも劣らぬ出来のよい子で、また、とてもオマセな皇子だそうです。額田王よりふたつ年下だそうですから、まだ十四五くらいでしょう。額田王が例の調子で、チョッカイ掛けたのではないかと思いますが、大海人皇子が額田王にのぼせ上がっているそうです。若いものですから、外にはすぐわかるようで、御殿内外では噂になりはじめているそうです。


 そのような状態の中で、額田王が「噂に高い安児姫は私よりもず~とず~っとすばらしい女性」などとけしかけるように、中大兄皇子に寝物語にでも話したのではないでしょうか。鏡王の談判に、これ幸いと、幸山大君の要求に応じる褒美にと、母の寶女王に頼んで私を所望したものではないか、と想像できました。


 御殿に上がって三日後に、もう落ち着いただろうから、と、御殿では早速にお祝いの宴が催されました。正式に夫人としてではなく、また、いわば強引な入内(じゅだい 注713)なので、都雀のさえずりの種にならぬようにと、ささやかに催されたのは私に取っては幸いでした。中大兄皇子と並んで、飾りの付いた銚子で御酒を頂きましたら、又この前のように、ふわ~っとしてしまいました。


 気付くと額田王が扇で扇いでくれています。「お姉さま。どうなさったのですか。お酒にはお強かったのに。何かお具合いでもお悪い・・・」 

 妹同様で、なおかつ気が回る、額田王に嘘もつけず、「実は、このところ月のものが・・・」 「では撫子(なでしこ)の煎じ薬をお持ちしましょう」と、ぬか姫が言います。

  どなたが詠まれた歌かは存じませんが、次のように秋の七花を歌いこまれています。


 萩 尾花(おばな) 葛(くず) なでしこ をみなえし 


        また 藤袴(ふじばかま) 朝顔の花 (注714


 撫子の種子は、月のものの不順に薬効があることなど聞いて知ってはいましたが、「いやそれには及びませぬ」と、消え入るような声きり出てきません。

 「と申されますと、お姉さまにはお心当たりが?」、と、先回りしたような額田王の聞き方です。

 「私からは言いにくいのですが、多賀が事情は承知しています。彼女に聞いてください」と、言うのが精一杯でした。

 この話は、額田王から中大兄皇子へ伝わりましたが、皇子もこれには頭を抱えました。「やはりここは鎌足を」と、鎌足どのを至急呼び寄せられましたそうです。

           (つづく)


(注709)首尾 はじめと終わりのこと・物事のなりゆき・結果。この場合は「結果」の意味。


(注710)剣幕 興奮して怒っている態度や顔つき。


(注711)助太刀 果たし合いで助力すること。力を貸すこと。


(注712)いぶせき 気が休まらない、うっとうしいような。


(注713)入内 后や女御などが大奥に正式に入ること。


(注714)秋の七草の歌 この歌は、万葉集巻八第一五三八番 作者不詳 そのまま借用したものです。








『鏡王女物語』 (七) 中大兄皇子、そして鎌足のもとへ-1


『鏡王女物語』 (七) 中大兄皇子、そして鎌足のもとへ-1


このような穏やかな日々は長くは続きませんでした。ある冬の朝、筑紫から早馬の使いが着きました。
 
 幸山大君からの書状だったそうです。書状の封印を外しされて、巻紙を広げるなり「そんな!」と、父上が絶句(ぜっく 注701)されています。近寄りがたい雰囲気です。

 部屋に籠(こも)もられ、しばらくして私をお呼びになられました。
「気を確かに持って聞くように」と前置きされて、文の内容を教えてくださいました。
 
 一貴皇子が大君の名代(みょうだい)で百済に赴いたら、新羅兵の待ち伏せに遇い、部隊は全滅した、ということ。
 一貴皇子の亡骸は、不明のままであること。

 百済兵の生き残りの言では、逃げ込んだ民家もろとも焼かれた、とのこと。

 新羅兵の中に唐兵の装束(しょうぞく 注702)も見られたとのこと。
 百済は救援を求めていること。

 幸山大君が陣頭に立って、乾坤一擲(けんこんいってき 注703))の勝負をかける、仰っていること。

 幸山大君留守の間の日本の采配は、筑前の大分(だいぶ)君(注704)に依頼することにした、とのこと。
 此度の一貴皇子の戦死については、蘇我一党の企みがあったと判明、蘇我一党は長柄豊崎の宮で、大君によって成敗(せいばい 注705)された、ということ。

