メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

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丁寧な診察を心がけ、必要な治療や内服をご提案しております。
医療DX推進体制をとり、情報の取得・活用等を進めています。

幸せと思う人だけが幸せな人です


悩むときは無い答えを探していて、考えが止まっている


自分を大事にしてください


過去の事実は変えられないけど、記憶の中での過去は変わるよ


他人は人を変えれない


無理しないください、でもあきらめないでください


早起きしましょう

外に出るといったら、買い物に出ている、店を見に行っていると答えられます。

食料品など、買い物をすると、結局は所有欲や必要なことが頭に入ってきます。

頭を休めて、今何をすればいいかなど、自分と問い直すことができません。

外に出るのは、自分を解き離すため。

ゆっくり散歩することが一番。

空気を吸うだけでもいいからと、最近は言い方を変えています。

外に出てください。

早期発見、早期治療をうたい文句に、健診が行われています。

自分の身内が癌闘病をして分かったことがあります。

これまで、抗がん剤は、吐き気、脱毛、味覚異常、白血球数の減少など、字では知っていましたが、これらが実際に起きるとどんなに当事者及びまわりに影響をもたらすか、改めてその威力に驚きました。

これではふらふらして、まともに生活はできないでしょう。

そして、抗がん剤を投与するから癌が消滅するという保証ではない、つまり、根本的な治療とはいえるかどうかわからない。

私が医師になった当時と比べても、使用される抗がん剤の種類は増えていますが、結局はどう予防すれば良いのか、40年近くたっているのに、癌の発生からその根底にあるメカニズムはわかっていません。いや、そんなことは関心の外なのかもしれません。

これは結核に対しても同じです。わたしが一時期務めていた病院に結核の既往がある医師が勤めていられました。

個室が割り当てられていたのですが、その方の隣の部屋でしたから、その方が自室にいるとせき込んでいるのが聞こえてきました。

数カ月でその病院の勤務が終わったのですが、辞めて数カ月したころその病院から手紙が来ました。

その意思が結核を発症して入院したから、同時期に勤務したことがあるので、検査を受けてもらいたいというような内容でした。

彼は昔罹ったが、治って今勤務していると言っていました。胸部レントゲン像では、たくさんの石灰化像が見られ、驚いたものでした。結核もまた今でも根治しない病気です。

健診して、自分は健康体というお墨付きを得たいのでしょうが、検査する法は是が非でも疑わしいものを見つけようとしているのですから、全くの逆方向です。

何かしら症状が疑われるとき、つまり、どのようなものが異常と考えるのかという、社会的な啓蒙の普及でいいのではと個人的に考えています。

早期発見、早期治療が、根治治療ならばそうなのでしょうが、同業者として不謹慎かもしれませんが、現在の私にはそう思えません。

 

 

ミネソタに2014年の冬に、懐かしさを兼ねて行ってみました。

留学する前は、そのころ言われていた、アメリカの医療は進んでいる、アメリカの方法が日本にもたらされているという言葉を信じ提案した。実際に医学論文で、指標とされていたのはアメリカのものでした。

ミネソタ大学の薬物問題関係の、特にタバコに関する、ハツカミ(女性)教授のところに行きました。

紹介してもらった人、およびその人が世話してくれと頼んでいた(なぜそうしたのか甚だ疑問で今から考えれば失礼ないい加減な対応と思われます)人とトラブルになり(世話してやったのに金も払わんのかと言われましたし)、追い込まれてしまったことに加え、この教授はどういうように考えていたのか今でもわかりません。

日本からアメリカに当時行くことは、特に無給で自費で行くこと、それだけ当時の医学を変えてやろうと野心すら持っていました。自分たちアメリカ人は何につけ金の問題に結び付けるのに。

タバコのアナナマス(集会)は教会で週に1回日曜日に行われていました。

アルコール依存症のアナナマスは、カバリエウェストという名で3階建ての建物を借りて、市の援助を受けながら、毎日朝から夜の9時まで集会を開いていましたので、行けるときに高速道路を1時間ほどミネアポリスのアパートからネオンという名の赤いセダンで行きました。最初は、日本人ということで警戒されましたが(なぜ遠い国からわざわざ来たのか)、ビッグブックという12ステップのプログラム、および創始者の談話が載っている本を読むのに参加させてもらいました。帰国する前に本を1冊いただきました。

