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メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

患者さまの体調や症状を丁寧に確認した上で、必要な治療や内服をご提案しております。
診断書は経過観察や医学的判断に基づき発行しております。
初診時に症状確認だけで即日発行することは原則として行っておりません。

人は痛いところ、核心を突かれると、わかってるからと怒り出します。

自分でわかってるけどどうしようもできないと言う抵抗なのです。

怒らせると伝わることも伝わらない、だからそこは避けて無難なことを話せばと言う人もいます。

神様は人の前にハードルをもってきて、そこをクリアしたら、上の段階に引き上げてくれるみたいです。

そのハードルを避けようとすると、一時的に目の前に障害がなくなるかもしれませんが、今度はさらに高いハードルを神様が持ってきます。

天網恢恢、疎にして漏らさず。

現実から目を背けていると、時間が経てば経つほど、その現実の問題はさらに大きくなっていくと言うことです。

目の前の現実から目を祖ささずに、一つ一つ対処していかなければいけないのが人間。

築いたことは言わなければならないと言う思いを持っています。

気づいてもらいたいのです。

指摘して、ふざけているのはありません。

不登校の問題で、ちょっと前は教育委員会や精神科医内で、刺激になるから触れないで休ませておくのが主流でした。

改善、改良ではなく、現状jで何風立たないことが大事でした。

それが今はガッコ区の情報を入れながら接触していくに少しずつ変わりつつあります。

私はそれでも物足りなく思います。

どの問題にしても、責める気持ちはないこと、そのうえで、感謝の気持ちを持つことが大事、自分を許していこうと自分を緩めること。

わかってるから、そんなことしてどうなる、もういいなど声を荒立てて返されたり、逆に怒鳴られたなど言う現実と違うことをいう方々ばかりです。

あくまで冷静に言っています。私が怒鳴る必要があるのでしょうか。

彼らはそれだけ過敏なのでしょう。

ある人は、その人は今世では理解できないんだから仕方がない、来世、さ来世まで、ずっと学びを続けるのだから仕方ないよという人もいます。

だからこそ、私は言い続けますよ。

わかってもらえず、来院されなくなっても仕方ないです。

必ずどこかで気づいてくれると信じていますから。

他人と比較しても、隣の芝生は青く見えるだけです。

青く見えると、自分よりも立場が悪い人を探そうとする、無意味な行動をとりがちです。

誰しも陥る罠。

結局、自分の行動は自分の責任、100%自分の責任です。

自分が楽しくないのも自分が楽しくないと思うから、楽しいと思えば楽しい。

いじめられても、仕方ないと無気力になり、いやと思うことを捨てて、逃げずにこびへつらうようになる。

逃げなければいけない。逃げずにもうどうしようもない、仕方ないと、無気力になり、受け入れてしまう。

これは自己尊厳、事故存在感の否定、放棄です。

どうしてそう言えるのか、それは私も陥ったからです。

どうにも逃げられない、縛られた感じで身動きが取れません。

だからこそまず逃げることです。その状況から逸脱すること。

脅されたり、脅迫されるから逃げれないという呪文にかかってしまっています。

思い切って逃げる。かかわらないぞと覚悟する。

今だったら、だから何だと言います。

トラウマ、恐怖心がなくなるわけはありません。

傷は残ります。

ボクシングのチャンピオンの内藤さんが、勇気を出して自著の中でも同じことを言っています。

それでもここで引くと同じ状況の繰り返し、だから勇気を出して自分を守る、もしも対決するときが来るならば、他人が自分の尊厳を傷つけて人格を傷つけていいものではない、虐げられるいわれはない、人から舐められちゃいけないんだと毅然とする覚悟、腹をくくっています。