 大和一統の後詰(ごづめ 注706)の軍三万は必要であり、至急、寶女王に、東国および吉備の軍勢をまとめさせて欲しい。

 以上のことを鏡王が談判せよ。

 皇国の興廃は鏡王の交渉にかかっている、が結びの言葉。



 という内容の驚くべきものでした。

 このところ体が優れず、聞いているうちにふわ~となって、気付いたら寝間で多賀が手拭(てぬぐい)で頭を冷やしてくれていました。

 父上は?と聞きますと、寶女王の御殿に急の御用と出かけられた、ということでした。
 幸山大君が、お気に入りの歌人大伴家基(おおもとのいえもと 注707)殿によく歌わせた、あの、「海行かば」で始まる歌、男にはこの歌の気持ちの悪さが分からないのかなあと、あの時には情けなく思われました。今、あの歌が脳裏によみがえり、荒涼とした戦場が浮かび上がって、涙が止まりませんでした。



海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね) 山行かば、草むす屍 


     大君の 辺(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ (注708

十勝村梨実のブログ -つわものどもの夢のあと つわものどもの夢のあと ノリキオ画


 後は、一貴様がお帰りになろうとなられまいと、仏門(ぶつもん)に入って仏様におすがりして生きる以外は無いだろうと、心に決めました。



 ところが、そのようなことが許されない、とんでもないことが襲いかかりました。


      (つづく)


(注701)絶句 ・話などの途中で言葉に詰まること。・漢詩の形式で、起承転結の四句からなる形式に、五言絶句とか七言絶句とがある。


(注702)装束 特別な場合にの衣冠など整った衣服を身に着けること。又、その衣服のこと。


(注703 乾坤一擲 運を天に任せての台尚武をすること。


(注704)大分君 筑前国大分、今の飯塚市大分地方を根拠地とした豪族。


(注705)成敗 処罰すること。罪人を打ち首にすること。


(注706)後詰 合戦で後方に配置される軍勢、予備軍的な性格の軍勢。


(注707)大伴家基 「海ゆかば の作者大伴家持の近親者として著者が創出した人物。


(注708)海ゆかば の歌 この歌は、万葉集巻十八第四〇一四 大伴家持。第二次世界大戦中に、信時潔(のぶとききよし)の作曲で出征軍人を送る歌として盛んに歌われた。









『鏡王女物語』 (六) 飛鳥の都・一貴王子との別れー3

『鏡王女物語』 (六) 飛鳥の都・一貴王子との別れー3


額田王が出て行き、静かな日々が二年も続きました。その間に世の中では、いろいろと出来事があったようです。が、その中でも大きな出来事は、舒明(じょめい)天皇が亡くなられ、長男の吉野(よしの)皇子が継がれるかどうかごたごたがあり、結局お妃の寶(たから)女王が大王位を継がれ皇極(こうぎょく)天皇になられたことでしょう。


中大兄(なかのおうえの)皇子を天皇に、という声が高かったようですが、まだ年が若いし、筑紫との談合や加羅の国々との折衝などで、大和に腰を据えるわけにはいかぬ、と鎌足殿と一緒に筑紫との往来に忙しい日々を送っていたそうです。


時に顔を見せる、額田王の話では、中大兄皇子の弟君の大海人皇子が、ぐんぐん頭角をあらわしていて、筑紫との連絡役も充分できるようになっている、とのことです。額田王の性格からして、大海人(おおしあまの)皇子にも興味を持っているのだろうなあ、ということは容易に想像できました。


多賀から後で聞いたのですが、アバケと久慈良(くじら)の警護の者たちも、加羅へと召集がかかっていたそうです。後のことが心配」というアバケに、父上は、当地での警護は、中大兄が絶対責任を持つ、と言っているから心配するな、しっかり筑紫まで一貴(いき)様をお護りするのじゃぞ」と言って見送られたそうです。


「しばらくの間でもお前と一緒に住めてよかった、加羅(から)に行って宇佐岐(うさぎ)にもし会えたなら、私も姫も達者(たっしゃ)で過ごしている、と伝えてくれ」、と多賀が久慈良に言ったそうです。その時久慈良が何と言ったと思いますか、こんなこましゃくれたことを言ったのですよ」。宇佐岐兄は、わしが長いこと姫のところで過ごせたことを、羨(うらや)ましく思うだろうなあ、と」。


舒明天皇の跡継のことで、いろいろとゴタゴタがあったそうですが、私達の上には影響無く過ぎていきました。一度鎌足どのが屋形に顔を出され、父上と長いことお話をされたことがありました。


「繰言(くりごと)になるが、お前が男だったらなあ。まあ、一貴どのが無事に今度の勤めを果たせば、お前も正太子妃で、政事(まつりごと)にも関ることにもなろう。今日の鎌足殿の話のことは、聞きたくないかもしれないが、隣に控えて聞いていよ。聞いたことは他言無用じゃ、よいな」と、鎌足どのがお見えになる前に、私を呼んでおっしゃいました。


今まで、政事に関わることについては、何もおっしゃったり教えてくださったりされたことがないので驚きました。一貴妃としての心構えの一つとして、天下の情勢を教えておこうというお心遣いなのでしょう。


