福岡市早良区百道浜の精神科・心療内科 メンタルクリニック百道浜 オンライン診療|A Japanese Psychiatrist’s Perspective -3ページ目

福岡市早良区百道浜の精神科・心療内科 メンタルクリニック百道浜 オンライン診療|A Japanese Psychiatrist’s Perspective

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自分らしいって何だろうね。

死んだとき、死ぬ間際に、自分はこう生きてきたんだと思い返すことかな。

人から無理やりさせられた、こんなことしかできなかったと思うかもしれない。

でも、最後に、実行したのは自分。

いやいや受け入れたのは、結局受け入れてその流れに乗ったのは自分。

自分らしいのは、そう、自分がそうしか行動できなかった、その方向性、考え方だったのじゃないかな。

後で振り返って、悔しがってもその時はそうしかできなかったし、それが自分だったんじゃないかな。

自分らしいとは、結局とった行動のことじゃないかな。

それが自分で、納得、満足できるかは別。

その時はそうしかできなかったんだから。

仕方ないよ。

まあいいか、まあいいか。

これからのことを考えて、過去は終わったこと。

最後、死ぬときに、せめて、あーそうだった、そうだった、そうしかできなかったもんなと言えるようになりたいね。

昔におしんというテレビ番組がありました。

それ以前にも、貧しい田舎の娘たちが、 製糸工場 で働かせられていました。

あるいは、売られていくというという話も。

その中には、中にはですが、たくましく生き抜いた女性が多数いたことが今では知られます。

製紙工場では、仕事が決まっていて、給料、休み時間があり、家にいるよりはずっと楽と楽しんだものもいたようです。

もちろん、売られていくものの対極に買うものがいるから成り立つこと。

お金持ち、分限者、資産家と言われる人たちですが、これも今でいう資本家と同じく、人を使う側にいるもののことです。

儲かるもののために、儲からないものが汗水たらして、苦しんで、切羽詰まる。

何も今と変わりがあることではありません。

そして、売られた少女たちが生き延びれたのはなぜかと思いました。

現在で同じ状況があれば、回りと比較できるのですから、あの人はとか、私だけとか、回りと比較して自分を嘆いてしまっていたことでしょう。とても生きていけるような状況ではありません。