図書館には、手術のビデオや精神科のテキストがあるので、毎日昼夜問わず24時間開いているので、デッキを2台買ってビデオをコピーしたり、テキストや文献の必要と思う部分をコピーして読んでいました。

ミネソタ大学はミシシッピー川でイーストバンクとウエストバンクに分かれていました。いつもいたイーストバンクからは無料のバスが出ていたのでそれに乗って、精神科のカンファレンスに参加していました。

研究所にいても何もすることがないので、いてもビッグブックを読むことくらいしかできなかったし、だからこそ自分で図書館や外部のミーティングに行ったのですが、ある日呼ばれて、何をしているのかわからん、何もしないならここにいさせられないとまで言い出されました。教授はほとんど研究所にいませんし、セッティングすらないから自分で死に物狂いで行動していたのですが、気分次第だったようです。自分がカンファレンスに出ているのが分かると、急に態度を変えましたし。

英語学校に行かされましたが、英語の弁児湯に来たのではないといいましたが、伝わりませんでした。

自分の都合のいいようにしか考えない人だなと今でも思っています。

ミネソタの牧師、バスの乗り場で働く人と話して、親切だなと思いました。

日本でも同じですが、社会的に立場が高くなると、自分の思い通りでないと期限を害する人が多いということでしょう。

アメリカの語学学校で、当時は学生ビザで来ていた男女の台湾人と知り合いました。

その人が、歯科医師免許を取って、アメリカで生活しているので、ミネソタに会いに行ったのも理由の一つです。

英語って、そう肩ひじ張らずにしゃべっていいんだなと思わせてくれたのも彼らでした。

そして、国籍、人種は違っても、人として、やさしく、思いやりを持つ人は同じなんだと教えてくれました。

(続く)

会社に就職していく、その気持ちもわかります。

例えば、トヨタに就職。

トヨタに限らず今ある企業には機械が導入され、その機械をアップデートすることも一つの会社、職業になっている。

それに対抗して、一から企業を立ち上げるとしたら、機械を購入するために負債を抱え、さらにその後の資金繰り、収支のバランスを考えると、とてつもない壁です。

それに対して、就職するとなると、自分の自由にできる権利を投げ捨て、保護下に入る。

子供のころを考えると、親の保護下で、強がっていても、どこかで頼っています。

自分で生きていくとなると、税金、住居費や食費など月々の生活費、関係する機関に対する支払い、保険の書類など。

人を雇っていて感じたことがあります。

短期で辞めることを繰り返される方、男女問わずということになりますが、面倒をみてもらって当たり前、いるだけでも当たり前に給料をもらえ、もっと上げてもらって当たり前と思ってあるようです。

今は雇用契約書を交わすことになり、これまでのような情を含んだ査定はありません。

自分に対して有利に考えて要求される前に、条件を読み返すしかない世の中とも言えます。

条件が悪いという前に、要求することは条件を交わした書類を読み返し、今置かれている状況を見るということです。

渡り鳥はどうせ渡っていくから仕方がないと思いたくはありません。

以前に勤めた病院の職員向けのレクレーションで、バスに乗って隣の看護師さんが、条件がいいところを探して自分は2,3年ごとに病院を移っている、ハローワークに行ったらあんたは看護師資格を持っているのにどうして来たと聞かれたよと言われました。

話してみると、気のいいかたでしたが、自分は一人で動いているが、病院に勤めているの3分の一くらいが、ある病院からある病院と季節ごとに一斉に移っていると言われました。

経営側からいうと、一緒に頑張っていきたいと思っても、そういう気が端からない方が多いということです。

それも考え方です。

また、所長と二人で働くことになったが、所長は自分と隣の部屋にいて、間のドアを開け放して、何も教えてくれない、辞めるときに、わからないことは何でも聞いていいからと開けておいたと言われたと立腹して言われた方がいました。

