ムスカと又八のブログ(仮) -3ページ目

三人のおじさん

エピソード1.
初対面のおっさんAと飲み屋にて。どんなお仕事されてるんですか?って聞いたんだ。そしたら、ダンマリで、それは教えない、みたいな顔された。『まぁ、とりあえず、なんか食おう』みたいなはぐらかされ方したんだ。


この気持ちはなん〜だろう〜?♪(谷川俊太郎?小学生のときに習った歌。)


こういう人と対峙するとき、複雑な気持ちになるよね。社交辞令を真に受ける裏にはどんな心境が隠されているんだろう?


自意識過剰。これだ。


みんな、あなたが思ってるほどにはあなたには興味がないし、次の日にはそんな職業も顔も忘れてるからな。空白を埋めるために用意された言葉を、鵜呑みにするでない。

良い大人になって、自意識過剰を垣間見せるのはダサいんだな〜と思った。




エピソード2.
初対面のおっさんBと飲み屋にて。そのおっさんBは、前髪がフワフワしてた。大将やってる?的な真ん中分けだった。齢37,8ってとこだろうか。


その人はイケメン扱いされてて、『いやいや…そんなことないですよ…』みたいな対応をとっていた。


でも決してイケメンではなかった。ホッペがぷくっとしてて、ん〜、イケメンには見えなかった。ぼくのイケメンの基準がおかしい、そうかもしれない。しかし、明らかにイケメンじゃない人がイケメンだと言われているのを時々目にする。

この現象が数年前から不思議だった。

久々に、目の前でその現象を見て、ふとある考えが浮かんだ。

その人はなんだか、イケメンキャラを演じてるように見えたんだ。キザッぽく、ボソボソとしかしゃべらない。前髪もなんともわざとらしいではないか!

それに反応して、コミュ力の高い人が『イケメンですね』って応えてあげる。相手が欲しがってる言葉をプレゼントしてあげてるのだ。そういうことはあるまいか?



エピソード3.
初対面のおっさんCと飲み屋にて。その人は短髪で、笑顔=素顔、みたいな明るい方だった。その店のシェフだった。みんなが見える位置にキッチンがあって、キッチンから直接イタリアンを出していた。いちいちの料理の動作がカッコつけていた。ときどき歌ったり、軽く踊ったりしていた。齢はやはり、37,8ってとこか。


このシェフ、まじでカッコよかった。


とても10歳も上には見えない。そのこじんまりとしていながらも、センスあふれるお店のオーナーでもあった。しかも、料理はすべてむちゃくちゃにうまくて、なおかつ安かった。じぶんの好きなことをカッコ良くやってる人って、本当にあこがれる!

仕事に関しては、カッコつけすぎるくらいがカッコいいのかもしれない。そのほうが絶対たのしいだろ。こんなふうになりたいと思ったし、思わず今のじぶんはどうか?と問い直してしまった。

自分の生き方を通して、相手の生き様に疑問を投げかけるなんてカッコよすぎる(何回でも言うよ)。






さて、同じ歳くらいの男三人を一夜にしてみてきた。様々な人がいたな〜。ダサい人もいた、カッコいい人もいた。

周りに気を遣わせずに、むしろ、周りを楽しくできる。周りのためになることができる。そんなところに男のカッコ良さの分水嶺があるのかもしれない。

その日はジントニックを一杯と、アルコール0.9%のレモンスカッシュみたいなやつを飲んだが、頭が痛くて大変だった。



VS 営業マン!

この前、某営業マンと話してたんだ。ぼくはこの人に仕事を任せるか判断しなくてはならなかった。かなり大きな額が動くから、慎重にならざるをえなかった。


服装はバッチリだった。上背のほどは目測で180cm。さらに、かっぷくもよかった。ネイビーのスーツをきめて、胸には白いポケットチーフ。シャツはボタンシャツでカジュアルを演出。袖には銀色のカフス。鞄もたいそう高そうなものだった。ちなみに髪型もビシッとオールバックにきまっていた。


でも、ペンが100均だった。コンビニでも売ってるようなやつだ。無印だったかもしれない。正直悪くない、と思った。あまり完璧すぎると、こっちも警戒しちゃう。これくらいは抜けててもいいのだ。むしろ好印象。この人、できるかもしれない!!



しかし、営業の説明のおり、







カスっ、カスっ…








その黒ボールペンが切れかけたんだ。ペンは外からインクが入ってるかみえるタイプ。もう、ペンには黒インクがなかった。もうそのペンのライフはゼロよ!!
書いても書いてもインクが出てこない。微妙な空気が流れた、ぼくの中に。


ぼくはちょっと心配になった。じぶんが使うペンのインクがあるのかないのかに気づかないなんて…。そして、その人は替えのペンを持っていなかった。

ペンのインクが切れそうなのは分かっていたはずだ。なのに、この人はそのリスクを甘くみた。そして、もしそれを見逃していたとしても替えのペンを用意しておくべきだった。だって、コンビニでも調達できるペンだし。
…なんのために高そうな鞄を持ち歩いているのだろう?


