若い方はご存じないかもしれませんが、

今のお笑いブームの、一世代前に、



「ボキャブラ天国」という番組があり、

ちょっとしたお笑いブームを巻き起こしてました。



当時から現在まで現役の、お笑いコンビ「松本ハウス」の

ハウス加賀谷さんは、統合失調症です。



ちょうど10年位前、

「ボキャブラ天国」でハウス加賀谷さんを見かけたときは、

あまりのハイテンションぶりに驚いてしまいました。



そのテレビ内で、スタッフか誰かが

ハウス加賀谷さんの荷物を勝手にあさり、

大量の薬を発見するシーンがありました。



そこでは統合失調症とは明言されてなかったと思うのですが、

ハウス加賀谷さんに、

精神疾患があるということが明かされていました。



それからしばらく姿を見なかったのですが、

また最近ネット上で見かけるようになりました。



ちょっと感動してうるうるしてしまったインタビューです。



統合失調症を乗り越えて復活した芸人

・ハウス加賀谷が語る"お笑いの意味"



障害を乗り越え、自分で「お笑い」という道を切り開く加賀谷さんを

支えたのは、やっぱり家族。



しかも、治療がうまくいき、

お母さんは、


「潤(加賀谷さん)に人間らしい心の機微が戻ってきた」


といって喜んだそうです。



これ、すーっごく、わかります。



どんなにうれしかったことか、と思います。



うちも急性期のすぐあとは、

姉らしさがまったくなくなり、まるでロボットみたい?

とすら思うときがあって、


「これは、姉じゃない」

と思ったことがあります。


真剣に、

「薬のせいでこうなってるから、やめさせなければ」

とさえ思いました。



今は、やめさせなくて本当に良かったと思ってますが、

当時は、恐ろしかったんです。

薬が効きすぎて、姉から姉らしさがまったくなくなってしまって・・・



微妙な「その人らしさ」や、

「人間らしさ」



うまく言えないけど、

本当に好きなことをやっているときは、



そういったものが出やすいのではないかな

と思います。



自発性、といったらいいのかな?

よくわからないけど・・・。



加賀谷さんの記事、とても素敵で、

自分たちとだぶらせるとちょっとだけ辛くて・・

良かったら読んでみてください。



前回に引き続き、

とりとめもないことを考えています。




わたしは、

いわゆる、抗精神病薬というのは、

姉の飲んでいる薬しかわからないのですが、

それでも、目にするたびに、


「白い薬が多いなあ~」


と思ってしまうのです。



それは多分、私がよく目にする(というか飲んでる)、

うつ病の薬がカラフルだからなのかもしれません。



ピンクと白のツートン(容量によって違う)のアモキサンや、

濃ゆいピンクのとふらにーる(イミプラン)に至っては、形も三角形でかわいらしい。


ルボックスやマイスリーの妙なオレンジ色も嫌いでないのです。



あとは、色は普通だけど、デパケンに至っては

「こんなの飲めないよ」っていうくらい大きくて少し笑えます。



たぶん、私が抗精神病薬をあまり身近に知らないだけだと思いますが、

セロクエルも、カラフルですね。



でも、インヴェガの9ミリは、

びっくりするほど、薬剤も包装もラブリーなピンクでした・・。



うーん、うつ病の薬だけでなくて、

抗精神病薬もカラフルだったんですね。




薬なのだから、色や形はどうでもいいとはいえ、

やはり、カラフルなのが混じってたりすると、

それはそれでなんとなく、楽しかったりします(おかしい?)。



便秘薬で有名なコーラックも、「ピンクの小粒」として有名だし、

(そういえば、処方便秘薬であるプルゼニドもかわいい色してますね)



もちろん、すべての薬がカラフルだったらいいなとは思いませんが、

ときどき、おもしろい色や形のものがあると、

なんとなく和んでしまう私です。








わたしが、看護学校時代に精神科の実習で受け持った患者さんのお話です。



その方は、統合失調症を抱える50代の男性でTさんといい、

これまでの生涯のほとんどを入退院を繰り返していました。



パッと見た感じは、白髪が立派でまるで大学の先生のような線の細い佇まい。

話し方も物静かで、ゆっくりでした。



未熟だった私は(今も未熟ですが・・)、

はじめて受け持った患者さんに舞い上がり、たくさんお話をさせてもらっていながらも、

「この人のどこが病気なのだろう」と思っていました。



あれ?と思ったのが食事の時。

食事が配膳されると、Tさんはおもむろに私を呼びつけます。



そして、スプーンを私に押し付け、

「僕は、ご飯を食べるとばちが当たるから食べられないんだ。君が食べさせたまえ」

と言いました。



訳も分からず言われた通りにすると、私がスプーンを口に運ぶと

それを口にいれ、もくもくと食事を開始されました。

自らの手は、ぴくりとも動かしませんでした。



食事のあとに、

「僕は、自分の手で食べると便秘をしてしまうんだ」と言われました。



もちろん、私がやってくる前は

自分で食べていらっしゃいました。




あの時感じた、感覚を今でも覚えています。

それは、しばしば言われるように、どことなく懐かしい感じでした。




懐かしいというのはまったくおかしいのですが、

私は、そのときTさんの言動が、奇妙だとは思いませんでした。



それは多分、Tさんにとってはそれが事実なのだからだと思います。

現実とは違っても、本人にとってその感覚が事実なのであれば、

(そしてそれが周囲や本人に苦痛を与えないのであれば、)

私には受け入れることが、自然に感じられたのです。




精神科医の先生の本を読んでいると、

私と同じように感じられる方がいらっしゃるようです。




あの懐かしさは、義姉のなかにも時折見られます。



社会的に期待される立ち居いふるまいとは全く違う、

だけれどどこか、

人間の根源に関わるような、意識やあり方。



それがなんなのか私にはうまく言えないのですが・・・。




なんだかよくわからない文章になってしまいました。