何も面倒をみないから辞めたと言われました。

このご時世、セクハラととらえかねられないこともあります。

同じ立場に立てば、私も同じような対応を取らざるを得なかったと思います。

逆に、ある企業で長期間勤務して、気分一新して働きたいというかたで、前の会社ではこうだったというところが出てしまいます。

いろんな本で、前の職場のことは出してはいけない理由を含めて解説されていますが、それだけ出ざるを得ないということでしょうか。

就職したらその場の指示、人権などを侵害するなど目に余る指示は論外ですが、これに従っていかないと機能不全です。

このために書類を交わしますが、それでも、自己の主張をされる方がいます。

私は、保護される側に保護する側の立場、状況を理解せよとは言えません。

わかりませんでした。

経験して、全体が見えました。

急いでいると人にぶつかって、その人がすごい勢いでまくし立ててきて、余計に時間をとってしまうことがあります。

自分が急いでいて、余裕をもって距離を取れなかったからと今まで思っていたのですが、どうやらそれだけではなかったようです。

当たった人は、待ってましたとばかりに怒鳴り散らされます。

離れたところから見て、急いでいて余裕がないことが見て取れたのでしょう。

それでぶつかりやすいようにわざと距離を詰めていたのでしょう。

ぶつかって、被害者面で、ストレス発散していたのです。

人はその人だから乗り越えられると神様が試練を与えてくれる、テストなさるというのを信じていました。

もっと自分に正直になってもいいかなと思います。

なぜ自分にこんなことが、こんな不運がと、悪態ついてもいいじゃないかと。

もっと気楽に、もっと自分を緩めてもいいじゃないかと。自分を許しますと。

 

電車に乗っていて、立っていると、靴の上を杖で突くおじいさんがいました。

何のことかと思っていると、場所を変われというのです。

横のおばあさんがいられました。

変わると、それまでイライラしていたのが、にこにこしておばあさんに話しかけていました。

猫なで声で。

 

アンベードガル博士、この名前を日本で何人の人が知っているでしょうか。

マハトマ・ガンジー、ネール首相、この二人の名前はどこかで聞いたことはあるでしょうが。

また、アウトカーストという言葉を耳にしたことは、ないでしょう。

ただただ驚きます。

インドはイギリスの植民地でした。

そのインドではカースト制が、ヒンズー教のマタによって定められたとされています。

カースト制は、アンべードガル博士によって法律上は廃止されていますが、いまだに人々の中に残っています。

事実上残っているということでしょう。

振り返ってみて、日本では士農工商、最下層の存在。

人は人を区別します。

人は人をわからない、人を変えることはできない。

アンベードガル博士もアウトカースト出身で様々な嫌がらせ、差別を受けてこられました。

その中で、本人の才能と外部有力者の支援にて、大学、留学を成し遂げ、カースト制に対抗されています。

志半ばでの急死が惜しまれてなりません。皆がそうだと思います。

苦しんでいる人によりそうとは何か、独立とは何か、ガンジーとは何かなど、突き付けられたk十は大きい。

日本で仏教は成り立っているのか。彼らは言います、立ち向かう勇気がないのだと。

どの口から、人に寄り添うという言葉が出てくるのでしょうか。

受け売りで失礼なことをお断りします。

アンベードガル博士に関して、ネットでもいいので、一人でも多くの人が知っていただき、今ここ日本、自分がいる今、どう生きるか考えて、どう生きたら自分が穏やかにいられるか、今一度考えてみませんか。

 

自分をいじめたり、きつく当たる人は別として、

関係があった人が亡くなったり、都督離れたりすると、いい人になります。

それはなぜかと考えると、その人と直接の関係が持てなくなると、

自分の思考の中でその人を作り変えるからだと思います。

つまり、自分に都合の良い、自分がそうあってほしい人に変えるからではないでしょうか。

本来は、人は他人のことが分からない、人を変えることができない、これが大原則ですが、

自分の頭の中だけならばどうにでも思うことができるからです。

いなくなった人は、皆聖人に変わる、これはこういうことではないでしょうか。

 

ムーミンの中のミー、内藤大助さん、尾畠春夫さん、斎藤一人さん、生協のお兄さん、ラグビーの泣き虫先生、他にも多数のヨナ中には出てこない毛れだ、無数の心に響く言葉を本に残してくれた方々がいます。

彼らの言葉を読んで、本当にそうだ、そういうように生きなければと、たびたび感じ入りました。

その過去の自分を振り返って、その時々で受け入れられる状態が自分にあったことに気づきました。

心に残ると新聞などで紹介された本も読んでみましたが、私には響かなかったものが多数あります。

その本が悪かったわけではありません。

当時の私にその言葉を受け入れることができる素地がなかっただけだと思います。

縁がなかったとでも申しましょうか。

縁は見つけるものだと改めて思います。

無駄にはなっていません。

縁を見つけようとして、縁がなかったことが分かっただけです。

見つけなければわかりません。

どうか身の回りにアンテナをひいて、縁を見つける行動をとってください。

損なことは何もありません。

やってみなければ何も起こりません。

やればわかります。失敗はありません。

唯一の失敗はしなかったこと。

一歩前に。踏み出してください。

そこでうまくいかなければ、改良すればいいだけ、直せばいいだけ。

うまくいかないほうが学びがあります。

 

