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メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

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丁寧な診察を心がけ、必要な治療や内服をご提案しております。
診断書は経過観察や医学的判断に基づき発行し、初診時に症状確認だけで即日発行することは原則として行っておりません。

面と向かって、あるいは電話で、怒鳴るのは待って。

怒鳴って、ストレス発散と思われるのでしょう。

行動して鬱積したエネルギーを発散することで、ニュートラルな、平静を取り戻そうと考えますが、

ネガティブな部分を吐き出す際には、自分にもネガティブなものを引き起こします。

スポーツしたり、歩いたり、ネガティブでないことをしましょう。

怒鳴ると、ネガティブなものを出して、また抜けた部分にネガティブなものを生じさせ、また怒鳴らずを得なくなります。

自分が出したものが自分自身でもあります。

いやと思う気持ち、その思考がそのままなのです。

いやと思っても口に出さない。

少し収まったら、頑張ったねと自分をほめてもいいです。

怒鳴るのは待った、ネガティブなことを口に出さない。

これに挑戦してみましょう。

我慢じゃないですよ、挑戦です。

 

他者から肯定されると、それだけでもエネルギーがわきます。

肯定されること、認められることが、許されることが、一番の落ち着き、安定を生みます。

日本人が、アメリカ人からそうだね、日本人が中国人からそうだね等、人種の違いではどうでしょうか。

人と人の間に、目に見えないエネルギー、波動とでも言いましょうか、それが存在するのですが、

人種や、かなり異なった療育環境の間では、そこに違和感を生んでしまうのではないでしょうか。

自己肯定感を得たくても、人種など、育った国の違いなどがあると、それが障壁になって、

なじめない、孤立感が邪魔をして、相手の好意、エネルギーを得にくい。

しかし、時間が経ち、お互いがなじめば、それも解消されるのでしょう。

日本にも外国から労働者が来られてます。

ヨーロッパで移国民保護が問題だ、過剰に保護しているなど言う団体が出てます。

日本でももっと日本人に目を向けろという政党や団体も出ています。

外国から来られた方々が日本になじむのにも時間がかかると思います。

入院して看護を受けるときも、最初は担当の方に対して警戒を持ちます。

その方々が異国の人であれば、その反応はより大きいでしょうが、

結局はその方がもつ、培われたやさしさ、人間性が、時間はかかりますが、支えてくれるのではないでしょうか。

人を外見など、一元で判断せず、しばらく様子を見る必要があります。

医師も同じだと思います。

国によって違うと言わずに、同じ人間、地球の民。

 

 

問診表を見直してみました。

これまではプロフィールを聞く項目をそろえていました。

受診していただく方の気持ちに立てば、ストレートに困っていることを書くはずです。

困っていることをより詳しく書いてもらうことが大切だと、見直す機会になりました。

全部を細かく埋めていただくことはいりません。

今、書ける範囲で、書きたいことだけ、書きたくないことは書かなくていいです。

これまで習った問診に基づいて、問診表を作成していましたが、

こうしたほうがいいのじゃないかとなりました。

明日から4月。

新しいシーズンの始まり。

たまたまの偶然かもしれませんが、問診表、帳簿の付け方の手直しを、3月末日にできました。

神様の偶然とも思える計らいに感謝します。

 

ワードなどの日本語ソフトで、また、電子カルテに打ち込む時に、

結構長く頭の中で考えたことをそのまま長く入れてから変換しています。

これが誤変換のもととわかっているのに。

また、その中で急いで入れるものだからミスタイプします。

文節ごとに入れればいいのにと、わかっているのにやってしまう。

ここを変えないと、自分が変わらない。

落ち着いて、気楽に。

そう自分に言い聞かせて、今回は打ち込みます。

 

百道中央公園が改装なってだいぶ経ちます。

最初は、こんなに人工的に遊具を配して、前の何もなく自由に、サッカーしたり、野球の練習したりしていたほうがいいのじゃないかと思っていました。

今日、祭日に外に出て公園を歩くと、漕ぎ手のない自転車のような小さなバイクに乗って、幼児が楽しそうに走っていました。

小学生と思われる子供たちが、遊具を駆け巡っていました。

改装前は土の敷地が、アスファルトになっています。

車輪を用いた遊びができます。大濠公園と同じです。

それに、遊具などに配された色彩が、当初はけばけばしかったのですが、ようやって子供たちが遊んでいるのを見ると、

その色彩があるから遊びのエネルギーが出てくるのがわかります。

整備されて、より公園は多くの人にエネルギーを与えるように感じました。

整備されて、その中で人が色彩にも刺激を受けて、エネルギーを発散しています。

人は、見て、聞いてそして互いが共鳴して、さらにエネルギーを発散させる動物と改めて思います。

体の中にあるエネルギーが、五感そして互いのものに刺激を受けて、体の外に出ていくと思います。

外に出て、刺激を受ける大切さ。

自分の中のエネルギーは出してこそ効果が発揮されるが、じっとしていると段々小さくなる。

出し惜しみすることなく、むしろ外に出て自分を解放しましょう。

 

 

浅き哲学は人心を無神論へといざない、深き哲学は人心を宗教へと誘う

 

キリストは、宗教は人のためにあるべきであり、人が宗教のためにあってはいけないのだと説いた。

 

人はおそれがあるから不安になり、不安だからまわりに攻撃的になる。

おそれることはない。

何もおそれることはない。

全ての物事は神が操っておられるのだし、神が見ていて下さるのだから。

最後にはきっとうまくいく。

おそれる理由など、何もありません。

求めよ、さらば与えられん。

探せよ、さらば見つからん。

叩けよ、さらば開かれん。

じっと止まっていずに、動くこと。

 

慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、

愛されるよりも愛することを。

与えることは受け取ること、許すことは許されること、

死することは永遠の命として生まれることなのですから。

 

どうしたらいいですかと問われ、こうしてみたらと返す。

すると、そうしたらどんないいことが起きますかと、多くの人が聞かれます。

やった人しかわからないことです。

最初からどういうことが起きるかは誰にもわかりません。

こんなことをしたらよかったからやってみたらというすすめに対して、

いいことが必ず起きなければやりませんと言っているのと同じことです。

最善なこと、自分が思うとおりになることをやる前から目指しているから、動けないし、動かない。

譲許王は動かないからもっと悪くなる。

アドバイスに素直に従えないのは、アドバイスをした人すら疑っているから。

これでは、みんな敵というわけです。

この考え方を変えてみたらどうでしょうか。

1回でうまくいかなければダメではなく、まずはやってみる。

もちろん、取り返しがつかない、とてもできそうなこと、あるいは自暴自棄なことは別にして。

やってみて、うまくいけば続ければいいし、そうでなければ、別のことをする。

もっと気楽に。

人を呪わば穴二つ(ひとをのろわばあなふたつ) 

 

悪いことを言うときに、言う前に、自分が悪いことを考えています。

そして、それを言うと言う、筋肉を通して行動を起こしています。

その上に、その言葉を一番近くで聞く、聴覚に訴えてしまっています。

自分が一番ネガティブなことを考え、行動し、受容しているのです。

相手に起こって発する悪口かもしれませんが、結果また同じことを言わないといけない事態が起きます。

人の悪口は言わない、ネガティブなことは言わない、これに挑戦しましょう。

ひどい目に会った、こんなきついことを言われた、きつく当たられると言われます。

最初から、休職の診断書を貰いに来たんだ、と言われる方も。

どんなことも自分にカンナがけをしているようなもの。

もちろん、パワハラをする人が絶対いけない。

だけど、こういう見方もできるんじゃないかなって思うんです。

九州大学病院の近くに犬丸という、有名な鳥料理屋さんがありました。

そこでは、皆、ソースは残すな、こうやって食べろとかって怒られていました。

中には大学病院の教授連中も。でもすごくうれしそうだった。

怒られて愛を感じてたんでしょう。

ひょっとしたら、マゾヒスティックな人にはたまらないのかも。

そんなふうに考えると、怒鳴り方が不十分、まだまだだな、

今日はすごくよかったとか頭の中で遊んでみたらいい。

言ってみれば、現実は所詮は自分を主役としたお芝居でしかないから。

もっと気楽に。

 

日記にきょうこんなことされた、こんな嫌な目にあわされたなど書けば書くほど自分の中に嫌な記憶が鮮明に残り、また苦しんでいきます。これは、言うことも同じ。

人間はどんなことでも考えられる。嫌なことでも、残酷なことでも、空を飛んだり、地下を潜ったり。

でも現実はそうではないからね。

思うのは自由、でもそんな自分を緩めておこうよ。

自分を許しますと10回口に出して言ってみる。

それでリセット。

ネットに書き込むことも同じ。

憂さ晴らしで書いてもそれが書いている最中に考え、頭に刻み込むので、それは地獄へ自分をいざなっているのと同じ。

ネットでそれに対する反論を書いてるのも見るけど、同じ土俵に立てば、それも地獄の誘いにので入り込んでいるのと同じ。

書くのも言うのも、現実に行うのは、明るいことを言おう。書こう。

自分を許します、自分を緩めます。

自分が主役なのに、地獄雪のシナリオを描いているのと同じ。

もっと、気楽に、明るく、楽しく。

無理してでも現実では、楽しい、楽しいと言うことが自分を守ることだよ。

議論に勝つには議論しないこととカーネギーの言ってる通り。

人を動かすを読んでみるとよくわかるよ。

 

昨年の6月に、急に受付が退職したので、それ以来一人で診療しています。

最初は受け取った保健所を返し忘れたり、これまでしなかった受付業務をすることで間違い、戸惑いばかりで、本当にご迷惑をかけしました。

不幸中の幸いで、コロナで導入した釣銭機があったので、ダイナミクスという電子カルテ兼受付機を使って、何とか、ふらふらしながらも診療を続けられました。

多大なご迷惑、失敗をおかけして申し訳ありませんでした。

一つ一つ失敗を重ねるうちに、これまで見えていなかった受付の流れがじかに染み入ってくるような感じでした。

診察から、会計、そして、見送りすることで、これまでよりも処方に関して説明できるようになって、これはうれしい発見でした。

なかなか薬を説明を実際の処方箋を使ってすることができないために、薬の効能、飲み方などの故茉奈k説明ができなくて忸怩たる思いでした。

不幸中の幸い、ヒョウタンから出たコマかもしれません。

当初一人で行うにあたり、これまで二人でやっていたクリニック運営、掃除を含めて、を一人でやるので、頭の中が常に忙しい状態でした。

診察室の移転、パソコンや暖房器具の配線など、細かいことの再整備、マット交換を外注していたのを自分で清掃するようになったこと、スリッパの整理、準備、院内の書類の整理、移転、今から考えるとよくやったなと思います。

一旦院内の電気の配線が落ち着き、段々周りが見えるようになりました。

それと同時に、これまでの西洋薬と漢方の朝得てどうすればもっと効果的か、またもっと簡潔で効果がある処方に考えが至りました。

どうか今後もよろしくお願い申し上げます。