このような比較を考えてみれば、現在において苦しんでいるのは、これまでの時代よりも苦しんでいるのは、すべて自分が作り出していることがわかります。

そこで苦しんで何になるでしょう。

苦しむだけ、自分をさらに傷つけていることに他なりません。

今苦しいのはわかるよ、そうだよね、わかるよ。

だからこそ、だからこそ、自分をさげすまないで、傷つけないで。

考えずに、心から、自分を許しますと言おう。

言っているうちに、新しい時分、新しい考えが出てくるから。

安直にこうしたらすぐできるとか、これだけしておけばいいとかいう、指南書があふれかえっています。

もともとは教科書とでもいうような正当なものがあるけど、それがとっつきにくいために、部分部分を話し言葉にまとめたもののようです。

取り掛かりやすいでしょうが、ここで変に癖がついてしまうと、その部分はわかった、でも全体は見えないになりがちではないでしょうか。

きちんとした説明がなされている新書があるならば、それに取り掛かったほうが結局は早いし、確実な気がします。

これは、精神科の治療も同じで、安易にこの薬をのめばいいよとか、休んでおけばいいよというたぐいの処遇は傷口を広げかねません。

どうか心してほしいです。

大学入試は、高校3年間の集大成。

高校生にとって、高校の科目は到底全部をできるほど余裕があるものではない。

とにかく効率的に、かつ正確にこなさないといけない。

つまり、教科書を作る側が設定した枠にいかにはまるかがポイント。

あるいは、出題者側の設定にいかに適応できるかがポイント。

数学で、別解など、おっと思わせる回答を時々見かけるが、それは意外性の楽しみであり、本来は教科書に基づいた回答をいかに短時間で正確に作成するかを問われる。

結局、出題者の意図するところに合致しないと高得点は出ない。

そして、テストはバリエーションが豊富。

一つ一つを抑えていこうとしたら、それは何年かかることやら。

でも、その背景、出は、本来多くはないはず。

実際答えを見ると、決して豊富な内容を問われているわけではない。

逆に言えば、模擬テストや、その種の問題集がたくさん本屋に並んでいるが、すべてをこなすことはほぼ不可能だし、高得点を得るためにこの量にとらわれるのは意味がない。

たくさんあるように見えて、抑える部分は少なくはないが、ある程度に絞られるはず。

そこに気づくかどうか。

また受験シーズンが来る。

受験生、あれもこれもではなく、的を絞ること。

的を絞って、しゃにむに突き進め。

どれか一種類でいいはず。そして、自分はこれはこなしたんだからと、自分の努力を信じること。

頑張れ。

排尿した後、しばらくすると、尿道から尿が漏れてしまう状態、残尿による尿漏れ。

人に言えない悩みですね。

一旦は排尿した後、しっかり最後まで確認するも、少し歩いたりすると、ちょろっと。

男性、女性問わず、年齢が上がると起きる現象でしょう。

この対策として、意外と知られていないのは、排尿後に、しばらくその場で、足踏みすること。

すると、尿道に残っていた尿がちょろっと出ます。

すると、その後に、パンツやズボンを汚しません。

お試しあれ。

一旦充電したと思っていた充電池を、念のためにと思って充電器にかけました。

すると、半分くらいの残量を表示されました。

再度充電器に掛けて充電することにしました。

使用していないので、これ以上の充電はできないはずなのですが。

ちなみに、再充電した後で、掛け時計にはめて使用した時に、チャイム、数取りの音の大きさは同じくらいでした。

なぜなのか、わかりません。

電池を充電し直して、もう一度取り付ける。

……うんともすんとも言わない。

仕方なく、窓際に置いておく。

しばらくすると、なんと動き出した。

しかも、時刻合わせまでしている。

「よかった」

昨日はそれで終わった。

ところが、今日見ると、7分遅れている。

なぜ?

