クリニックに電話してもらったものは、出れなければ留守番電話に入れてもらい、着信通知をメールで携帯電話に流してもらっていました。
これからは、クリニックにかかった電話で、出れなかったものは携帯電話に直送してもらうサービスに変えました。
よろしくお願い申し上げます。
クリニックに電話してもらったものは、出れなければ留守番電話に入れてもらい、着信通知をメールで携帯電話に流してもらっていました。
これからは、クリニックにかかった電話で、出れなかったものは携帯電話に直送してもらうサービスに変えました。
よろしくお願い申し上げます。
頑なに独力でホームレスとして生きていくというNTさんに、私は生活保護をとって生活していくことを何度も勧めた。
兄との関係、これは生活保護をとると家族に連絡が行くためだ。
これを当初は強く主張していた。
その後、他のホームレスに聞いて、60以下だと役所は相手にしないと言っていた。
それでも粘って、促し続けた。
風邪をひいても、治るまで待つと言っていた。
まだコロナが流行る1年前だったので、健康保険に関してはそれ以上踏み込めなかった。
その後数日たって、彼からホームレス支援の人と一緒に役所に行ってきたと話を聞いた。
慈雨bン一人だったら最初から相手にしない様子だったが、支援の人が粘り強く応対してくれて、何とか生活保護の道が開けそうと嬉しそうだった。
どうやら身元引受としてNPOが介入してくれているようだった。
次に会ったときに、まだいろいろ手続きがあってと浮かない顔だった。
しかし、その次の日に、これから馬出の病院に健康診断で行ってくるとにこやかな顔だった。
NTさんが自転車を押して図書館の前まで一緒に並んで歩いた。
あんたの声に励まされたと言ってくれた。
こちらこそホームレスの実態をかいつまんで教えてもらい、感謝している。
そして、彼は自転車に乗り、右手を挙げて、じゃ、行ってくるけんと言って、さっそうとボンラパスのほうに向かって去って行った。
これがNTさんとの最後の会話だった。
それから、一人で公園のごみ拾いを続け、彼が寝ていた男性トイレ前に何度も来たが、彼はいなかった。
その後の経過が知りたくて、生活保護課やホームレス支援の抱撲に連絡を入れたら、最初は弥生のグループホームに入ることになったらしいが、事情があってそこは入れなくて、別のところになったらしいと聞いた。
ホームレスの方は、それまでの路上生活で気が張っていて、いったんアパートに入ると何らかの病気が判明して早くに亡くなることもある。
元気にいてくれるといいのだが。
彼がいた図書館の歴史関係の書棚を通るたびに彼が立って本を読みながら本を探していた光景が思い出される。
もちろん、胡坐をかいて気のベンチに座っていたことも。
(おわり)
NTさんが、朝のあいさつを交わした後に、問うこともなく自分から身の上話しをされました。
博多に住んでいて、旋盤工として働いていた。
刃保谷が自分が作る食事が好きということで、辞めて母親の面倒を看ることになった。
兄ちゃんがいたが、兄ちゃんは母親の面倒は見ずに、自分に月の小遣いと言って5千円を渡そうとした。
5千円だよ。5千円でなにしろというのか。
それから母親がなくなった。自分はそんなことがあったから兄ちゃんの世話にはならんと決めて、今に至るとよ。
そうそう、ずっと同じとこにいても退屈やと思って、京都に行ってみた。
自転車で行ったとよ。途中和歌山にも寄ったけど、向こうでは夜に寝とると警官が起こしに来てびっくりした。
何度パンクしたかな。自分で直してね。
もうこの自転車もチェーンが伸びて、できるとこまで軸を伸ばしたけど、もう限界。
ここに昼間来て、夜は食事を博多のほうでもらうけど、行ってみたらなんも残っとらんで食べるのがなかった。
自転車をこぐけどそう速くこげんでね。
夜にここにいると、ほらこの前のマンションがあるやろ、ここに明かりがともってきれいかとよ。
ホームレスはまわりの人に迷惑をかけたらいかん、体のにおいで不快にさせたらいかん。
毎日公園の水で洗濯しよる。警察から何をしてるんですかと聞かれたこともある。
ほら、この時計(金色の時計)があるけん、時間は正確。
夜は管理の人が帰る10時過ぎにきて寝る。
朝は5時に出ていく。迷惑はかけられん。
そう言って笑うNTさんだった。
(つづく)
暫くNTさんは公園で寝なかった。
どこで寝ていたのか、聞きそびれてしまった。
冬の寒い日に、福岡市総合図書館まで歩いて行った。
書棚の間を縫って歩いていたら、歴史のコーナーでNTさんが本を探していた。
