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メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

患者さまの体調や症状を丁寧に確認した上で、必要な治療や内服をご提案しております。
診断書は経過観察や医学的判断に基づき発行しております。
初診時に症状確認だけで即日発行することは原則として行っておりません。

精神科の診察では、問診を細かくとっていました。

学歴の途中が抜けていたり、職歴の時間が空いたりすると、きつく怒られたものでした。

でも、これって、よくよく考えてみると3次元、ないし時間軸を入れると4次元のものを、2次元に変えるものです。

もともと無理、しかもその根拠は発言する受診者の言葉だけです。

自分で考えてみると、思い出そうにもうろ覚えで、自分で創作してしまいます。

覚えている大きな出来事だけしか、いやそれすら時間があやふやになっています。

つまり、創作されたものを頼りに、診察を進めているのです。

病歴をとることが無駄ではありません。

杓子定規に細かいことはいらないと言うことです。

もっと気楽に、気楽lに。

診察するものも、されるものも、もっと気楽にいきましょうと言うこと。

一番重要なものは、今、今でしょ。

今どうするか。

良くないと思ったものはすぐ止めて、良いと思ったことをすぐ始める。

今の状態、どうあるか、それが大事。

3日坊主、そう3日も続けてもう十分とわかっただけ。

そして、薬をのむのは、止まったほうがいいのかを冷静になって考えるための一つの手段。

飲むのが悪いことじゃない。

落ち着かないのにのまないでいるのは、風で熱が出ていて苦しいのに熱さましをのまないようなもの。

落ち着かないときにはのむ、落ち着けばやめていく方向。

もっと気楽に。もっと気楽に。

ゆっくり、ゆっくり、お先にどうぞですね。

 

 

DVで悩む人、いじめに苦しむ人、その気持ちわかるよ。

逃げたくても逃げれないんだよね。

何か引っかかって。

後ろめたさとか、やるせなさとか。

そうだよね、わかるよ。怖くて、逃げたくても逃げれないんだよね。

どこまでも付けられそうで、もうどうしようもなくて。

上下関係で自分がずっと下に置かれて、逃げようもない、そう思うよね。

そういうことも経験したよ。

勇気を出そうにも、怖くて一歩も出せない。

恐る恐るでいいから、ちょっとつま先でいいから、ちょっと出そう。

自分で関係機関に電話するのも、見張られている感じがして、仕返しされないかとか考えるよね。

自分がすることすべてが、見通されているように思えるよね。

そのすべてが基本的人権の侵害だ。

今だからこそ言えるよ。

自分で関係機関に連絡できなければ、ここに相談してください。

綿足を介してでもいいから、関係機関に声を上げよう。

じっとしていちゃいけない。

声を上げよう。

逃げよう。それでいいんだ。

自分を苦しめちゃいけない。

自分を緩めて、緩めて、許していこう。

 

 

電話に出れないときに、留守番電話にしておきます。

留守番電話に変わるのに、何秒が最適なのか。

3コール以内に取るのがビジネスマナーらしいです。

つまり10秒以内でないと、人は待たされるストレスを感じると。

本当かどうか、人によるのでしょうが、9秒以内に出れないときは、都合があって出れないと言うこと。

無理して出てしまうと、逆にトラブルが起きやすいと。

留守電は折り返せばいいだけですから。

一人でやっていると、診察中の電話対応が難しいです。

診察を中断すると、目の前の人とぎくしゃくするし、出ないと診療していないと思われるし。

急いで人を雇おうとしても、合わない人だったり。

聞いた話ですが、つながっている部屋の片方にいてドアをいつも開けて相談しやすくした人がいたそうです。

しかし、隣の部屋の部下は、面倒見てくれない、開けっ放しで見張っていると思ったそうです。

入り浸って、変に思われてもいけないからと気を利かせて、困ったときはいつでも応じる、そうでないときは自由にやってもらっていいと考えたことが、部下は不満だったという、笑うに笑えない状況。

人と人の応対は難しい。

 

