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メンタルクリニック百道浜 福岡市 早良区 精神科 心療内科 漢方外来 ついてる

患者さまの体調や症状を丁寧に確認した上で、必要な治療や内服をご提案しております。
診断書は経過観察や医学的判断に基づき発行しております。
初診時に症状確認だけで即日発行することは原則として行っておりません。

しもやけ、凍傷に悩まされます。

10年ぐらい前から冬になると、急に寒くなったころに始まり、暖かくなるにつれてなくなります。

紫雲膏をつけていましたが、ジンジンするときはステロイド軟こうをつけます。

いずれも市井の薬局にあります。

毎回なるので、今年も用心していたのですが、気づくとなっていました。

今年は用心のために、靴下の上にまた切る厚手の重ね靴下を用意していたのに、最近まで暖かかったので使っていませんでした。

なってからでも、それはそれで遅くはないと、本日から履くようにしました。

厚いので、これまでの靴が入りきれなくて、これはこれでちょっと問題。

何とか押し込んで、まあいいでしょうとなりました。

引きこもりのセンターを作りました、’よかよか’ですという文句を観ました。

依存症対策の相談室を作りました。

いろいろ社会資源を投入したのに、うまくいかない、難しいねと、職員たちは言います。

そうなのでしょうか。

引きこもりにしても依存症にしても、あるいはすべてのことが、当事者が決めてそうなっています。

監視下に置かれて強制的にされているなら話は別ですが。

例えば、パチンコ依存症にしても、自分が決めているから、その世界に人が入り込めないから、続くのです。

だから、まずは自分が、このままではいけないとか、こうやってみようとか、自分が先に何か変わらないと物事が本当の意味で動き出さないのです。

まわりが変わっても、その人は、精神内界で変わらない限り、動き出さない。動き出せない。

自分が先。

まわりは声掛けができます。

仕事として話しかけるのではなく、その人のことを思って、受け入れてあげるよ、こうしたらどうと誘うしかできない。気づきを与えることしかできない。

まわりの物質的なものが変わっても、自分だけの精神内界に閉じこもっている人からしたら、だから何なのということでしょう。

1年が始まりました。

自分が先、宜しくお願いします。

人間は生きるということは、死ぬまでの間の暇つぶしを埋めること。

その面で考えれば、依存症は、自分にとって最高の暇つぶしを見つけたこと。

そこにいても、どの時間でも、やっていないと落ち着かない。

生きているうえで、何よりも優先するのは、この暇つぶし。

現実から離れて、ゆったりできるのが対象となった依存するものであれば、

現実社会での約束事、生活など、ないがしろにするのも分かります。

依存すればするほど、また嫌なことが起きるのですから、その依存そのものが間違いです。

確かに自己治療です。でも、それは、間違った考えを実行しているだけ。

本当に癒されるのは、現実社会の中にしかありません。

現実が苦しい、周りの目が気になる、そうですよね。

ところで、気にしているのは誰、そして、どうして気にするように考えるのでしょう。

自分が決めています。自分が気にするように仕向けています。

自分が先。自分はもうこのままで良くて、依存で気持ちを落ち着かせるなんていらない、

自分を認め、つまり、自分を許していきましょう。

誰だって買われる、だれだってやり直しできます。

ただ遠回りしただけ。遠回りして、他の人が経験できなかったことを経験しただけです。

全ての経験が、後後になって、強みに変わります。

自分を許してください。

言っているうちに、だんだん自分の考え方、癖を含めた行動も変わります。

 

 

一般の人で、この歳になると、悩みごとが10や20あるのは当たり前なんだよなと言っているのを耳にしました。

誰でも抱えている悩み。

悩みがない人はいない。

お金があって、外から見れば何不自由なくて、楽だろうなと思う人でも、その人なりに悩んでいる。

人間はじっとしていると、止まっていると悪いことを考える。

だから動かないといけない。

家の中にじっとしていると、引きこもっていると、外の世界から離れていると、傷つかなくていいと、ほっとする。

人間が癒されるのも、最終的にはまた人間しかない。

動物を買うなどalternativeを求めてしまうが、結局は人間がいないと寂しくなる。

傷つくのは人間関係、癒されるのも人間関係。

思い切って外に出てみよう。

ちょっとでもいい、半歩、つま先だけでもいいから、まずは出してみよう。

出さないと次が出せない。

傷ついた時は、そこは自分と縁のない世界だったということが分かっただけ、

わかっただけ得したんだよ。

別の世界がきっとあるから。自分を必要とする世界がきっとある。

縁のない世界から離れて、縁があるところに行けばいいだけ。

もうすぐ新しい1年が始まる。

新しい縁を見つければいいだけ。

きっとある。ゆっくり頑張れ。

 

 