こちらから無理して攻撃する必要はない。

何かしてくるならば毅然と対抗する気持ちを持つだけです。

勇気というものは、平然とできるものではないと思います。

ぶるぶる恐怖と闘いながら、一歩、いや半歩、いえつま先ちょっとでも出ていくことだと自分は思います。

過去のことを悔しがったり、後悔しても何もなりません。

それはずっと負の記憶を持ち続け、さらに自分を傷つけること。

そうではなく、記憶を変えましょう。

そういうことがあっても生きていてありがたい、そんな自分を許しましょう。

許せない自分を、自分を許しますと言いましょう。

ただ言うだけで良いのです。

言っているうちに何かが変わってきます。

言い続ける覚悟を持ちましょう。

私も言い続けます。

死にたいと言うのは、死にたいくらいつらいと言うこと

自殺はダメです。

司法解剖に従事した期間がある経験と同じようにいっそ刺し殺してほしいと夜中に異国のダウンタウンをただ歩きまわったこと、何より転んで骨折して地面に這いつくばった経験からすると、死ぬと言うことは痛かったり息ができなかったりあるいは何とかしたいと思っても動けない、どうにもできない以上の、さらなる痛み、苦しさが一気に押し寄せてくることだと思います。

死ねば楽になると言う言葉をテレビとかで流されるのを聞きますが、死んでどうしようもなくなる前に、どうしよう眞井、孤独、伊丹、つらさが来るのではないでしょうか。

死ぬ前に走馬灯のように過去が思い出されると言いますが、死ぬ前にものすごい孤独、絶望感、痛みなどの苦しさが押し寄せ、それは瞬時であっても、永遠に続く感じではないかと思います。

だからこそ、自殺はしないでほしいと切に願います。

また、他殺がいけないのは、そんな時間にしては瞬時かもしれませんが、当人にとっては永遠とも感じられる孤独感、絶望感、痛みなどを押し付けるからだと思います。

そして、その苦しみを加えた更なる苦しみが自分に返ってくるからだと思います。

人生は1回きりです。

過去をやり直すことはできません。

ただ、過去というのは過ぎ去った事象、記録にの祖すことはできても、単なる事象。

当人にとっての過去は、その自分が覚えている過去のことに対する思い。

’過去’と言っているのは、その人が現在思っている思いでしかありません。

だから、過去は変えられると言うのです。

自分に起こった過去は結局は現在の自分の思い。

良くも悪くも、自分がどう思うかだけです。

だったら、今を楽しくすれば、過去は明るいものに変わります。

今を楽しくするのは、今自分が楽しいと思うだけ。、

楽しく思えなければ、楽しい、楽しいと言ってください。

全て、物事は陰と陽。

自分が楽しいと言っているうちに、何かしら楽しいことが見つかります。

やってみてください。

お願いします。

 

 

1月17日(土曜日)は、10時より始めます。

遅れて始まり、申し訳ありません。

どうか宜しくお願い申し上げます。

元ジャイアンツの桑田さんが、能率的な練習、休息を挟んだ科学的なトレーニング、怒鳴らない、叱らないなど言われているのをネットで目にします。

私がタップダンスをやっていた時に、今から40年くらい前になりますが、中の先生からよくこうだ、こうなんだと土器を含んだ声で良く怒られていました。

その時は、そんなに言わなくてもいいだろう、もっと技術的に話してくれよと内心思っていました。

桑田さんとは違った方法ですね。

さて、自分が少し教えたり、他のことを教えたりするときに、何とかわかってくれとの思いが強くなればなるほど一生懸命になり大きな声になってしまいます。

今から思えば、中の先生は私に覚えさせようと一生懸命だったんだと、今だからわかります。

胃炎に思いを込めれば、その者を何とか動かしたくなる、でも人を動かせるのはその人だけ。

変な人の言うことだから真に受けないでほしいのですが、桑田さんの言うことはおおむね正論、各論は疑わしい。例えば、練習をセーブさせると言われますが、球場で走った後が道となった桑田ロードはちょっと走ったことでできたのでしょうか。それはないです。

Japan’s assistance to developing countries is besed on the idea of teaching people skills so that they can stand on their own. This is the same asa saing that giving fish to people who are hungry is only a short-term solution- they should be taught how to fish.