ひと昔、まだパソコンが出回っていなかった頃、経理はそろばん又は電卓で行っていました。

そろばんを習っていたころ、伝票算なる項目がありました。

伝票をめくりながら、それをそろばんに入力して合計を出すものです。

文鎮を使って伝票を固定してやっていました。

珠算塾で言われていたのは、就職したらそろばんで計算せんといかんと言われていました。

就職に直結する、いわばマストなものでした。

今ではお笑い種でしょうけど。

そして、会社ごとに決まりがあったみたいで、よく、ここではこうでいいんだと、雲を突くような、けむに巻かれる説明を言われているのを耳にしていました。どうしてそうなるのかなど、合理性、整合性を問えば、面倒くさそうにされて、また同じ説明でした。

シンプルでないものは大概が嘘です。

新聞でも隠蔽されてきたことが出てきているところを見ると、ネットやAIの世界が出てきても、この手の嘘は残っているみたいです。

いや、ネットの普及とともに確実に嘘が明るみに出てきていると言ったほうが良いでしょう。

本当に自分が理解しているものは、シンプルに説明できるはずです。

理解もできていないから、それをごまかすために、けむに巻く目くらましが必要なのです。

 

 

人間は前にも勧めるし、後ろにも進めます。

徳川家康が言っているように、人生は重い荷物を背負って坂を歩むがごとし。

じっとしていたら、楽な方に、つまり、後ろ向きに歩くようになっています。

人は後ろ向きに、悪いことを考えるようにできているんです。

前向きに進むには、ポジティブになるには努力がいるのです。

前に向かって進めば、必ず視界が開けてきます。

頑張って進んでいきましょう。

迷うのは当たり前、だってそのほうが楽なんですもの。

でもそれは本当の楽ではありません。

本当の楽は、ずっと楽、楽しいは続いてこそ楽しい。

ずるずる坂の下に落ちていけば、楽しくありません。

ゆっくりでいいんです、ゆっくり頑張れ。

本日付の西日本新聞の朝刊で、

わからない絵本はどうすれば、という比呂美の万事OKコラムがありました。

人は人の中でしか生きられない、人の役に立ってこそ本当の喜びが得られるという基本概念にたどり着く過程だと思います。

機は切り倒され、切り株だけ残り、そこに座ってもらってうれしかった、気は幸せでしたと言う意味が分からないという質問でした。また、食べるために世話していたキツネが、守るためにオオカミと戦って死んだときに、恥ずかしそうに笑って死んだのも同じことでしょう。

人の役に立って、また感謝してくれる相手がいて、初めて幸せが、幸せという状態が訪れる。

自分だけでもダメ、相手だけでもダメ。

お互いが、感謝の気持ちを持ってこそ関係が生まれる、それが原理原則のように感じます。

人は平気で嘘もつきます。

恐ろしいことに、皆で認めると嘘が’真実’として、常識となります。

医療においてもそうです。

診察の場における、医療は患者関係で、医療者がうまく引き出せないからいけないんだと言われています。

再度考える必要があることだと思います。

釈迦が輪廻転生を教えてくれました。

ぞんざいな、意地悪、攻撃的な人は、前世が恐竜か野獣だったのかもしれません。

人間になるのが早すぎたのかもしれません。そう思ってしまいます。

 

予約システムの人数設定で手間取って、しばらく書きたいことも書けていませんでした。

キュービックの予約システムが、ウィンドーズの出始めたころのような一つ一つ設定する機能だったので、地道に一つ一つ改善していかな刈ればいけませんでした。

ただ、このことで、毎日、一つ一つ丁寧にすることの大切さを再確認しました。

医是zンよりも入力しやすい人数にしています。

どうかよろしくお願いします。

 

アントニオ猪木さんの言葉を下に記し、今後も述べられている言葉を胸に抱き取り組んでいきます。

 

アントニオ猪木 引退スピーチ

私は今、感動と感激、そして素晴らしい空間の中に立っています。

心の奥底から湧き上がる、皆さまに対する感謝と熱い想いを止めることが出来ません。

カウントダウンが始まってから、かなりの時間が経ちました。

いよいよ今日が、このガウンの姿が最後となります。

思えば、右も左もわからない一人の青年が力道山の手によって、ブラジルから連れ戻されました。

それから、38年の月日が流れてしまいました。

最初にこのリングに立った時は、興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、今日はこのような大勢の皆さまの前で、最後のご挨拶が出来るということは本当に熱い思いで言葉になりません。

私は色紙にいつの日か『闘魂』という文字を書くようになりました。それを称してある人が『燃える闘魂』と名付けてくれました。

闘魂とは己に打ち勝つこと。

そして、闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。

最後に、私から皆さんに、皆さまにメッセージを贈りたいと思います。

人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。

この道を行けば
どうなるものか

危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし

踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

ありがとー!

