浮間舟渡の瞑想スポット
実は、この場所では、2年半ほど前ですが・・・。
・過去のルシファーのような堕天使の意識体
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12229971018.html
・プレアデスの領域の魂同士の関わりの姿
https://ameblo.jp/tohya0109/entry-12214074649.html
などの情報が得られた場所であります。
私が物理次元を生きながら認識できる範囲を超えた、広域的な宇宙視点といいますか。
そういうメッセージが降りて来ている場所なのです。
穏やかな動きの少ない安定した波動の中で、私自身の波動を高めつつネガの影響を抑え、私のセンター(ハイヤーなどのより高次な私の魂の深奥)に繋がれる場所ということなのかもしれません。
なので、統合を一旦終えて、今現在で私の課題としてあるものは何なのかを訊いてみたく思い、東京に来る用事(次記事の石フリマ)のついでに来ることにしました。私にとって必要な導き(神託)を得られたらいいなぁ。
・・・。
さて、この場所で瞑想をしていたら、ガイドの代表というような意識体にアクセスできました。
そうすると、そのガイドとは別のイメージが流れ込んで来ました。
・若い男性
・灰色の長いウェーブ掛かった髪。
・病的に白い肌。
・全身黒いローブ。
・六芒星の銀色のペンダント
・何かに耐えているような、目を閉じ俯いた表情
典型的な”若い魔王”の形をした姿の存在が出て来ました。
どうやら、私の魂の経路に関係している姿のようです。
(私の心の奥底の陰の部分とか、表出している課題に関連する映し鏡の姿というか・・・。)
そして私にとって厳しめのメッセージが降りて来ました。(ガイドのメッセージは斜字にしています。)
貴方たちの言う”魔王”とはどんな存在なのでしょうか。
・・・。
私たちの認識からすれば、あなた方の誰かが、個体として特に大きな霊力・魔力を備えた時点で、それはもはや”魔王”であるのです。
霊力を備えた個体が、何を成すのか、多くの人がどう感じるかによってあなた方は”魔王”として判断していますが、
私たちからしたら、強い”個”の意識をもつ存在が、魔力・霊力を備えた時点で既に同じことであるのです。
・・・そして、あなたはこれまでの経験や体験、多くの神々・精霊、または、陰の存在たちとの関係性を作ってきて、今生に限っても既にその状態になっていると言えます。
(既に設定されてきた、今までの遠く長く繰り返されてきた”暗き輪廻”の中でもそうであるし、今生に限ってもそうだということらしいです。)
あなたは、この世界で何を望むのですか??
あなたの本当にやりたいことは何なのですか?
・・・。
行間を読むとすると、
”やりたいことに気づいていなくて、それに向けてかじ取りをしていないであろうこと”について言いたいのだと思います。
力をつければ、本人の意思に関係なく、多くの人に強い影響を与える。そこに責任も役割も発生していく。その部分に関しても言っているようにも感じます。
私の本当にやりたいこと・・・。
今は、私自身としては、結婚をして幸せに暮らせていると思うけど。
恐らく、ガイアと結びつく人が溜めた負の感情は、土地に人類の意識集合体に溜まり続けているし、それは仕方がないことであるし、私にできることは限られているし・・・。
この日本に限って言えば、貧困は広がっているし、人が引き起こしてしまったであろう環境変動は続いていて、災害も多く発生している。けれども、文明の暮らしを捨てることはできないし、緩やかに人類の終わりに向かっているように感じる。
世界で新しい力関係が生まれ、奪い・奪われが発生し、遠くない将来、また戦争という形で人・環境を巻き込んだ争いが起きそうであるけれども、私にできることはないだろうし。
あなたは、自分のことだけを考え、自分の幸せのみを追求し、緩やかにあなたを取り巻く世界が壊れていこうが、それは仕方のないことだと諦めてしまっていませんか?
そういわれればそうだけれども、では私にできることって何だろうか・・・。
この世界は、あなたの映し鏡です。
貴方の目の前に映る世界は、あなたの心・感情・行動の反映でもあります。
それぞれの人毎にパラレルは存在し、あなたの世界はそういう意味では、あなた専用のパラレルでもあるのです。
だから、あなた一人の力で世界を変えようなどと大それたことを考えなくても、あなたができる生活圏の範囲の中で、思いやりと優しさをもってそれを体現し、循環をしていくこと。そして、希望をもつこと。あなたの目の前の小さなことだと思っていても、あなたが起こした循環はやがて世界を変えることにもつながっていきます。
いつも言っていることなのですが、
”スピリチュアルとは、何を感じ、何を考え、何を成すか。”
ただ、それだけのことなのです。
あなたが、感じ・考え・成したことは、あなたの世界にも必ず反映されます。
あなたの能動的でポジティブな信念と行動が世界を変えるのです。
なるほど・・・、ただ、それにも問題はあります。
私は生まれながらに攻撃的な性格をしています。
あとは、過去の体験のトラウマなども依然として囚われとして多く残っていて、こうして自分と向き合う機会や瞑想のタイミングでは冷静で居られるのですが、
・自分が低い扱いを受けたとき
・自分が不当な扱いを受けたとき
・大切な人が、低い扱いを受けたとき
・大切な人が、不当な扱いを受けたとき
に、特に強い殺気・呪気などが私の体の中から芽生えそれをぶつけそうになってしまいます。
これまで、何度か伝えているように、
”愛と友和は、努力をして維持していくものである。”
ということです。
また、現生の貴方の目の前の世界線においては、特にそうであると言えるでしょう。
貴方が過去にこの場所で視たイメージの宇宙族(※恐らくプレアデスのことかな)の生活ビジョンでは、お互いが愛と友和をもって交信し続け、それぞれの生命体が融合・分離を繰り返していました。”自分”という存在というよりは、”みんな”つまり存在たちの一部という感覚を持ち生きています。
その環境では、”個”という感覚が無いため、”個”を維持するために、他の”個”を傷つけるという感情・感覚・行為は発生しにくいのです。
あなたも、その世界の中でひとつの魂として暮らすのであれば、愛を維持することなど、呼吸をすることのように容易いことでしょう。
でも、あなたはそんなことを望んでいるのではないでしょう?