日本の開発途上国支援は、その国の人たちが独り立ちできるようにスキルと伝授すると言う考え方に基づいています。食べ物に植えた人に魚を与えても、その場しのぎにしかならないので、釣りのやり方を教えるべきだと言うのと同じです。

NHKラジオビジネス英語 12月号 Lesson47より

 

 

精神科治療もそうだと思います。不安でたまらない人に薬を与えて落ち着かせてもその場しのぎにしかならない。

どのようにしたら落ち着けるか教えるべきだと言いうのと同じです。

 

受診者も、楽にしてくれ、私を変えてくれという方が多く、もちろんその場を落ち着かせるのは必要ですが、その後に対して聞く耳を持たれない方が多いです。

 

ガリレオは貧しい生活で終生を終えたと聞きます。

正しいかどうか定かではないのですが、現在ある科学的な生活は彼の功績がなければ成り立たないのではないのでしょうか。その偉人に対して、生きている間に報えなかったのは、なんとも歯がゆい。名前は後世に、全世界に知れ渡っていますが、名前を後世まで残したかったのでしょうか。ゴッホなりトラは死んで皮を残す、それが一番の名誉、栄光なのかもしれません。ただし、生活に困って、意図せず人に頼んで家庭教師をしていたらしいので、結構苦労が絶えなかったのではないでしょうか。

こういうことを言うのは、まわりの精神科医からしたら、変な精神科医ですが、

抗うつ薬なり、抗不安薬なり服用させて、おとなしく言うことを聞くようになったり、

話しができるようになると、あーよくなった、薬の効果が出ましたというのはおかしいと思います。

もっとも、本人がこういうことをしたかった、こうしたいんだと自分の意見を言うようになれば、

良い兆候になっていると思います。

言いたいのは、自分の自主性、能動性が失われ、あるいは乏しい状態で、言われたことに応じる、従う、そんな状態が良くなったと言うのかということです。

王うつ薬はうつ症状を改善する、抗精神病薬は幻聴、妄想などの異常体験を軽減緩和すると触れ込みで次々と新しい化学物質が商品化されています。

薬が治す、人を変える、これが認められています。

うつの原因、統合失調症などの精神病の原因はさておき。

原因や経路がはっきりしないのに、これで良くなるという理屈です。

結果を見て、異常なことを言い出さない、言うことを聞けるようになった、これは考えなくなったと言うことに近いのではないでしょうか。

これまでに同様なことを言われていたのは、家族でした。

私が聞いてきたのはすべて家族からです。

私もそう思います。

抗うつ薬が気分持ち上げ、気力が出るようになる、抗精神病薬が幻聴を押させえる、

野ではなくて、抗うつ薬は過去の記憶を遮断するあるいは思い出しにくくさせる麻酔作用、

抗精神病薬は思考のまとまりを欠いて考えにくくさせる麻酔薬、そうではないでしょうか。

教科書が政党ならば、私は間違っています。

私の考えは変わりません。

薬が治すならば薬を悪性症候群が起きない程度までどんどん増やしていけば、理屈通りならば、その薬であっても効果がありハッピーエンドです。

服用していて、きつい、だるい、眠い、お前が飲んでみろと家族に薬を放り投げた人がいました。

家族はのみました。頭がぐらぐらして、立っていられないくらいだったと私に言われました。

こんな薬をのませないといけないなんて、私たちはどうしたらいいんですかと。私が医師になりたての時のデイケア懇談会で私に訴えてこられました。

何も考えられない、ただただボーとしましたと。

その患者さんは,結局、切腹して他界されました。

約40年前のことです。私の頭にずっとこびりついて離れません。

だからこそ、作用に多少の違いはあれだどれも麻酔薬であり、ある程度の麻酔をかけた状態で、その人の考え方に影響を加える挑戦をしなければいけないと、思うのです。

 

