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『鏡王女物語』 (四)額田王と共にー7

第三十回


『鏡王女物語』 (四)額田王と共にー7


蹴鞠事件の後のある日、百済の客人が見えて大君様と難しいお話をなさっている、と風が、その噂話を運んでくれました。



額田女房様が、わたしと多賀をお呼びになりました。


横には、なにやら不安そうな顔をしたぬか姫が座っています。



「突然の話しだけれど、大君様の御用で海の向こうに行かなければならなくなりました。姫も連れて行きたいけれど、そうも行きません。わたしの背の君どのも、かの国でお亡くなりになっているし、私は向こうの土になってもそれはむしろ喜ばしいことなのですが、こちらに残る姫が可哀想すぎる。」

と、仰います。



「大君様がどうしてそのようなお仕事を、あなたさまに押し付けるのですか」、

と不思議に思いお聞きしました。それへのお答えがある前に、ぬか姫が

「額田女房の輿入れ、という噂は本当だったのですね」と言って泣き崩れました。 



横でじっと話を聞いていました多賀が、口を挟みました。「今度いらした百済のお使者に、大君さまが、近頃カラの国から渡来した茶の湯というものを客人に振舞われました。その時に、ご接待された額田女房どのをご覧になり、ご執心されたそうです。」

わたしが、「ぬか姫が可哀想、お断りできないのですか?」

額田女房どのが「私も、その、姫のこともありますし、お話しをお断りお願いできませんか、と申しましたら、大君様もお困りになられ、鏡の殿様にご相談されたのです。」 額田女房どのが「私も、その、姫のこともありますし、お話しをお断りお願いできませんか、と申しましたら、大君様もお困りになられ、鏡の殿様にご相談されたのです。」



父上の話が出てびっくりして、「それで父上は何と言って、おとりなししてくださったのですか・・・」 ほかに沢山、若い女御方もいらっしゃるのに、どうして、どうして、と思ったり、なぜ理不尽な!と思ったり、ぬか姫の心を思いやり、父上が何とかしてくれるのでは、と期待したりしました。

しかし、額田女房どのは話を続けられます。 「鏡の殿様は、お国の今後がかかっていることだし、お断りは難しい。姫のことが心配なら、大君様にお願いして、然るべくお取り計らいを頼んでみようと」と、仰って下さいました。



「それでどのようなことに?」
「それで、安児姫にもよろしくお願いしたいのです。大君様は、姫は鏡の家に養女として入れる。扶持も付け、名も額田王(ぬかだのひめみこ)としようぞ、ということに決まりました。私はこれで安心して外っ国に旅立てます」と、仰られ、涙をぽろぽろと流されました。

頼りにしていた父上もどうにも出来ないことがあり、受け入れなければならないのが残念で残念でなりませんでした。世の中には情けというものは無いのでしょうか?


しかも、後の話になりますが、額田女房どのは、新羅の軍勢に追われて、百済義慈王万歳!と、後宮の数百の官女たちの先頭にたって、崖から宮城の裏の大河に身を投じたそうです。


その場所を後に、新羅の兵士は無情にも落花岩と名付けたそうです。このこともあとで時間がありましたら、詳しくお話したいと思います。

慌しく数日後に、荒津までお見送りに行きました。お船が出て行くのに皆手を振りヒレを振り、涙をながし無事を祈りました。



船が見えなくなるまで声を嗄らしながら名を呼び続け、千切れるように手を振っていた額田王のことが今でも目に焼きついています。



額田王の気持ちはこのようなものでしたでしょう。


荒津の海 幣(ぬさ)奉り 祈りてむ 

早還りませ 垂乳根の母(注422


(つづく)




“荒津の海われ幣奉り斎ひてむ早還りませ面変りせず” という太宰府官人の出張時に遊女?が詠んだ歌という説がありますが、この歌を、物語の筋により、娘が母の帰りを祈る歌に変えました。

(注422)荒津の海 幣(ぬさ)奉りの歌 元歌は、万葉集巻十一第三二一七番、詠み人しらずの和歌です。




十勝村梨実のブログ -お見送り 「お見送り」 ノリキオ画

『鏡王女物語』 (四) 額田王と共にー6

第二十九回


『鏡王女物語』 (四) 額田王と共にー6


うがや一統の使節一行が大和からはるばる見えた、という話は都中に広まっていました。総勢二百人以上で、わたしと同じ歳の十二になる葛城王子も連れて見え、とりあえず橿日(かしい)宮を行宮(あんぐう 注419)にされている、ということです。

葛城(かつらぎ)王子も後に、中大兄皇子(なかのおうえのおうじ)と呼ばれましたので、ここでも中大兄皇子として話を進めましょう。

いにしえには、幾度かうがや一統とのいさかいがあったと聞きますし、この度もきな臭いという噂も飛んでいるとのことです。

しかし、使節の主使の蘇我(そが)の大夫(たゆう)は、なかなかの人物と父上が何かの折りに仰っていました。

父上はこのところ大君様や蘇我の大夫さまなどとの宴席が多いようで、一貴皇子や鎌足どのも、ご接待に大童(おおわらわ)のようです。ある宴席で、蹴鞠(けまり)のことが話題に上がったそうです。