精神病院で当直をしていて、転倒して額を切ったり、採血するときがありました。

今から30年ほど前のことです。

30年というと、すごい年月ですが、過ぎてみると、まるで昨日のことのようです。

当時でも、60歳以上の方々がかなりの割合で入院されていました。

その方々を診察したり、脈をとったり、血圧を測ったり、採血したり、縫合するときに、手の甲が目に入りました。

ちじれ綿の様に手の甲の皮膚が寄っていました。

今だからわかりますが、脂肪分がなくなって手の甲の皮膚の張りがなくなっているのです。

平静を装っていましたが、内心ではびっくりしました。

しかし、今では、自分の手の甲に同じちじれた皮膚が載っています。

経年劣化です。

もともと薄かった髪もさらに薄くなり、白髪がほとんどになります。

誰にも起こることですが、改めて月日に対して、金属やモノだけでなく、人間にも経年劣化が来るのだと実感しました。

自分のことになると余計に感じます。

そして、顔が、これまでの輪郭がなくなり、押しつぶしたかのように広がり、妙に横に長くなります。

若いころには想像もつかなかったことです。

人を見るたびにどうして顔が広がるのだろうと思っていましたが、自分がそうなって初めて月日が変えるのだとわかります。

もうすぐ新しい年になります。

月日が過ぎていきます。

1年お世話になりました。

すべての善きことが雪崩のごとく起きますように。

感謝。

私が医学生だった頃、教授や外部から来られた方々が、しきりに、医師は同じ同業種しか知らない、世間はいろんな人がいて別業種のこと、生活しているいろんな人のことを知らなければいけないと言われていました。

すっかり、言われたことを信じ、そのことから、天神のスポーツジムに入ってそこに来た会社員の方々、自営業の方と話をするようにしました。

今から思えば、自分がしていないことを知らなければいけないと言うほうがどうかしていますね。

ただただ、世間知らずでした。

こちらの常識はあちらの非常識。

まったくその通りです。

タップダンスの中野ブラザーズの中野章三先生、ブレイクダンスの故長谷川美枝子先生、今は泣き、天神ビブレの地下にあったエグザスの従業員の方々、ショッパーズダイエーの裏に会ったスポーツクラブツゲザーの授業院の方々、またタップダンスやブレイクダンスで同じ習っていた方々、お世話になりました。

思い出すと、プロを目指したクラシックバレーの方やヒップポップの先生になった方もいました。

自営業の方で、この前ポルシェを買ったと話してこられた方、シーホークホテルの内装を手掛けた設計士の方、裁判所に勤務していて遠方から来ていたから、博多駅そばのダンス専門学校に行っていた方々、スタジオで一緒に習って踊ったり、ソラリアの演上で参加させてもらったりして、遠い思い出になりました。

ただ、教えてもらったような、他の業種の方を知っても、だから何なのと思っています。

人生が、どのような職業であろうが、どのような状態であろうが、生きて自分磨きをしていることに変わりない、ただそのことを知ったことでしょうか。

今は、よくあんなに遅くまで天神や博多駅(練習場が変更になった時)にまで出かけていたものだと思います。

改めて思うのが、医師ならば、その医業においてもっとできることはないかと突き詰める、井戸の中の蛙大海を知らず、ただその井戸の深さを知るに徹する、それが本来の姿なのではとも思います。

もっとも、他業種のことは結局わかりませんでした。冷静に考えれば、知ることはできないことは明確です。

突き詰めれば、人は人のことはわかりません。

一時期、最初の言葉を言った人たちに腹を立てましたが、これも経験でした。

自分磨きの砥石。この言葉も砥石で、やってみたからわかったことでした。

やらなければわかりませんでした。そういう意味では、意味があったのだと今は思います。

テレビで、NHKBSで森の王という番組が放送されていました。

そこでは、現代社会から外れた、原始的生活、放浪生活を営む部族の特集でした。

戦いに負けて、それから森の中に入り、現在に至ると言う、ジプシー集団と思われます。

テントの中の撮影は禁止など制約をつけて、撮影がなされていました。

見るつもりではなかったけど、特に何もすることがなかったのでそのままつけていました。

途中、母を幼いころに亡くして、父と弟二人を母代わりに面倒見る21歳の女性のことが挙げられました。

母がいないから弟の成人式(15歳だが)の準備で、米を大量に炊き、酵母と混ぜて発酵させ酒を作る過程が写されました。その後、木の上に登って、太い枝を落とし、そこから葉っぱをとり発酵をさらに促すのです。女性一人ではとても難しく、母を亡くしてから友達になった女性が手伝ってくれていました。それからすぐに米を土に作った穴に入れて、上から太い丸太でついて脱穀していました。

女性は夜は結婚していれば夫と同じ点とか、そうでなければ家族と同じテントで過ごすものらしいのですが、この女性は一人テントを作り過ごしていました。疲れて一人が楽でいいからということでした。

そのインタビューの中で、この部族に生まれてどう思うか、街の生活はどう思うかと質問されていました。

その時、彼女は、街の生活がうらやましいが、この部族に生まれたのだからしょうがないと、表情を変えず、決して目をそらすでもなく、恥ずかしそうでもなく、はっきりと答えていました。

この時、ハッとしました。

自分は何のために生きているのか、今まで生きていたのは何だったのかという問いに答えを貰った気がしました。

こういう人もいた、このように生きて生を全うしたという記録、私たち一人一人、それぞれ、こういう生きる道順もあると言うことを残すために生きているのではないかと思いました。