 

 

自分を信じるって大切だなと、自分でも実感しました。

車の車庫入れで、2,3センチでも左右どちらかにずれていると文句を言われるので、非常に気を使っていました。

いったん停めては、車止めのところで、靴の先端からどれだけ離れているのか測っていました。

バックビューを見て、左右のサイドミラーを見てするのですが、どうしても10センチくらい左寄りになります。

バックビューのガイドラインの真ん中でも数センチの誤差があります。

これで大丈夫だろうか、大丈夫だろうかと不安になっているとやっぱり合いません。

思い切って、どちらにぶれてもいいから自分の思い通りにしようと決めて、もちろん慎重にですが、バックしました。

すると、左右の車止めから等距離になるではないですか。

小学校の同窓会の時に、小学校を見たいとみんなが言い出し、数人を乗せて近くの駐車場に停めました。

きちんとしないといけないと緊張しましたが、自分が真ん中ならばそれで良しと駐車しました。

白線から等距離で、ほっとしました。

自分を信じること、たとえそれがうまくいかないときがあってもそれはそれでいい、自分を信じることが先。

そう、つくづく思いました。

大塚幸さん、平成27年2月にお亡くなりになられましたが、今でも電話口での、もしもしという声を覚えています。

福岡県警の科捜研所長を務められ、その後に九州大学法医学教室で研究生という立場で、好きな実験を楽しまれました。

私の九州大学法医学教室大学院の時期とダブり、一緒にイタリアパドバに学会で行ったりしtました。

当時の私は32歳で、大塚さんは60数歳でした。

当時の私は60数歳の人の気持ちなんてわからないどころか、自分がそんな年齢になるなんて想像もできませんでした。

それが、今は同じ年齢です。

大塚さん、見てますか。

あの世でこちらのことを見たり聞いたりできるなら、これから書くことを読んでね。

あの時にいろいろ意地悪、からかったりしてごめんなさい。

何となく、似たものを感じていたんだよ。

最初に会ったときに、なんか他の人と違う感じがするんだけどと言ってくれたよね。

今村さんとか優秀な人の中でも、なんか違うものを感じるとね。

そう言ってくれてから始まった。

一度家に招いて、泊めてくれてありがとう。

二人の男のお子さんがいるとそのとき初めて教えてくれたね。

お姉さんがいて、パドバに行くときに福岡空港に見送りに来て、ちょっと話をしていたら、わー、あんまり話さんどいてと言って、身内のことが一番恥ずかしいと言ったよね。今ではよくわかる。

長男さんが第一薬科を出て、医者の家族で同級生の女性と結婚したら、向こうのお母さんが教育が上手で孫が附設に行っていてと笑っていたよね。そして、犬とか飼ったらいいんじゃないと言ったら、もういるよ、家内がいるからと笑ってたよね。

うまく、面白く言い換えるもんだなと感心したんだよ。

今じゃなんとなく、わかる。

次男さんの就職が決まるかもと学会で沖縄に行ったときに、いろいろ移動されていて、大変だなと思ってたよ。

大学院を卒業する前に、大塚さんは薬局に薬剤師として働くようになったと言って、場所を聞くと自分の実家の近くだったのは偶然だったけどびっくりしたよ。だって、そこから九州大学まで行くのは時間がかかるのに、たとえ太宰府から行くにしてもだいぶ時間がかかる。だけど、まるで何事もなかったように、働きに行くようになったと言って、胃薬の効能を書いて覚えようとしてたのにはまたびっくり。

