小中学校の頃は、校長先生というと、何でも知っていて、学校という世界の中で絶対的な重要性を持つ人だと思っていました。
同じように、教授ともなれば、正しいことしか言わず、場を仕切ることができ、良識にあふれた人なのだろうと、敬っていたものです。
確かに、地位は人をつくります。
しかし、人はそうそう変わらないものだと、歳を重ねるにつれて、つくづく感じるようになりました。
自分自身が63歳になってみて、18歳の頃と、35歳で留学していた頃の自分と、いったい何が違うのだろうと考えることがあります。
もちろん、経験は増えました。
35歳の頃には、「まだこれから先に未来がある」という、開拓者のような気持ちもありました。
けれど、考え方や好むもの、物事に対する感じ方などは、実際にはそれほど変わっていないように思います。
教授など、組織の中で上に立つ人と実際に接してみると、それまでまったく面識がなかっただけに、自分が勝手につくり上げたイメージだったことに気づかされます。
「教授なのだから、きっとこういう人だろう」
「偉い人なのだから、何でも分かっているのだろう」
そんなふうに、こちらの思い込みだけで、その人を見ていたわけです。
年齢を重ねれば、外見は変わります。
しかし、その人の内面までが、それほど大きく変わるわけではありません。
自分と同じような年代の人が、ただ自分より少し多くのことを見たり、聞いたり、経験したりしている。それくらいの違いなのかもしれません。
そう思うと、恭しく敬ってばかりいる必要もないし、平身低頭して、言われたことはすべて正しいと思う必要もない。
「自分とはまったく違う世界の人」でもないのです。
世の中、年齢や肩書きが違っていても、人間そのものは、それほど変わらないのだと思います。
そして、近くで接するようになると、逆にその人の至らないところも見えてきます。
それも当然です。
みんな人間なのですから、完璧な人などいません。
だとしたら、何か一つでも、自分が一生懸命になれる分野を持ち、それを少しずつ深めていくことこそ、素晴らしいことなのではないでしょうか。
教授であれば、その分野を極めているはずです。
医師も、資格を取ったからそれで終わりではありません。
その資格によって与えられた仕事や能力を使って、「自分はこれをやっていきたい」と思えるものを見つけ、それを突き詰めていく。
私は、そういう人を素晴らしいと思います。
一方で、世の中はなかなか一筋縄ではいきません。
名誉欲や出世欲など、さまざまな欲に突き動かされて、上へ上へと上り詰めていった人もいるでしょう。
資格にしても、資格そのものがその人の偉さを保証してくれるわけではありません。
肩書きや資格の向こう側に、その人が何をしてきたのか、何を大切にしているのかがあるのだと思います。
子どもの頃に「すごい人」だと思っていた人も、近くで見れば、普通の人間です。
そして、自分自身もまた、誰かから見れば、同じような普通の人間なのでしょう。
「すごい、すごい」と思っていたものが、近づいてみれば、案外そうでもなかった。
まさに、**「幽霊の正体見たり枯れ尾花」**です。
だからこそ、肩書きに惑わされることなく、その人が何をしてきたのか、そして自分自身が何をしていきたいのかを大切にしたい。
歳を重ねた今、そんなことを思います。