大塚幸さん、平成27年2月にお亡くなりになられましたが、今でも電話口での、もしもしという声を覚えています。
福岡県警の科捜研所長を務められ、その後に九州大学法医学教室で研究生という立場で、好きな実験を楽しまれました。
私の九州大学法医学教室大学院の時期とダブり、一緒にイタリアパドバに学会で行ったりしtました。
当時の私は32歳で、大塚さんは60数歳でした。
当時の私は60数歳の人の気持ちなんてわからないどころか、自分がそんな年齢になるなんて想像もできませんでした。
それが、今は同じ年齢です。
大塚さん、見てますか。
あの世でこちらのことを見たり聞いたりできるなら、これから書くことを読んでね。
あの時にいろいろ意地悪、からかったりしてごめんなさい。
何となく、似たものを感じていたんだよ。
最初に会ったときに、なんか他の人と違う感じがするんだけどと言ってくれたよね。
今村さんとか優秀な人の中でも、なんか違うものを感じるとね。
そう言ってくれてから始まった。
一度家に招いて、泊めてくれてありがとう。
二人の男のお子さんがいるとそのとき初めて教えてくれたね。
お姉さんがいて、パドバに行くときに福岡空港に見送りに来て、ちょっと話をしていたら、わー、あんまり話さんどいてと言って、身内のことが一番恥ずかしいと言ったよね。今ではよくわかる。
長男さんが第一薬科を出て、医者の家族で同級生の女性と結婚したら、向こうのお母さんが教育が上手で孫が附設に行っていてと笑っていたよね。そして、犬とか飼ったらいいんじゃないと言ったら、もういるよ、家内がいるからと笑ってたよね。
うまく、面白く言い換えるもんだなと感心したんだよ。
今じゃなんとなく、わかる。
次男さんの就職が決まるかもと学会で沖縄に行ったときに、いろいろ移動されていて、大変だなと思ってたよ。
大学院を卒業する前に、大塚さんは薬局に薬剤師として働くようになったと言って、場所を聞くと自分の実家の近くだったのは偶然だったけどびっくりしたよ。だって、そこから九州大学まで行くのは時間がかかるのに、たとえ太宰府から行くにしてもだいぶ時間がかかる。だけど、まるで何事もなかったように、働きに行くようになったと言って、胃薬の効能を書いて覚えようとしてたのにはまたびっくり。
いろんなことがあったね。
今じゃおんなじ年齢です。
そして同じ境遇。
大塚さんの顔に出さない苦労、いやなこと、悩んでいたこと、少しわかります。
生きていくって、こんなことの繰り返しなんだね。
そちらに行くには少し時間があるみたいだけど、そう遠くないかもしれない。
他の人がいないところで、こっそり小さな声で、世間には差別があるから気をつけんといかんよと教えてくれたね。
他の人が教えてくれなかったことを教えてくれて、本当に感謝してます。
印鑑を押すにも、昔は自分の書いた名前の端に係るように印鑑を押してたんよと教えてくれたね。
枯れ木も山の賑わいとか、もう酒は生きている間に割り当てられた分のんだけんとか。
久しぶりに思い出したよ。
大塚さんと最後に病院に面会に行ったときに、こんな本を読んだらいいよとメモを渡したかな。
あの時は、手術して、しばらくは生きていると思ってたけど、こうなるならなんで本を買って持って行かなかったと後悔しています。
その時も、相変わらず、楽しげに、笑ってたんで、まさかその後退院して急に死ぬなんて。
大腸癌の肺転移って、言葉で言えばそれだけだけど、そんなことわからないよね。
工藤さんが自宅に電話したら、奥さんが出られて、帰ってきてますよ、でも遺骨になってと言われたと聞いたよ。
奥さんも、当意即妙な人だったんだね。
そこは僕とは違う境遇だよ。
当時は気の強い人だなーと思ってたけど。本当に当意即妙。
また会いたいけど、それはかなわないか。
また書くから、読んでね。大塚さん。