根室本線富良野~新得間、地元自治体が存続断念 | 遠森一郎の「ゆるっと写真雑記」

遠森一郎の「ゆるっと写真雑記」

写真一枚から、ゆるっと文章でも書いてみます。

2016年9月20日、根室本線落合駅にて。

駅構内の様子。

 

2016年の台風10号による豪雨災害で、一部区間が不通のままとなっていた根室本線の富良野~新得間について、28日に沿線の4市町村が会合を持ち、同区間の存続を断念しバス転換に向けて議論を進めていくことを確認した。

当該区間のうち、現在は富良野~東鹿越間で列車が運転されており、東鹿越~新得間はバス代行となっているが、今後は廃線に向けた手続きへ進むことになる。

 

富良野~新得間は、1900(明治33)年12月に、北海道官設鉄道により下富良野(現・富良野)~鹿越(現在は廃駅)間が開業したことに端を発する。国有化後、1907(明治40)年9月に新得までつながっている(このときに帯広まで延伸している)。このときの落合~新得間は旧・新内駅を経由する旧線であり、1966(昭和41)年9月に、現在の新狩勝トンネルを経由する新線に切り替わっている。

 

ワタシは↓の旅のときに、当該区間を乗り通していた。

富良野~幾寅間は2000年に乗っていたんだけど、そのときに乗れてなかった狩勝峠を含む区間を、↑のときに乗車してきた。

その後、2016年になって、この区間を再度乗り鉄する計画を立てていたんだが、実行直前に件の豪雨災害が起こり、結局、レンタカーで当該区間を訪ねる計画に変更した。その時の様子が↓。

今回使用した写真も、↑の旅の際に落合駅を訪ねたときのものだ。災害直後ということで、川から水が上がってきた痕跡があちこちに生々しく残っていた。

 

沿線は人口も少なく、当該区間の鉄道の営業損益も厳しい傾向だった。

札幌など道央と、帯広・釧路など道東を結ぶメインルートはすでに石勝線経由になって久しい。被災前の富良野~新得間には、滝川から釧路へ直通する普通列車の運転があったりはしたけど、完全に地方ローカル線の風情だった。
ただ、旭川方面から十勝方面への最短ルートになっていたし、石勝線ルートにもしものことがあった場合は代替ルートとしての活用も考えられた。何よりも、もともとは国民の税金で建設・整備された路線である。
また当該区間には、かつて映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影地となった幾寅駅もある。
いわゆる人権のなかに、国民の移動の自由を保障する「交通権」という考え方がある。日本では憲法でいう22条(居住・移転および職業選択の自由)、25条(生存権)、13条(幸福追求権)といった複数の条項による複合的な人権保障として、この交通権が守られるべきであり、どこに住んでいるかにかかわらずきちんと保証されるべきという考え方が、大きな流れになっている。
そういった観点から、たとえ人口の少ない地域であっても、交通権を保障するインフラを守らねば、という考え方も出てくる。
大規模災害からの復旧も含め、こうした課題の解決は民間事業者のみでは難しく、国や自治体の関与による公的な枠組み作りが不可欠だろうと思う。(その点で、地方の人口の少ないエリアを、人口集中エリアから切り離してしまった国鉄の分割民営化自体がどうだったのか、ということは、当然考えなければならないとも思うが)
沿線の魅力向上など複合的なとりくみで利用者の確保を進めながら、こうした地方路線を守っていくことこそが、本来必要なんじゃないだろうかと。地域の社会・経済の維持・発展という観点からも、いったん敷かれた鉄道を失うことのデメリットが大きいことは、過去の廃線事例にいくつも教訓がある。
そうしたいろいろなことを考えていると、今回のようにローカル線が災害から復旧できないまま廃線になって行くという現実は、本当にやるせないし、情けない状況だなと思ってしまう。
 
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