いろんなことがあったね。

今じゃおんなじ年齢です。

そして同じ境遇。

大塚さんの顔に出さない苦労、いやなこと、悩んでいたこと、少しわかります。

生きていくって、こんなことの繰り返しなんだね。

そちらに行くには少し時間があるみたいだけど、そう遠くないかもしれない。

他の人がいないところで、こっそり小さな声で、世間には差別があるから気をつけんといかんよと教えてくれたね。

他の人が教えてくれなかったことを教えてくれて、本当に感謝してます。

印鑑を押すにも、昔は自分の書いた名前の端に係るように印鑑を押してたんよと教えてくれたね。

枯れ木も山の賑わいとか、もう酒は生きている間に割り当てられた分のんだけんとか。

久しぶりに思い出したよ。

大塚さんと最後に病院に面会に行ったときに、こんな本を読んだらいいよとメモを渡したかな。

あの時は、手術して、しばらくは生きていると思ってたけど、こうなるならなんで本を買って持って行かなかったと後悔しています。

その時も、相変わらず、楽しげに、笑ってたんで、まさかその後退院して急に死ぬなんて。

大腸癌の肺転移って、言葉で言えばそれだけだけど、そんなことわからないよね。

工藤さんが自宅に電話したら、奥さんが出られて、帰ってきてますよ、でも遺骨になってと言われたと聞いたよ。

奥さんも、当意即妙な人だったんだね。

そこは僕とは違う境遇だよ。

当時は気の強い人だなーと思ってたけど。本当に当意即妙。

また会いたいけど、それはかなわないか。

また書くから、読んでね。大塚さん。

 

 

 

 

 

これからは引用です。

 

親愛なるカモ仲間たちへ


私がスピリチュアルや自己啓発にのめりこんでいったのは、
「この世の中で生きていくのが怖かった」
からでした。

周りから見たら普通に働いて生活している、どこにでもいる人間だったと思いますが、本当は毎日家から出るのが怖くて仕方がありませんでした。

笑っていない人が怖い。
影で悪口を言っている人が怖い。
何を考えているのか分からない他人が怖い。

一人でいるのが一番ほっとしましたし、もしお金があるなら誰にも出会わずにずっと部屋で過ごしていたいと、毎日思ってました。

でもそういうわけにはいかないと分かってはいたので、それならどうにかしてこの怖さを消したい。
できるなら強くなって、普通の人みたいに生きていけるようになりたい。

誰か教えてほしい。
誰でもいいから教えてほしい。

そんな気持ちだったような気がします。

スピリチュアルや心屋さんにハマりこんでいた間は怖さを忘れられて、自分が強くなったような気がしていましたが、心屋さんから離れたとき、またこの怖さが戻ってきました。

そして、結局自分が何も変われていなかったこと、まったく強くなんてなっていなかったことに愕然としました。

無力なままで箱庭から世の中に戻ってきて、また怖がりながら生きていかなければいけない、あの絶望感。
一度すがりつく心地よさを知ってしまった後の、手ぶらで歩いていかなくてはいけない、あの頼りなさ。

私は最初に「心屋でも幸せになれなかった自分」に失望し、次に「心屋でも変われていなかった自分」に失望しました。
でも仕方が無いので、足元ガクガクになりながら何とか自分の足で歩いていこうと決意しました。
もう二度とスピや自己啓発なんぞに頼るものかと心に決めました。笑

本棚いっぱいだった心屋本やスピ本をまとめてゴミに出したあの日からはや数年。

まあそこそこ強くなれました。

今は生きるのも全然怖くありませんw
お外出るのも人と遊ぶのも楽しいですwww

心屋さんや教祖さんから離れたとき、あなたも最初は同じように不安や孤独や後悔を感じるかもしれません。
振り返ると、箱庭の中は相変わらずみんなが楽しそうに盛り上がっていますからね。

「心屋でも私は変われなかった」
「みんなはどんどん変わって幸せになっているのに」
「もしかして私が間違ってるんだろうか」
「ぢんさんから離れないほうが良かったんだろうか」

そんな思いで、また箱庭に戻りたくなるかもしれません。

でもそこでくじけないでください。
「もうここにはいたくない」というその気持ちを信じてあげてください。
寂しさと不安に耐え切れずに箱庭に戻ってしまったカモたちも、たくさんいるんだと思います。でもそこから自分の足で歩き始めて、本当の幸せを見つけ出した仲間も、それ以上にいるのです。

そして、迷ってしまった自分を責めないでください。

恥ずかしい黒歴史には違いないですが(笑)それでもその体験は、今のあなたをつくっている大切な人生の一部です。

私は一度だけ、心屋時代の後悔を人に相談したことがあります。
するとその人は「必要だから起こったんだよ」と一言だけ言いました。
たった一言でしたが、なぜか私はその言葉でとても救われました。