厳しすぎるかもしれないけど、こっちも真剣勝負。遊んでるわけじゃない。中途半端な人とは仕事をしたくない、尻拭いするのはこっちになるからだ。

もちろん、それだけでなく、いくつかの説明も要領をえていなかった。いつも論拠があきらかじゃないことを言っていた。それでは説得にならない。職業柄かもしれないけど、ぼくは証拠にはうるさいはずだ。適当なことをいってほしくない。というか、学問の世界で適当なことを言ったら終わりだ。小保方さんをご覧いただきたい。信用はイッキに失墜する。


総合的に判断して、今回はお断りした。悪い人じゃなかったんだけどね。

針小棒大は、嘘。

嘘をつく人はきらいだ。いや、みんなきらいでしょう。もちろん、そうだ。

でも、そもそも嘘を大っぴらにつく人なんてなかなかいないじゃん。そんなふうに思ってませんか。

いるんだな。

針小棒大、ということばがある。針ほどの小さな物事を、棒のように大きく言うことだ。

ぼくには、これがなにより浅ましい嘘に思える。

一見、嘘に見えない。物は言い様、といって逃げられる。しかし、針小棒大は立派な嘘であり、じぶんを偽り、相手をだまそうという意図がみえる。小癪すぎる。小物感がハンパない。おえ。

人は何かをごまかすときに一瞬だけ逡巡する。引け目か?それは相手に、空気を媒介して、フワフワ〜と伝わるものだ。ぼくはかなり敏感にそれを察知するほうだと思う。

…あ、ごまかした…

歳を重ねるごとに見苦しくなるから、じぶんでもやめたいし、他人のそういう姿もまるでじぶんを見てるようなのでやめてほしい。




酒の機能

最近は、酒をたしなむことがおおい。今までは酒を媒介としたコミュニケーションを人ととってこなかったから、発見することや疑問がおおい。

特に、最近の疑問は、

なぜシラフのとき居心地が悪いのだろうか?

ということだ。酒の場で仲良くなったと思いきや、翌日シラフで会うと、妙に気まずい。話すことが全くでてこない。これが不思議でならない。

たぶん、酒をのんでるときは、『別のじぶん』が立ち上がってきている。そして、その『別のじぶん』を演じている。シラフのときとは、キャラがちがう。だから、酒の場とシラフの場では、両者の関係がゼロに戻る。ぼくは、『初めまして』という気持ちになる。

酒というのは、アルコールで脳が麻痺して気分が良くなるだけじゃない。酒をのんだから許される、酒をのんだ人はこんなふうに振舞わなくてはならない…というような、暗黙のルールがあって、のんだ人々はそのルールにしたがって行動する。

蔵開きでは、良い大人が地面にペタッと座り、食べ物も下に置いて、ワイワイと騒いでいた。塀を一つ挟んだだけの、隔離された空間内では、酒が『特殊な場』を作り出していた。そして、そこではある程度の非常識が暗黙のうちに許容され、解放感に満ち満ちた顔つきの大人たちがそこにいた。

現代には実にたくさんの決まりごとがある。たまにはそこから解放されなければ、じぶんの身がもたない、ということだろうか?とても面白い。


そういえば、ぼくがシラフのときは何を話せばいいのかわからなくなる、と言ったら、友達が、

「それを口に出すのも珍しい」

と言った。ひょっとすると、こんなことを言ってはいけなかったのかもしれないとぼくはその瞬間に感じた。つまり、酒が特殊な場を作ることは暗黙の了解であり、その酒の機能(例えば、飲んだときの記憶を消失させるようにするとか、酒の場で起こったことはなかったことにする)を口に出して、現実のものにするのは無粋だったのかもしれない。これには、さすがに反省した。ごめんね。

下町ロケット 池井戸潤

{3A199A14-4EE5-490B-85D4-84C3BFD6EF04}

下町ロケット、下町ロケット2  池井戸潤


2017年の年始、フトした拍子に阿部寛がテレビに出てるのを見た。いや、阿部寛ではなくて、白髪にスーツをガシッとキメた吉川晃司が印象的でそのままテレビに釘づけになった。かっけ〜。
下町ロケットが放映されていたのだ。吉川晃司は、大企業の部長役だった。


見たのは、終わりの20分ほどだった。にもかかわらず、とても感動して、ウルウルと涙腺が緩んだ。男たちの熱情、浪漫。そんな今の時代にはそぐわないものらがそこにはあった。そう、ぼくはこういう熱い物語が小学生の頃から好物なのだ。


とはいえ、小説を買うほどでもないだろう。そう思ったが考え直した。ぼくは日頃、数学の手法を用いて、企業理論を研究している。ともすれば、現実離れしていると揶揄される。


数学と現実を結びつけるのは、研究者の知識だ。知識が想像力を生んで、その想像力が説得力を生む。



どんな現実的な状況を想定して、数式を解くのか?



それは、現場のことを知らなければ不可能。ただ、ぼくにはもちろん現場の経験がない。


下町ロケットは経済学の教科書になるかも…


そう直感した。

案の定、大企業の論理、事業部組織の中の垣根、上司と部下の腹の探り合い、そしてぼくの研究テーマである『部下の内発的動機付け』の問題などのケーススタディのオンパレードだった。流行りものは嫌いだけど、半沢直樹シリーズも見てみたいと思っている。



どこに教材が隠れているのか分からないものだ。道を横切るクロネコだって何か重要なメッセージを発してるのかもしれない。頭でっかちにならず、他分野のこともたくさんのことを知りたい。