実は、家族が、ゲーム依存症、ネット依存症で、家の中は修羅場。

依存症のひどさは身にしみてわかります。

そうじゃない人間からすると、どうしてこうなるのかと言いますが、

本人は現状から逃げ出す、時間つぶしを見つけたという状況。

依存症の専門家が、木乃伊取りが木乃伊になるとはよく言ったものです。

だから、相談に来られる方の一言一言が、実際はよくわかります。

そして、書籍に書いたり、学会誌に書いてあったり、はたまた講演されている方の言うことが、

(言っていいものか)まったく他人事、解決を導くものになっていないことを実感しているのです。

財布から金をくすねて使い込んだり、隠れてずっとゲームに熱中したり。

わかります。

だって、当事者ですから。

だからこそ、そんな方の力になりたい、そう思うのです。

下記の2つの歌を何十年も好んできました。

その歌い手が歌のイメージとあまりに違っていたので、

また歌詞の意味をいまさらながら考えてみて、

あー自分はこの歳になりながら世間知らずだったなと恥ずかしくなりました。

アルコールはご存じのように脳を破壊します。

人間は理性だけで生きていけない動物で、

自己破壊ですが、アルコールの脱抑制も欲します。

自分がアルコールを飲むと頭痛がしたり、吐き気を催すので、たまたまなのかもしれません。

2番目の歌詞は、作成者は想像に負けせて作っていたのですね。

うまいこと乗せられました。世間知らずでした。

人は思い込みで生きる動物。

あらためて、自分で考え自分で判断していくことの大切さを再認識させてくれました。

100%自分の責任です。

 

 

Those Were The Days

1番
Once upon a time there was a tavern
むかし、ある酒場でのこと
Where we used to raise a glass or two
私たちそこによく通ってグラスを傾けたわね
Remember how we laughed away the hours
思い出すわ 何時間も笑い続けたこと
Think of all the great things we would do
二人で素晴らしい夢をいっぱい考えた


Those were the days, my friend,
そんな時代だった
we thought they'd never end
終わりなんてないと思ってた
We'd sing and dance forever and a day
いつまでも歌い踊り続けて
We'd live the life we choose,
自分たちで選んだ人生を生きて
we'd fight and never lose
闘っても決して負けない
For we were young and sure to have our way
私たちは若く 自分の道を確実に歩んでいたから
La La La ……

 

2番
Then the busy years went rushig by us
それから 忙しい日々はあっという間に過ぎて
We lost our starry notions on the way
キラキラ輝いていたあの夢も 途中で見失ってしまった
If by chance l'd see you in the tavern
もし偶然、あの酒場であなたを見かけたら
We'd smile at one another and we'd say
お互いに微笑んで こう言うでしょう

★繰返し


3番
Just tonight I stood before the tavern
ちょうど今夜 酒場の前に来てみたけど
Nothing seemed the way it used to be
何もかも以前のようには見えなかった
In the glass I saw a strange reflection
店の窓に映る 奇妙な人物
Was that lonely woman really me?
その寂しい女性は 本当に私なの?

★繰返し


4番
Through the door there came familiar laughter
ドアの向こうから聞き覚えのある笑い声
I saw your face and heard you call my name
あなたの顔を見たら私の名前を呼ぶのを聞いた
Oh my friend we're older but no wiser
ああ友よ 私たちは歳を取ったけど賢くはなってない
For in our hearts the dreams are still the same
でも私たちの心の中にあるあの頃の夢は 今も変わらない

 

Country Road

Almost Heaven, West Virginia
天国のような ウェスト・バージニア
Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
ブルーリッジ山脈と シェナンドー川
Life is old there, older than the TREES
生命の営みは そこにある木々よりも古く
Younger than the mountains, growing like a BREEZE
山々はさらに古くから 悠然とそびえ立つ

