脳内妄想で成長なし
個性とか自分らしさは、あ~たが決めることじゃない。
それは、周りが決めることなんで、あ~たは何も考えず、ただただ今目の前のことに力を注ぎ込むことだ。
タンポポの種みたいなもんだ。
ふわふわ漂って、あるところに、たどり着く。
それは、『風』が決めることだ。
やつらは、田んぼのど真ん中に落ちることもあるだろう。栄養満点の土だ。
でも、コンクリートに落ちることもあるだろう。固い。それでも、その隙間にどうにかこうにか根っこを伸ばし、咲く。
咲いて初めて、タンポポだってわかる。そんなもんだ。
だから、ウダウダ言い訳せず、咲いとけ。
鳥人間ヤロウ
上手くみせようとか、なんつうか、そこに自己中心的な、作品を通して、自我を押し付けるのを感じたとき。
鳥肌が立つようになった。
決まって、右の首筋。
皮膚の下から湧き上がってくるような寒気。
それが、右耳の下までぞわぞわっと広がる。
おそらく、その自我の押し込みは、ぼくがよくやってしまうことで。
他人の中に、自分の汚さを見たときの、反応としての鳥肌。
このドッキリ番組でだまされてるのは、あ〜ただよ。
ひねくれて、裏をかいたものの見方をしていたら。
いつしか、テレビとか、小説とかがつまらなくなりました。
客観的な自分を捨てられず。
作品に入り込めず。
小説を読んでも伏線を目ざとく探す。
ドッキリ番組では、どこで仕掛けられた人が気づいたかを目ざとく探す。
映画では、今殺せたよね、今逃げられたよねを連発し。隣の人に嫌がられる。
人に見せるものは、いつでもshowの一種で。
真実?おもしろければどうでもいいっしょ!
というのが、作り手の真実なわけで。
あんまり、なんでも信用ならん。
ということは、性悪説信奉者です、ぼくは、はい。
レールに乗ってどこまでもゆくよ
頭の中で言葉が、ほんとうになんの脈絡もなくつながっていく。
論理的ではない。
その言葉と言葉の間に、「=」の記号はない。
どこまでもつながっていく。
線路のレールもたぶん短い部分をただただつないでいるだけ。でも、遠くにいける。
それと同じようなもんで、全く関係ない出発点から、わけのわからないところまで思考が飛んでいく。
それは幻~。(ここでikko風に脳内再生プリーズ)。
その幻と現実の差異が激しい。
でも、それでいい。
現実を見て、あ~これだこれだ、良かった良かった、全然大したことない。と思う。
