続日本100名城

浪岡城跡

青森県青森市浪岡大字浪岡字五所14-1


浪岡城は1460年代に

浪岡北畠氏によってつくられました

浪岡北畠氏は

南北朝時代

後醍醐天皇を助けた

北畠親房の子孫

と伝えられています

(それを示す資料は残ってない)


全体図


浪岡城跡案内所に行きました


誰もいませんでしたが

少し展示がありました


発掘調査の記録


発掘された物


案内所の裏側は進みます


猿楽館


▲▼東館



分かりにくいですが

堀が作られていました

深さは5m

あったそうです

現在は2 mくらいです


更に分かりにくいですが

両サイドに堀があり

真ん中に土塁があり

そこを道にしていた


▲▼北館



北館には

発掘調査で

南北に屋敷割が認められて

掘立柱建物跡の周囲には

竪穴建物跡を配置して

倉庫・工房・住居などとして

使用していたものと推定されます


井戸の跡

木枠を有する井戸が

屋敷ごとに1箇所以上

認められることから

共有して使用する居住形態ではなく

独立性の高い居住空間として

屋敷割が存在していたと考えられます

北館に関しては

武家屋敷的な居住空間

であったことが

推定されます


下がって橋を渡ると


西館


▲▼内館



現在の浪岡川

古い浪岡川も

堀の代わりに使われていました


案内所の建物が見えてきました

反対側に行くと

青森市中世の館です


旧坪田家住居


解説板


坪田家は元々は近江商人

室町時代末期から江戸時代初頭に

津軽に移り住み王余魚沢

(現在の青森市浪岡町)

に土着しました。


旧浪岡小学校

昭和3年に建てられました

現在は中世の館の展示室


▲▼青森市中世の館

青森市浪岡大字浪岡字岡田43


大人210円


中世の館にも

続日本100名城のスタンプがあります

最初に行った

案内所にもあります


中世の館の平面図


▲▼展示室



井戸の木枠


九間(ここのま)

推定復元

(三間✖️三間)

武家屋敷の会所や主殿に使用された


高屋敷館跡の展示


浪岡城跡

御城印


落城をイメージした

崩れ文字の御城印もあるのですが

可哀想過ぎますあせる


勉強の為

資料も買ってきました


歴史に興味のある方
お城めぐりに興味のある方
是非お出かけください


この旅で

既にアップしているブログ⬇️








ここから今日


札幌5R


誰かわかりませんが

解説してます

誰かなぁ?


こちらの方々でした


早朝からのバイトの後

帰り道のJRAに寄り道

ここは涼しい


何故寄ったかというと⬇️

この競馬用の鉛筆が欲しいから

ただ持ってきたら

窃盗ですから

競馬もしてきました

(ちなみに

スーパーで

物を入れないのに

ビニール袋だけ

ガラガラと引き出し持って

帰る人がいますが

あれも窃盗だそうです)


競馬は2000円で1600円でした🐎


お客様にご案内する文面は

手書きしてます

その枠を書くのに

この鉛筆が使いやすいのです鉛筆


今日はバイト先の社員食堂がお休みの為

おうちごはん⬇️

とうもろこしのひげと

コーンの天ぷら

右の緑が

お茶の葉の天ぷら


お茶の葉

美味しかったです


今日のランチは

天ぷらそばでした


今朝のブログも読んでねやじるしやじるし


最後まで読んで下さり

ありがとう