Country roads take me home
カントリー・ロードが 私をいざなう
To the place I belong
立ち返るべき あの場所へと
West Virginia, Mountain Mama
ウェスト・バージニアの 母なる山へ
Take me home, country roads
連れて行ってくれ カントリー・ロードよ

All my memories gather 'round HER
私の記憶の多くは 貴女のことばかり
Miner's lady, stranger to blue WATER
炭鉱地の女性は 海とは縁がないものだ
Dark and Dusty, painted on the SKY
暗くくすんだ灰色に 染まっていく空の元
Misty taste of Moonshine, teardrop in my EYE
酌む「月明かり」は霞の味 目には涙がひとしずく

Country roads take me home
カントリー・ロードが 私をいざなう
To the place I belong
立ち返るべき あの場所へと
West Virginia, Mountain Mama
ウェスト・バージニアの 母なる山へ
Take me home, country roads
連れて行ってくれ カントリー・ロードよ

I hear her voice in the morning hour, she calls me
朝になると 貴女が私を呼ぶ声が聞こえる
The radio reminds me of my home far AWAY
ラジオを聴くと気づく 故郷がどれほど遠いのか
Driving down the road, I get a feeling
車を飛ばしながら 私はこんなふうに思うのだ
That I should have been home yesterday, YESTERDAY
なぜもっと早く帰ろうとしなかったんだろうと

Country roads take me home
カントリー・ロードが 私をいざなう
To the place I belong
立ち返るべき あの場所へと
West Virginia, Mountain Mama
ウェスト・バージニアの 母なる山へ
Take me home, country roads
連れて行ってくれ カントリー・ロードよ
Country roads take me home
カントリー・ロードが 私をいざなう
To the place I belong
立ち返るべき あの場所へと
West Virginia, Mountain Mama
ウェスト・バージニアの 母なる山へ
Take me home, country roads
連れて行ってくれ カントリー・ロードよ

Take me home, Down country roads
このまま連れて行ってくれ カントリー・ロードよ
Take me home, Down country roads
このまま連れて行ってくれ カントリー・ロードよ

★繰返し

20代のころから臍の下あたりが妙に圧迫されたような感じで、ベルトが押しているのかと考え提案したが、結局腰椎椎間板ヘルニアだったのでしょう。

腰が痛いのは若いころからで、様々なストレッチを試しました。

腰痛にいいと言うさまざまな漢方も飲みました。

結局どれも効果がありませんでした。

ヘルニアには効果に乏しいと言うことを身をもって知りました。

自分で腰を押す機械も作りました。

グッディでパイプと、接合機器を購入して、ネットでバーベルに使う重りを買い、自己流で作ってみました。

商品化も考えたのですが、仰向けに寝て押しても気持ちはよくなっても、結局腰痛は変わりません。

余りに痛いときは、人に乗ってもらい足で押してもらうこともありましたが、その時は収まるのですが、またすぐに腰の痛み、それと時を同じくして臍の下の圧迫感が起きるのです。

ようやくヘルニアと自分で認め、ネットで見た整形外科クリニックの腰痛体操をやってみることにしました。

これまでのヨガ、ストレッチみたいに、しんどいものではありません。

読んでみると、何か物足りない感じがしましたが、とにかくやってみました。

コブラのポーズ(うつ伏せに寝て、上体を起こして15秒保つ)、仰向けに寝て両足をそろえ左右にゆっくり倒す、仰向けに寝ておなかを引っ込ませて10秒保つ)、これだけでした。

すると、腰の痛みやへその下の圧迫感は残りはしましたが、軽くなりました。

無理に筋肉を伸ばしたり、ポーズを作ってしんどいことをしたのに、こんな楽なことで和らいでいくなんて。

下手な考え休むに似たりどころか、悪化をたどるでした。