ですので、あなたにも同じ事を言いたいと思います。
あなたに起こったことは、必要だから起こりました。

たくさんの人に迷惑をかけたり、ひどいことをして傷つけたりしてしまいましたが、お互いこれからはその分もがんばって周りに恩返ししていきましょう。

教祖さんに迷った時間を、自分の足を引っ張るものではなく、自分を更に成長させる栄養に変えてください。
今は難しくても少しずつ変えていけます。
どんなに迷っても失敗をしてしまっても、我々はそれを必ず前向きに活かしていくことができるのです。

私の心屋時代も長い間黒歴史でしたが、こうしてブログで公表してみると、人様のお役に多少なりとも立ったようで、ありがたいメッセージをたくさん頂けました。
「笑っちゃいけないかもしれないですけど笑えました」というご感想がとても多かったですが、いいんですよ笑ってください。
笑ってもらえないと「渾身の腹踊りをかましてスベった」みたいになって、もっと黒歴史になるところでした。

ちょっとイタイ体験も自分の中に受け入れていけたら、今度は別の誰かが迷いそうになっていた時に、しっかりと止めてあげることができます。
きっと我々の言葉は、一度も迷ったことのない人のそれよりも、説得力をもって相手の心に響くはずです。私の「借金と退職はするな」は、なかなかの説得力だと自負しておりますよ。

決して強がりでも皮肉でもなく、私は心屋さんに会えたことに本当に感謝しています。そのおかげで、今の私があるからです。
「ちゃんと自分を向き合って生きていくことの大切さ」を、あなたに全力でお伝えできる私になれたからです。

もし神様に「心屋に会う前の人生に戻してやろうか」と言われても、私はきっと断るでしょう。
そして代わりに次回のロト6の当選番号を教)`ν゜)・;';

どんなに甘い言葉にのめり込んでも、箱庭の中に逃げ込んでも、あなたが生きる場所は今あなたがいる場所以外に無く、今のあなた以外のあなたは存在しません。

今いるその場所を大切に。
今いっしょにいてくれている人たちを大切に。
今いるあなたを大切に。

我々は直接会うことはありませんが、あなたが後悔や自責や復讐心に貴重な時間を取られることなく、一日も早く、あなた自身の力で充実した幸せな人生を取り戻せるよう、心から祈っています。
 
 

脱出のその先に


ヤな話の続きです。笑
もっとヤな内容になるよww

信者さんが教祖から離れた場合、途中はいろいろあっても最終的に、
「このままではいけない。きちんと現実と向き合おう。毎日の生活を大切にしよう」
と本人が決意できれば、まず大丈夫かと思います。

ただその出口直前に超ヤバいトラップが仕掛けられています。かからない人は全くかからずにゴールできるのですが、意外とそこにかかってしまっているカモさんも少なからずいるんじゃないか…と、密かに恐れおののいております( ̄∀ ̄;)

そのトラップの名前は「正義」と言います。

カモさんが箱庭から離れられたら、それはとても喜ばしいことです。
ただやはり人間ですから、どうしても「騙された!」「許せない!」という怒りや憎しみは湧いてきます。これも仕方の無いことですし、無理に抑え込むこともありません。