 

改めて、この型は悟り、あるいは悟りに近い方だと思いました。

清算ともいえる幼少時代を送り、ぐれもせず、ひたすらに生きてこられたこと、感服します。

この型が、自分は額がないからと、今夜間中学に通ってあります。

この方に、日本中から相談が来ているようです。

今の学校社会、学歴社会とでも申しましょうか、競争社会とは別の価値基準で人を引き付けます。

人に欲があるからら、これがないとか、人よりもこんなにできるという優越感とか、すべて欲です。

欲があるから、人との差を感じ、差をつけ、自己否定、卑下、優越が生じる。

根底にあるのは、自分に自信がないから、自立という一人でもという気持ちに気づかないから。

尾畑さんは自分で決めて、自分のことは自分で責任を取ってこられているから、人と比べることがない。

この人との差、この差を限りなくとられているから、悟り、人が魅力を感じ、相談しようと思い、連絡するのでしょう。

つらさ、悲しさ、切なさ、苦しさを経験して、それを乗り越えるのではなく、やり過ごせたから、差が取れたのか、それはわかりません。

ただ、御畠さんの本を読むと、言いようのない落ち着きが得られました。

ちょっとしたことで腹を立ててしまう自分を見直しました。

手続きを取るなら、手続きを取る前に準備をしないといけないのに、それをせずに、手続きが煩雑、理にかなっていないと、担当者を責め、声を荒げ、ぐしゃぐしゃに怒りに任せて一方的に記入した、自分は愚か者です。

謝って済むものではありません。この重みを猛省、尾畠さんを見習い、今後は自分が犯したひどい行為の見返りに他の方々にできるだけ優しくしようと思います。

 

以前に勤務したクリニックで、受付の方のお父さんが店をしてありました。

納入の仕事をしていて、ある日体調がどうもよくないと病院へ行かれたそうです。

すると、肝臓に多発性の腫瘍があり、多臓器に転移されていたそうです。

こんなに元気にしていてと、受付の方も含め家族全員びっくりされました。

余命半年と言われ、経過は全くその通りで、日に日に衰弱し、結局3か月後に他界されたそうです。

これまで全くどうもなく、むしろ風邪もひかないくらい精神力も強い方が、胸に痛みがあり、しこりがあるのに気づいて病院を受診されました。

当初は、ステージ3と言われていたのですが、血液検査で腫瘍マーカーが驚くほど高値。

しかも、画像検査を進めていくと、触診では同側のリンパ節だけに腫れが認められる程度だったのに、肝臓に転移層が見つかり、さらなる検査をすることになりました。

そして、余命半年の宣告。

家族は、その報告を受けて、青天の霹靂、驚き、ただただ立ちつくすばかり。

抗がん剤や放射線療法といいますが、こんなに抗がん剤が多種発表されるのは、抗がん剤が思うように効果を発揮しないからではないかと思います。

思わぬ死刑宣告。半年をいかに過ごすかに、いきなり目標が変わってしまったのです。

生きたいのに、もはや生きることができない人がいます。

死にたい、苦しい、そうですよね、わかります。

そのくらいきついということを言いたいのですよね。

生きたくても、死なざるを得ない、死を待つ人もいます。

自殺すると口にしてほしくないなーと思います。

まだ生きられるのですから、命の火を生きれるだけ燃やしてもらいたい。

見えない力にゆだねて、その力がもたらす調和するまで、生きてもらいたい。

苦しいですよね、わかります。

死に行く人の分を背負っている、そう思ってもらいたい。

我慢できず、大声を出したり、人に迷惑をかけることもあるでしょう。

掛けないように自制できれば素晴らしいです。

できず、大声を出したり、乱暴にふるまったり、そうせざるを得ないときもあるでしょう。

そうしたら、自分が人として未熟だったことに思いをはせて、もうそうしない自分に自分を磨けばいいんです。

その時に、初めて、感情を挟まなずに考えられる自分になれる、悟るのではないでしょうか。

差を取る、悟り。