昼間、図書館が開いているときは図書館で暖をとっていたのだと思う。
その日はそのまま声をかけずに図書館を出た。
しばらくたって図書館に出かけた時に、図書館内でNTさんが木のベンチに座っていた。
その日も声をかけずに、自分が探していた本を見つけて外に出ようとした。
すると後ろからちょっとちょっとと声をかけられた。
見るとNTさんで、外で話したいと言うので、外に出て話を聞いた。
自分が室見川のそばに自転車を停めて、あたりを散歩して帰ってみると、自分の衣類や寝袋を入れたバッグがなくなっていた。
急いであたりを探すが、バッグが見当たらない。
このままでは寝れないどころか、生活が成り立たない一大事だ。
途方に暮れて、図書館にたどり着いて、中に入ろうとすると、なんと椅子に自分のものと思われるバッグが置いてあるではないか。
中を見ると確かに自分の持ち物。
取りに来る人を待った。すると、気の弱そうな若い男が自分のバッグに手をかけて持っていこうとする。
なんやお前は、これは俺のバッグぞとそいつに怒鳴りつけて、一発殴ってやった、あんな気の弱そうなやつが自分のバッグを、ホームレスのバッグをとっていっとったと捲し上げられた。
自分だったら、お前にとっては大したものじゃなかろうが、これには俺の生活が掛かっとるとぞと一発どころか気のすむまで殴り続けたろうにと思った。たとえ相手が反撃しようが、この持ち物がなければ生きていけないのだから。
それだけ言うと、気が済んだのかまた図書館に入っていった。
追いかけていき、私は徳永というものですが、お名前を教えていただけないでしょうかと、思い切って尋ねた。
NTさんはちょっと立ち止まって、N、Nと言うとよと言って恥ずかしそうに図書館に入っていった。
(続く)
私とNTさんの出会いは、もう10年近く前、近くの公園を早朝にゴミ拾いしていた時でした。
そのころ、何かもっと人の役に立つにはと考えて、ごみ拾いすることにしました。
火ばさみとレジ袋を持って、道や公園に落ちているたばこの吸い殻、食べ物の包み紙、中にはコンドームが落ちていたりしていました。
百道中央公園を回っていた時に、身障者用のトイレの前のわずかな風が当たらないところに、自転車を停めて、薄い寝袋に寝ている人がいました。
最初は怖かったですよ。どんな人かわからないし、暴力的な人とか、ないしは犯罪者かもしれませんし。
ある時、寝袋をなおしているところに出くわしました。
小柄な男性で、髪はごま塩交じりでした。
金色の薄い高そうには見えない時計をされていました。
おはようございますと声を掛けました。
返事は返ってきません。警戒されていたようです。
その後何日か声をかける日が続きました。
そして、あんた、よくゴミ拾うね。きっと誰か見てるよと話してくれました。
その後、おはよう、おはようございますと声を掛け合うようになり、私も寒いだろうと自動販売機で買った温かい缶コーヒーを渡すようになりました。
雨が降ると、靴と靴下の間に透明のビニール袋をされていました。
朝藩必ず5時の暗いうちに自転車を押して、隣の事業中央公園に移られます。
ここにいてみんなに迷惑をかけても移管野郎がと言われました。
事業中央公園で、水道を使って下着を含め洗ってありました。
俺たちは余計人様に迷惑をかけたらいかんけん、においがせんごつ清潔にせんといかん、若い警官から何をしているかと言われた、それでお前たちはもっと悪かこつばしようとば逮捕せんかと言い返したと教えてくれました。
(続く)
博多の千代や中央区の浜町にある玄風館が焼肉で有名です。
楽天で発売されている玄風館のたれ1本640円くらい(アマゾンでは1本1500円くらいします)。
甘口、辛口、激辛の3種があり、3本セットで1900円くらい。
確か千代の玄風館では、発売されている辛口が店での甘口、激辛が店での辛口じゃないかと思います。
発売されている甘口は、辛みがなく甘ったるい味覚で、これは失敗したなと思ったのですが、
辛口と合わせると、とってもおいしくなりました。
ご飯にかけて食べるだけでもいけました。
もちろん、辛口単独でも辛みがあっておいしくいただけました。
玄風館の焼肉もおいしいのですが、たれがまたおいしい。
薬剤部の方から、電話がつながらないし、いつ診療しているのかわからないと苦情の電話があったから改めてほしいと連絡があり案した。
留守電にして、診察終了後に折り返していたのですが、漏れがあったのでしょう。
ご迷惑をおかけしますが、診察中に、数分ですが、途中中断をせざるを得ない状況と判断しました。
ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願い申し上げます。