鎌足どのに父上が申されるには、「政事について、もう私が意見を言うことはない。日本が、満矛天子のお示しになされた、“世に恥じない道理のある国、日本”として続いて欲しいと願うのみじゃ。筑紫じゃ、大和じゃ、いや、新羅(しらぎ)・百済(くだら)・高麗(こま)も含めて、それぞれがいがみあっている時ではない。ただ心配は、孝徳殿が中大兄に遠慮勝ちで、結局は寶女王どので持っているようなものだ。まだ、ひと波乱もふた波乱もあるやも知れぬ。だが、今までの鎌足殿の判断をみていると、信じるに足りるものだ。中大兄・大海人の兄弟もシッカリした考えが出来ると見た。」


言葉を継がれて、「そうは言っても、加羅の国々は、こちらより苦労をしている。このたび即位された百済の義慈王殿は、日本を頼りにしているが、新羅は北の高麗を気にしている。出来れば、北と南の双方から攻められてはかわぬので、日本に百済を応援して欲しくないもの、と思っている。高麗も、日本と大和との間にくさびを打ち込めないかと、虎視眈々という有様じゃ。」


このように申され、最後に、「中大兄はシッカリ者だが苦労が足らないので、国の外まで目を配る余裕がないようじゃ。中大兄を動かすのに私が要るのなら、私を、お主が使いたいように使えばよろしい。」というようなことでした。


その後もお二人の話は続きます。

「有難いお言葉ですが、高麗と大和が結ぶなどあり得ましょうか?」と、鎌足どのが申されると、「充分ありえような。元々亡き舒明殿は、それほど加羅には関りたくない、と思っている。だが、寶女王が幸山大君との義理を大事にされる方なので、今は高麗と結ぶなどは考えられない。しかし、舒明殿所縁(ゆかり)の者ども~軽皇子~蘇我一派の流れがどう考えているか、その辺が問題じゃ」と、父上が返されます。


[新羅はどう動きましょうか?北の高麗、西の百済、南の日本と三方から囲まれていますが。」

[新羅も何か手を考えている、と思わねばなるまい。宰相の金春秋(きんしゅんじゅう)は、なかなかの傑物(けつぶつ 注410)と聞こえているでのう。大和も、欽明殿の跡取りのことで、でゴタゴタしている時ではないのじゃが。」


[確かに仰せのとおり、筋は中大兄皇子なのに、何故か寶女王さまもそのところが煮え切れませぬ。年格好から言っても軽皇子、などとおっしゃいますが、中大兄皇子も、別に年に不足はないのに、と、弟の大海人皇子など大憤慨しています。」

「ここは一つ、お主が中大兄皇子と力を合わせて、ことに当たらねばなるまい。しかし彼らの力を侮るではない。先方の術にはまったと見せておいて、名を捨てて実を取るのじゃ。力を蓄えておくのが、今は肝要と思うが、な。」


鎌足殿はお話が済まれると、寶女王の御殿に戻って行かれました。一言でも、安児どのはいかがお過ごしか?などお聞きになられるか、など思った私が間違っていたのでしょうけれど、ちょっと淋しい気がしました。


この間は、中大兄皇子は、筑紫とヤマトの往復というより、寶女王の名代(みょうだい 注411)という立場で、筑紫に居られることが多くなっているそうです。



そして、最初にお話をした、一貴様が飛鳥に下ってお見えて、盃事をした、ということになります。


十勝村梨実のブログ -固めの盃 固めの盃 ノリキオ画



外(と)つ国にお出かけになった、一貴様のことは心配でした。

しかし、一貴様は絶対に生きてお帰りになる、ひょこっと元気なお顔を見せてくださる、と信じて、次の和歌の様な気持で、お帰りを待っていましたのに。


ひさかたの 都を置きて 草枕 

旅行く君を 何時とか待たむ (注412


枕詞「ひさかた」を「都に」に掛ける、破格(はかく 注413)の使い様は、筑紫の御笠の都、天(あめ)の都の意味だと、きっと一貴様や父上なら分かってくださることと思います。

このところ、中大兄皇子が、ご不在がちなのを良いことにして、額田王が時々屋形に遊びに来てくれるのは、とても楽しいひと時でした。



以前、父上が場面を設定して歌問答をさせてくださったように、二人でそれぞれ恋人同士になって、ご披露できないような、たわけ相聞歌(そうもんか 注414)を詠みあったりもしました。



   (つづく)


(注410)傑物 人よりなみ優れている人。


(注411)名代 人の代理をつとめること、その代理の人。

(注412)ひさかたの都を置きて の歌 この歌は、万葉集巻十三第三二五二番 柿本人麻呂 にあります。そのまま借用させていただきました。



(注413)破格 普通のきまりから外れていること。


(注414)相問歌 気持ちを交換する意味で二人で詠みあう和歌。