その記録、その過程が次の世代に引き継がれ、またその世代が生き抜いて引き継ぐ、綿々と続くことが生きる意味ではないかと。

今の自分で生き抜く、もがいていく、それは後で振り返れば一本の道筋にしかならない、その道筋を作る、それが結局生きる意味なのではないかと。

歩みを停めてはならない、止まってはいけない。

もがかなくてはいけない。苦しくて当たり前。

だから平気、平気と自分に言い聞かせる。

 

自分で今やっていることは、2年前からNHKラジオのビジネス英会話を始めたことです。

高校生の時代に聞いていた井上敏氏のビジネス英会話を大学生になり止めてから、約40年ぶりのことでした。

当時の内容を考えると、あっと驚くほど高度な内容に変わっています。

敏さんもすっかり老けていながら、商魂たくましくと言うか、いまだにビジネス英会話に関しての本を出していました。

英語で言われたことをすぐについて発音するのは、最初はできなくて恥ずかしく、15分どころか、最初の5分で飽きが来ました。でもしつこく、毎日繰り返しました。いまだにほとんどできませんが、できない恥ずかしさがなくなり、ちょっとふてぶてしくなれたのかもしれません。

クリニックに来る人との英会話は相変わらずズタボロですが、これもしつこく続けて自分の殻をちょっと、ちょっと破ろうと思います。

10年前には、朝5時前に起きて、道路や公園のごみ拾いをしました。

そこでホームレスの永倉さんと出会い、ホームレスの 矜持(きょうじ/きんじ)を教えてもらいました。

何かやれば、やることで経験値が積まれ、ちょっと、ちょっとずつ、変わっていきます。

やろうと言うことがなければ、自分を許しますと10回ずつ、最初は10回だけかもしれませんが、ちょっとずつ言うようにしてください。

自分の殻を破るのは、そのちょっとずつ始めることだと思います。

やればできる。やらずにできるわけがない。やればできる。

誰でもできる。一歩一歩が、変わっていけます。

私も変わろうと思っています。

あなたも変わろうとしましょう。

言えば変わる、言わなければ変わらない。

誰でもできます。

 

 

今の精神科医療に対して疑問を持っています。

行っているものが疑問を持つと言うのも変な話かもしれません。

どういうことかというと、デイケアにしても訪問看護にしても、現在の行動、習慣、考え方をそのままにして、そういう状態で何とかやっていかせようとしているように思えるからです。

行っている側はm、難しい、難しいとよく言うようです。

大上段に構えているように聞こえるかもしれません、でも、おおざっぱに言うと、難しいのは、やり方が間違っているから結果が出ないわけです。

やり方、考え方を変えないといけないのに、そのままでいるからお互いにうまくいかないのです。

すっきりするならそのまま行けばいいのです。

すっきりしないのに、難しいで通すから、仕方ない、そのままが続くと言うわけです。

これでいいのでしょうか。

私がこれまでまわりと違うと言われていたのは、この点がおかしいから考え方を変えていこうと言っていたからだと、改めて自分で思います。

自分を許しますと言おうよと言っても、大概の人は、難しい、どういう意味か分からないと言います。

意味が分からないはずです。

間違った考え方で考えるからわからないのです。

意味が分からないと言えないと言う人がいます。

これは言いたくないと拒否反応が背後に隠されています。

つまり、変わりたくないと言っているのです。

変わらないから、いやな目に会ってりうにもかかわらず、自分は変わりたくなけど、今の状況は嫌、そんな都合のいいことはありません。

神様は正直です、今のやり方考え方でいるとこうなるんだと教えてくれているのです。

だから、あーつらい、苦しいとなる、水が重力に従って下に落ちるのと同じです。

自分が変わらないと、そうなると教えてくれているのです。

自分の殻の中に入っていると、今の状況が続くと言うことです。

変えるのは難しいと言う治療者は、その人が変わる可能性を否定しています。

誰でもできるはずです。

私は信じています。

一人でもそうなる人がいることを信じて、毎回問いかけます。

自分を許しますと言いましょうよと。

 

身を捨てる(命を投げ出す)ほどの覚悟で物事に取り組めば、必ず活路が見出され、成功できる」という意味のことわざ 

水に溺れかけた時、もがけば沈むが、身を任せると浮き上がるように、執着を捨てて「死中に活(生)あり」の精神で挑むことの重要性を説いています。 

「捨ててこそ浮かぶ身」 

 

大事な時、あれもこれもと考えていると、結局何も残らない。

思い切って、コアなものだけに絞り、できることだけやって、結果はついてくるもの、自分が決めるものではないと割り切り、

目の前にあるもの、特にこれだけはと思うものだけに絞って挑戦する。

何事も挑戦。難しいとか、できないとかではなく、挑戦する。

やれるかやれないかは結果であり、それは後でついてくるもの、やるものだと腹をくくり、すぐにはじめる。

逆に、これではいけないと思ったら、すぐに止める。

覚悟が試されてます。

難しいことではありません、挑戦です。

うまくいくか、行かないかは結果であり、それは今思い悩むことではなく、思い悩んで良くなるものでもありません。

結果は神のみぞ知るもの、だからこそ挑戦する。