蘇我の大夫が、「中大兄皇子も大好きなので、筑紫の蹴鞠の名足(めいじん)の技を見せていただけないものか」と、言い出されたそうです。


十勝村梨実のブログ -けまり 「けまり」 ノリキオ画


「それも面白かろう」、と、大君もお許しになり、蹴鞠の会が、表の紫宸殿(ししんでん)の前庭で行われることになりました。特に奥の女共も苦しゅうない、ということで、最近では珍しく、晴れやかな舞台が出来上がりました。

蹴鞠の規則はよく分かりませんが、数人で鞠をけ上げて失敗するとだんだんと減っていき、最後に残った人が、第一の名足となり、大君からご褒美をいただく、ということだそうです。

一番最後に、勝ち進んできた一貴(いき)皇子と、鎌足(かまたり)どのが蹴合うことになり、満座がどよめきました。私も、どちらが最後の名乗りを受けるのか、手に汗が出ているのを忘れてしまったくらいでした。

しかし、その後に起きたことで、その汗は冷たく凍(こお)りつきました。

結果は、一貴皇子の沓(くつ)の紐が切れ、鞠と一緒に沓が飛んでしまい、試合は中断しました。見証役(けんしょうやく)の父上の鏡王が、「再度、沓を履きなおしての試合」、と、裁定しました。

しかし、大君が、「いや、装備(こしらえ)が悪いのも技量(わざ)のうち、一貴の負けじゃ、中富、天晴(あっぱ)れであった」と、おっしゃいました。「さて中富、褒美には何を望む、何なりと申せ」

しばらく間があって、「本当に望みを申してよろしいのですか。」「くどいぞ」「それならば申し上げます。カラの地から兵を戻して新羅(しらぎ)と和平(わへい)を・・・」

言い終わらない内に大君のお顔が真っ赤になり、「何を申すか!小癪(こしゃく)な!一貴、こやつを斬(き)れ!」 あたりは騒然(そうぜん)となりました。


大君の傍らで蹴鞠を観ていた蘇我太夫が静かに、 「大君様。」と、声を出されました。


「お怒りはごもっともですが、元はといえば、われらが蹴鞠を所望(しょもう)した故に起きたことで、こちらがお詫びしなければなりますまい。」と、平伏(へいふく)され、言葉を続けられました。

「われらが斑鳩(いかるが)の里は、まだまだ化外(けがい 注420)の国。蹴鞠にせよ、築城(ついき)にせよ、和歌(うた)の道にせよ、いろいろと大君のお教えを乞わなければ、とかねてより思っていたところです。

本日、このような仕儀に当たり、斬るのはいつでもできることでしょうが、もし、しばし延ばしていただき、この者を、飛鳥の里の帰化のために使わさせていただくわけにはいかないでしょうか?」

蘇我太夫の静かな声音に、大君様のお顔の朱色も引いていき、「中富、お前は運の良い奴だ、今日只今から、おのれの身柄を、うがや一統に渡す。」と、仰られて、紫宸殿の奥へ入られました。


後で聞きましたところでは、もうふた昔前の新羅との戦に、まだ若かった蘇我の大夫が、満矛大君の下で戦った際の、その軍師(ぐんし)ぶりが際立(きわだ)っていたそうです。その戦もわが方の大勝利だったそうです。

大君も、蘇我の大夫には、一目おかれているそうです。それにしても、男が生きるとは大変なことだ、ということが分かったような気がします。鎌足どのも、国を思っての意見でしたでしょうに。


後に父上のところに、蘇我の下に心ならずも入ってしまわれた、鎌足どのから届いた和歌を聴かせていただきました。

春日なる 御笠の山に ゐる雲を 

出で見るごとに 大君(きみ)をしぞ思ふ (注421

              (つづく)

注419)行宮(あんぐう) 天皇などが行幸するときに設ける一時的に駐在する施設。行を「あん」と読むのは「唐音」です。

注420)化外(けがい) 皇帝の統治・文化の及ばないところ。

注421)春日なる 御笠の山に ゐる雲を の歌 元歌は万葉集巻十二の中の、「別れを悲しびたる歌」三十一首の内の一首、第三二〇九番、 “春日なる三笠の山にゐる雲を 出で見るごとに君をしそ思ふ” で、詠み人は不明という歌です。

元歌は、女性が彼の君を思っての歌ですが、物語の筋に合わせて、「君」を「大君」に変え、男性の歌として使いました。

元歌の枕詞「春日なる」は、筑紫にも太宰府の近くに春日市というように「春日」の地名があり、「御笠」の枕詞としても不思議ではない、と思ってそのまま使いました。


『鏡王女物語』 (四)額田王と共にー5

第二十八回


『鏡王女物語』 (四)額田王と共にー5


長雨が続いた夏が過ぎ、やっと晴れ晴れとした秋が、惜しまれつつ、深まったある日、父上からお使いが来ました。



「なるべく早く、顔を見せるように」、との伝言です。

額田女房どのに宿下がりをお願いして帰ってきますと、父上が待ちかねたように仰いました。


「松浦から知らせがあり、息長の具合が良くないそうだ。なんでも半年前くらいから、食べ物が喉を通りにくくなり、薬師も匙を投げているそうだ。ついては、是非安児に会いたい、ということだ。船の手配はしている。執事をつけてあげるので出来るだけ早く鏡へ行ってきておくれ」