慌てて、昨日やったことをもう一度繰り返す。

電波時計の機能をいったん切り、手動で12時に合わせる。
そしてリセットして、再び電波時計の機能に戻し、強制受信。

これでうまくいかなければ、やはり内部の歯車か何かに問題が生じているのだろう。

そうなると……お別れになってしまう。

もう、かれこれ10年以上、一緒にいてくれた掛け時計。

ああ、そうだった。

これは、私が最初に買った電波時計だった。

思い入れのあるものも、10年以上たてば、いつかはお別れの時が来る。

それが、今なのかもしれない。

時計が止まる。

そして、長く使ってきたものとの別れを考える。

そう考えると、不思議なことに、時計のことだけではないような気がしてきた。

長く続けてきたものにも、いつか変わる時が来る。

そして――

自分が変わるときは、今なのかもしれない。

先日、クリニックの時計を見ると、どうもおかしい。

時計が30分ほど遅れているのです。

電波時計なのに、なぜだろうと思いました。

そこで時計を外して、強制受信をしてみようとしたのですが、うまくいきません。

「ああ、これは電池切れだな」

そう思ったのですが、少し引っかかりました。

というのも、その電池は先月交換したばかりだったからです。

よく考えてみると、使っていたのはパナソニックなどの大手メーカーのものではなく、ネットで安く購入した電池でした。

「そんなに頻繁に充電するものでもないし、安いもので十分だろう」

そう考えたのです。

ところが、充電器にかけてみると、なんと電池残量がほとんどありません。

交換したときには、確か100%まで充電したはずなのに。

そもそも充電がうまくできていなかったのか、それとも自然放電が激しかったのか。

原因ははっきりしません。

とにかく、もう一度きちんと充電することにしました。

たかが時計の電池の話です。

けれど、こういう小さな出来事があると、

「やっぱり、高いものには高いなりの理由があるのだな」

と思います。

もちろん、高ければ必ず良いというわけではありません。

安くても十分に使えるものもたくさんあります。

ただ、値段だけを見て「これで十分だろう」と選んだ結果、結局もう一度買い直したり、手間がかかったりすることもあります。

最初から少し高くても、信頼できるものを選んでおけばよかった。

今回の時計を見ながら、そんなことを考えました。

そして、これは物だけの話ではないのかもしれません。

「安いから」という理由だけで選ぶのではなく、

その値段には何が含まれているのか。

なぜそれだけの値段がするのか。

そこまで考えて選ぶことも大切なのだろうと思います。

時計は無事、正しい時間を刻み始めました。

今度は、もう少し長く動いてくれることを願っています。

1998年、イタリアのパドバで開かれた学会に、Oさんと一緒に参加しました。

イタリアへ行く途中、ミラノで乗り換えました。

その駅でのことです。

Oさんのスーツケースを、エスカレーターで引き上げるのを手伝おうとしました。

ところが、逆にキャスターが引っかかってしまいました。

下手をすると、Oさんもろとも下に落としてしまうところでした。

Oさん、ごめんなさい。

今だから言います。

無事にパドバに着いてからは、二人で街の中を散策しました。

公園のような場所があり、そこでは小さなスクリーンを張って、映画を上映していました。

また、城壁のような高い塀が続いている場所もありました。

住民の方たちは、抜け穴のような小さな扉から出入りしていました。

何となく怖くて、私は中に入ることができませんでした。

一方のOさんは、そんなことはまったく気にする様子もありません。

平然と歩き、店に入っては、日本にいる家族へのお土産を買っていました。

「慣れているなあ」

「落ち着いているなあ」

と、私は感心していました。

泊まった宿も、今思い出すと不思議なホテルでした。

日本でいえば、大きな家を改造して、その中にいくつもの部屋をつくり、宿泊できるようにしたような感じです。

朝食は、台所のような場所でいただきました。

パンと飲み物だけの、いたって質素な朝食でした。

それでも、どこか落ち着いた雰囲気があり、私はあの宿が好きでした。

今年の日本の夏は、暑いというより、痛い。

日差しが肌に突き刺さるようで、とても歩いていられない日もありました。

あの時のイタリア、パドバの夏も暑かった。

しかし、少なくとも私の記憶の中では、今年の日本ほどではありませんでした。

学会が終わり、いよいよ帰国です。

一度ローマ空港へ行き、そこからそれぞれ帰ることになりました。

Oさんとは、イギリスのヒースロー空港まで一緒でした。

しかし、Oさんはそのまま日本へ帰るのではありませんでした。

アイルランドのベルファストにいる友人に会いに行くというのです。

そこで、お別れしました。

私はそのまま日本へ帰国しました。

Oさんは、帰国後も変わりませんでした。

道で困っている外国人がいれば、自宅に招いてビールをごちそうする。

ベルファストの友人を日本の自宅に招待する。

そんなふうに、自然に国際交流を続けていました。

当時の、あの年代の日本人としては、なかなかできることではありません。

いや、今でもなかなかできることではないでしょう。

迎える奥さんも、大変だったと思います。

本当に、ご苦労さまでした。

そんなOさんが亡くなって、もう10年以上がたちます。

きっと天国でも、相変わらずいろいろな人と交流しているのではないでしょうか。

言葉も国籍も関係なく、

「まあ、一杯飲みなさい」

などと言いながら。

Oさん、ありがとう。

そして、ごめんなさい。

僕が留学するときには、わざわざ奥さんと一緒に福岡空港まで見送りに来てくれました。

ありがとう。

無理なことも言いました。

ごめんなさい。

生きているうちに、もっと素直になって、もっと話をしておけばよかった。

もっと感謝を伝えておけばよかった。

今になって、そんなことを思います。

Oさんと僕は、結局のところ、似た者同士だったのかもしれません。

だからこそ、分かっているようで、分かっていなかったのかもしれません。

Oさん。

ありがとう。

そして、あの時のイタリア旅行で、エスカレーターから落としそうになって、本当にごめんなさい。

今になって、やっと言えました。

以前、法医学教室の大学院生だった頃、精神科の診断について、こんなことを話したことがありました。

「もっとその人の置かれている背景まで考えていけば、これほど膨大な診断名や症状を並べなくてもいいのではないか。目の前の現状を一つ一つ取り上げているだけでは、本質を捉えていないのではないか」と。

そのとき、元科学捜査研究所の所長をされていた方から、

「自分だけきれいでいることもできないよ」

と言われました。

その方とは、なぜか馬が合い、いろいろなことを話しました。

今思えば、あの言葉は、世の中を生きていくうえでの一つの忠告だったのだと思います。

理想を追い求めて、何でもおかしいと思ったことに首を突っ込むよりも、長いものには巻かれていたほうが楽なこともある。医師として、すでにある程度有利な立場を得ているのだから、あえて危ないところに踏み込まず、その立場を利用して生きていけばいいではないか――。

そんな意味だったのかもしれません。

結局、私はその忠告には従いませんでした。

けれども、その方が狡猾だったとか、日和見だったということではありません。むしろ、私に世の中の渡り方を教えてくれたのだと思います。

「本当はおかしいのかもしれない。でも、世の中ではこういうことがまかり通っている」

そんなことも、折に触れて、そっと教えてくれました。

今では、もう亡くなられています。

私を家に泊めてくださったこともありました。いろいろと親切にしていただきました。飲み会に参加するときには、「枯れ木も山の賑わいだから」と、ご自分を少し自嘲気味に笑っておられたことも覚えています。

亡くなられたのは、もう11年前になります。

亡くなる数日前、私は病院にお見舞いに行きました。

そのとき、私は一冊の本を紹介しました。すると、その方は本の内容についてメモを取っておられました。

今になって思うのです。

名前を口で伝えるだけではなく、その本そのものを買って持って行けばよかった、と。

そうすれば、あの方が最後にどんなことを考えていたのか、もう少し知ることができたのかもしれません。

もう、ずっと、ずっと前の話です。

けれども、ときどき思い出します。

「自分だけきれいでいることもできないよ」

あの言葉が、今でも心のどこかに残っています。