存分に「もうっぢんのすけのばか! アタシのほうがもっとばか!!」と、モヤモヤしたものを、法律に触れない程度に発散しましょう。

悪口や批判も言いたくなりますね。
慢性的になると困りますが、期間限定くらいのつもりで頭の中で思いっきり罵るもよし、ネットに書き込むのもよし。笑

ただそのときに「気分の良さ」を感じたなら、あなたはトラップにハマりかけていますので、要注意です。

教祖を叩く"正当な理由"は、いくらでも出てきます。
「悪いことをしているから」
「騙されたから」
「お金を取られたから」
だから、悪く言って当然。見下して当然。

懲らしめて、罰してやらないといけない。

私は被害者だから、その権利がある。

これはとても甘美な言葉です。
正しい立場に立って悪者を裁くのは、はっきり言って気持ちいいです。

でもその快感に身を任せてしまうと、あなたはいとも簡単に、教祖と同じように闇堕ちします。そしてせっかく離れた教祖のことで、再び頭がいっぱいになってしまうのです。

箱庭の信者でいたときは、あなたは教祖からのお言葉を頼りにして生きているか弱い人間でしたね。
教祖を自分のはるか上に置いて、大切に拝んでました。

箱庭の外に出て「被害者の立場」と「正義」という超強力な武器を手にしたあなたは、今度は「裁く者」として、教祖を自分の足で粉々になるまで踏み潰そうとするんです。

箱庭の中では互いに食い物にしあっていた関係でしたが、今は完全に立場が上になったあなたが、一方的に教祖を食い散らかします。

劣等感が優越感に裏返り、それまで箱庭の中で外の人間をバカにしていたのが、今度は外の世界から箱庭の中にいる人間を見下して攻撃しはじめます。


そうしている間は「自分と向き合わずにすむ」からです。


「あいつらはヒドイ奴だ!」と責め続けていれば、何も考えずにすみます。

「私はこのままでいいんだろうか」
「私って実はただのブスなババアなんじゃないだろうか」
「私に何か非があるんじゃないだろうか」


なんて背筋が寒くなるようなことを考えなくてすむ……のです。

(※記事の途中ですが以下同文)

そしてこのトラップが更に恐ろしいのは、今度は周りの人たちがあなたを応援してくれるということです。
信者でいた時のように「ちょっと待ってよ! 最近のあなたはおかしいよ、ちゃんと現実を見ようよ!」とは誰も言ってくれないのです。

自分で気づくか、ごくまれに誰かに教えてもらえるかしか、抜け出す方法がありません。
そして抜け出せるまで、方向感覚が狂ってしまったあなたは、もともと望んでいたはずの「幸せ」とは真逆の「怒り、憎しみ、復讐心批判攻撃分裂裁きその他もろもろネガティブ方面」に、鬼みたいな形相で爆走することになります。

巧妙……なぜゴール直前にこんなにも巧妙なトラップが…… _:(´ཀ`」∠):_

私もがっつりこのトラップにハマりかけてました。幸いなことに周りに良い人たちがいてくれたおかげで、何とか気づくことができましたが、だいぶ危なかったんよ。

自分が受けた被害や体験を語ることや、声を上げることは全然悪いことではありません。
良くない行いは、やはり止めなければいけないと思います。

ただ行動を起こすときに、自分が正義感に捉われてないか、そのせいで一番大切な自分を振り返ることを忘れてないかということは、いつも注意していてほしいと思います。
これホントに難しいんですよねー……私もめっちゃ気をつけてこのブログ書いてたつもりですけど、それでも完璧にはできなかったです。


それと最近の流れに水を指すようでアレなんですが、この「脱自己啓発・脱スピリチュアル」の流れの中から新しい教祖たちが爆誕、なんてことにならなければよいなあと余計な心配をしています。
「あなたが本当に地に足をつけて生きるためのセミナー開催します!」なんて告知が出始めても引っかかっちゃダメよww

今の教祖さんたちも、もしかしたら最初は「悩んでる人たちのために、自分にできることを発信したい」と思ってたのかもしれません。
それは「いまスピや自己啓発で苦しんでる人たちのために、自分にできることを発信したい」という我々と一緒です。

教祖さんたちも、たぶん我々と何も変わらない人間もといカモなんですよ。
それは逆に我々も、状況によっては簡単に教祖になってしまう可能性があるということです。

なので、正義感というトラップには本当に気をつけてください。
そのために、いつもいつも「本当にあなたが求めているものは何か」を思い出して、忘れないでいてください。

あなたは、ただ幸せになりたいんじゃなかったでしょうか?
あなたが最も求めるのは、自分を好きになって、周りの人とも仲良く楽しく過ごす生活ではなかったでしょうか?

自分が正しいと思うことのために行動するのは、素晴らしいことです。
でも心の中では、いつもあなたの求める「幸せ」を持ち続けていてくださいね。


がんばって書いてみましたが、でもこの正義感トラップはほんとに巧妙で、説明が難しいんですよね(ノд`; )
私の文章力ではこれが精一杯。

正直、万人向けの話ではないですし、かえって誤解を招く可能性の方が高いのかもしれないなと思っています。
でもこの記事が、いつか誰かのお役に立つ時がくるかもしれませんので、ここに書いておくことにします。



いやーこれでそこそこの人に嫌われるな_(:3」∠)_
き、嫌われてもいいー……。