難病にかかられた方が来られました。
病院で、検査でわかったから手術しましょう、そのまえにPET、CT、MRIなどの検査を矢継ぎ早に言われて、どうしていかわからないと戸惑って、いったんは保留し たそうです。
しかし、家族の強い勧めで結局受けることになったそうです。
検査が終わる前に、薬剤による治療を開始しようと言われて、それは待ってくれと言われたそうです。
すると、精神状態を見てもらったほうがいと判断されたのでしょう、当院へ紹介状を書かれてきたそうです。
時系列にこれまでの経過を冷静に述べられ、病気と向き合っていられました。
医療側の指示になかなか応じられないのは精神状態が不安定で事情が呑み込めてないせいだと思われたのでしょうか。
今の医療は、早期発見と患者製造の面も否定できません。
発見したら、ベルトコンベアに乗せて、降りることを許さないような状況にも見えます。
2時間近く、傾聴し話しました。
さめざめと泣かれましたが、その後毅然とした笑顔になり帰って行かれました。
全ての善きことがこの人に雪崩のごとく起きますように。
会社を辞めて、その後なぜか就労支援事業所に入られた方がいました。
そして、通院しているから障碍者手帳を申請したいと、事業所の職員と来られました。
職員は、書いてもらうまでは帰らないという態度でいました。
消して状態が悪いとは思えないのですが、ただ診断書を書いてもらいたいと言われました。
その後、仕事ができないからと、障害年金の申請もされました。
申請が通りました、その後、資格を取られました。
百万近くの月給をもらうようになったが、障害年金の再審査があるから継続してもらうために診断書を貰いたいと言ってこられたのには驚きました。
2週間以内の継続的な通院はありません。
事業を起こしたそうです。
重度および継続に当てはまりません。
なんでこれまでもらっていた金がもらえなくなるんだと。
障害年金は、病気のために就労できないために支給できるのであり、それを証明するのが証明書にあたることを説明しました。
これまで助けてもらったが、自分には合わなかった、通院はやめるという書き込みがありました。
病気を利用して、隠れ蓑にして、税金からお金をもらう人、以前の勤務先でもいました。
病院と患者、ウィンウィンだと聞きましたが、そうなのでしょうか。
税金から支出されていることを忘れてはいけないと思います。
覚せい剤、シンナー、パチンコ、ゲーム、ギャンブル、セックス、買い物、アルコール、依存の対象は色々です。
これまで、依存症の治療に対して、依存の対象を使って自分の自己治療をしていると言ってきました。
それは変わりません。
依存せざるを得ない、追い詰められた状態のために自己治療として依存症という状態に陥る。
これを何とかしようとする自己治療が間違っているからこそ陥ってしまう社会的ネガティブ状態。
現在の自分がなぜせざるを得ない、することで何を自分が解消しようとするのか、おおむね自分が置かれている現実に対して不適応、うつ状態に対してとる自己治療です。
この状況把握を通すことで負のループから抜け出すことを依存症の治療としていました。
しかし、自分の姿をかたくなに見たくない。
わかります、そうだよね。
それができていれば、自己治療を間違えるわけないもの。
その観点からみると、抗うつ薬を含め、向精神薬に一時的ながら依存するくらいの、精神科の処方が必要。
ここができていなかった。
まずは強力に立ち止まらせる必要があった。
登山しようとして、道に迷い、知らないうちに下山している、そんな迷走状態の時に、止まらずして、登山ルートに戻れるわけがない。
もちろん、向精神薬も依存性があります。
このためにある程度の薬物治療を使いながら、依存対象と離れた社会生活を送る、これが今までの治療。
しかし、これでうまくいかないというのは、このやり方は間違っている。
だから改良します。
向精神薬を大量に服用されるのを恐れていましたが、これまでアルコールや病院から処方を受けても寝れないと当院を受診された方がいました。
あまりに多剤、および大量飲酒であったために、本人と話して、内服を調整するから飲酒をしないことに挑戦してもらうことにしました。
その後、暫く来院が途絶えていましたが、突然病院からの紹介状を持って受診されました。
結構きつい処方でしたが、それで急に眠れたので、転院を希望したとのことでした。
アルコールは眠れるので飲んでいないと言われ、これまでは寝起きの様子で来院されていたのに。
これが転機になりました。