「父上は?」

「うむ、行ってやりたいのじゃが、このところ御用繁多でな。息長は安児に会いたい、というが、わしに来てくれとは言っていないしな」



うがや一統の軍勢の応援の話しが遅々として進んでいない、ということはミヤコの噂となっています。義理がたい寶女王は応援する気、舒明天皇は戦いが苦手、蘇我の大夫も歳を取ってきたので昔のように戦の先頭に立つのはどうも、という立場、ということのようです。



しかし、蘇我の大夫の、二番目の息子の入鹿(いるか)殿が女王様のお気に入りで、と二派に分かれているとかです。そのようなことで、父上が不在だと大君様もお困りになられるのでしょう。



執事を供に、久し振りに鏡の里に帰ることになりました。御笠から荒津までの大路が、途中でいくつも普請がなされているので、船で下ることになりました。

荒津までは小船でしたが、そこから二十尋の大船に乗り換えましたので、船酔いもせず鏡の里に三年ぶりに帰ってきました。




母上はすっかり年をとられて白髪のまるでおばあさんのようでした。体全体が細くなられて、床につかれていましたが、私を見るなり起き上がられます。

「どうぞお休みのままで」と、兄達が申し上げてもお聞き入れならず、はしために手伝わせて身支度されました。



兄達に向かって、「どうしても安児に伝えたいことがある。今から明日の朝まで安児と二人きりにして欲しい、次の間にも人は入れるな、きっとだぞ」と、病人とは思えないくらいの強い口調でキッと目を光らせられますので、皆の者は何も言えずお寝間から退散しました。



母上は豊の国から嫁いで見えましたが、元はといえば、母方は息長一統で大加羅の出だそうです。

奥の大鏡の前の灯明をともされ、練り香草を焚かれます。勾玉の首飾りを取り出され、ご自分と、わたしにも掛けさせ、一心に呪文を唱えられます。しばらくすると香草の匂いが体に染み渡り、母上の呪文に合わせて自分も唱えています。



十勝村梨実のブログ -息長の秘儀



夢かうつつか分からぬままに、鏡の中のご神体の白龍がわたしに入ってくるような感じがしました。母上が、叶うことと叶わぬこと、見通せること見通せないこと、について教えて下さいました。



「この秘儀については絶対他言無用。おのれの娘に伝える時以外は。」

と、くどく年を押されました。朝も白々と明けましたが、母上はまだ鏡に向かっていらっしゃいます。



呪文が聞こえません。「お母様」、と声をかけますと、そのまま崩れ落てしまわれました。

「誰か!」

の声に久里王子が飛んできて、その場を見るなり、「よくもまあ今まで保ったものだ、死後の塚の位置、葬儀の手配り、皆済んでしまっている。モガリを済ませたらその手筈通りにやるだけ。父上にも都から来るに及ばない、と伝えるよう念を押されていた。」

と、一気に喋り、

「ところで、一晩中何を話しされたのか。何処ぞに銀銭の壷がある、など教えてくれたのではないか?」



「何を仰るのですか。一緒にお祈りをしただけです。」あとから、玉島兄も加わり、「実のところ、租庸調の差配はみな母上がやってくれていた。年々倉の中身が薄うなって、母上が何処ぞに、と思っていたのだが」と、疑いの目で見ます。


母上の死を悲しむというより、倉の中身のことばかり気になっているようで悲しくなりました。



鏡の里で遊んだ子達も、皆、働きに行っています。ただ残っているのは、白宮の小夜姫だけのようです。執事をやって問い合わせさせますと、「今は綿花を紡ぐのに人手が足らず、空の明かりがある間は、紡ぎ車を止めるわけにはいきません」とのことです。



もっと詳しく、と聞き合わせますと、「もうわたしは姫という立場でなく、一家を紡ぎで支えていて忙しい、あなたのような御姫様とは違うのだ、会いたくない」ということのようです。



折角楽しみにしていた古里の景色も、すっかり色褪(あ)せてしまい、こんな歌しか出てきませんでした。


ふるさとの 川のせせらぎ 変らずも 


うつし世の声 聞くぞ悲しき(注418



白龍の鏡は、お母様が安児姫に、と前以て形見分けとして皆に伝えていたようで、鏡だけを抱えて都に帰りました。

             

          (つづく)


注418

元歌は、文部省唱歌。 犬童球渓一八七九年熊本県生まれ)訳詞、「故郷の廃家」です。

“幾とせふるさと来てみれば 咲く花鳴く鳥そよぐ風 窓辺の小川のせせらぎも過ぎにし昔に変わらねど・・・”の内容を物語の筋に合わせて三十一文字に仕立てたもの。

アメリカのウイリアムヘイス(一八三七年生まれ)の「My dear old sunny home」が原曲。




「息長姫の呪術」ノリキオ画