貴方が知り得るこの地球の人類の歴史、数千年(※本当はもっと長い歴史があるが、私の課題として知るべき人類史は精々数千年の歴史で十分ということのようです。)の中で溜めたネガに塗れたこの世界で、愛の重要性に気づき、そのネガを撥ね退け、愛と友和の世界を実現すること、それこそがあなたが望んだことでしょう。
簡単なことなはずはない。むしろ努力をしなければ、塗れたネガに影響されて、あなたも新しいネガを生み出し、やがてそれらの一部となり暗い底の住人として、また沈んでしまう。名実共に、深い底の番人である魔王となることでしょう。
これは、かつての宇宙戦争で実際に起こってしまったことであり、この地球の生は、色々なパターンの環境に於いて、新しい解決パターンを導くための試行でもあるのです。
今、この局面に於いて地球人の意識集合体全体の課題でもあり、宇宙戦争を体験した全ての宇宙族の課題でもあり、悲願でもあるのです。
・やられたらやりかえす。
・殺したら殺し返す。
・次にまたやられない様に、傷つけ力を削ぐ。
・それは、自分自身の”個”と、大切な人、大切な物を護るために仕方がないことだ。
という思考回路・行動では、これまで通り、結局は同じことの繰り返しになってしまうのです。
この世界は”個”という感覚がものすごく強い、そのため”個”と”個”が魂レベルでつながっていることは気づきにくいのです。
”個”を護るために、他の”個”を傷つけることは、自らの”個”を傷つけることと同じことであるのです。
”自分の大切な人を護るため”、それは美談として語られることが多いのですが、大切な人を護るために別の人を傷つけることも、同じく自分自身を、そして大切な人を傷つけていることと同じことです。
悲しみの負の連鎖は、自分に必ず還ってきて、それが新たな悲しみを生む。
宇宙戦争から引き継がれたこの負の感情パターンの連鎖は、リラから来た意識集合体の未だ続く大きな課題なのです。
それも、宇宙戦争に呑まれ、”個”が持つ特徴である、疑心暗鬼に囚われ、やったやられたを繰り返してきて、本来の純粋な魂の記憶を忘れて来た、多くの痛み・苦しみ・悲しみを体験してきた感情パターンを抱える魂が、それらに気づいて昇華をすることが必要なのです。
やられてもやりかえさない、赦して受け止めて愛する。
イエス=キリストやガンジーなど過去の偉人が示した道を、囚われ・ブロック・トラウマを抱えて、今もなお苦しみ続ける人達が、”個”よりも”全体”の友愛を選択することが課題なのです。
私:では、どんな扱いをされても、奪われても、傷つけられても、それを仕方がないこととして受け止めなければならないのか。
心の底から湧き出る黒い感情は強く溜まり続け、それは新しい、呪気・殺気・トラウマ・囚われになるだけではないのか。
・・・。
最低限を護り、それ以上は逃げる・避ける・手を出さない、我慢する。
張り合わない。敵を作らない。尊厳を傷付けられるというのは幻である。
過剰に反応しない、相手の感情を曲解しない。
・最後は赦す。愛と友和を選択する。
・・・。
行間を含めて、以下の内容と解釈しました。
感情の対処について
・可能な限り我慢をし、新たな負の連鎖を生み出さない様に努める。
・不当な扱いを受けても気にしない。受け取っていないかの如く流す。
・人の苦しみ痛みを勝手に解釈しない、人の課題を自分の課題としない。
・相手の行動を相手の感情と結びつけない。勝手に相手の感情を悪い方に曲解しない。
・耐えることにより生み出された負の感情や囚われは、日々の瞑想や、過去に記事で紹介していたこの本の手法で無かったことにする。
物理的な対処について
・未然に防ぐ、護る。私に苦しみを与える人達には極力近づかない、避ける。逃げる。助けを呼ぶ。
・負の感情を生み出す必要のない付き合いは毅然と切る、断る。
・なるべく相手が傷つかない方法で、護る。折り合いをつける。人と張り合わない。自分の尊厳を傷つけられても、相手の尊厳は守る。敵を作らない。
・最終的に、目の前におこる全てのことに対して、愛と友和を選択する。自分では太刀打ちできない大きな事柄については、良くなるように祈る。希望を持っていく。
・・・。
何度も失敗してきた試みがやはり、課題として浮上しているようです。
ただ、今生通しての太い幹となる大きな使命であるようにも感じます。
私自身が人を赦せないのであれば、赦せない苦しみを背負っている人に対しても、
本質的には癒すことはできないのでしょう・・・。
可能かは別として、今回も頑張ってみようと思います。
※お知らせ
この記事をもって、半年にわたり公開してきた統合関係の記事がひと段落したように感じます。
新しい課題は降りて来ていますが、また記事がまとまった頃公開していきたいと思います。
それまでは、統合課題時に参拝した、統合とは関係のない神社仏閣レポなどのストックを公開していく予定です。
(※週1回程度。)
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(2019.12.1)