少女の小さな勇気 | 波瀾万丈のカウンセラー カウンセリングル-ム ウェルカム 名古屋

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半世紀以上の私の人生をあからさまに書いた
カウンセラーらしくないブログですが、
波瀾万丈な私の人生が
みなさまの生きるヒントや気づきにれば幸いです♪

 

おはようございます

 

心と身体の美容家

カウンセラーの十川千惠美です赤薔薇

 

 

 

 

 

 

 

 

注意以下の記事&画像はお借りしたものです注意

 

 

 

少女の小さな勇気

 

第二次大戦が終わり、

私は復員した日本の兵士の

家族たちへの通知業務に就いていました。

 

 

暑い日の出来事です。

 

毎日、痩せ衰えた留守家族たちに

彼らの愛する人々の死を伝える、

とても苦しい仕事でした。

 

 

 

ある日、

私の机の前に

小さな少女が立っていました。

 

彼女は小学校二年生で、

フィリピンに行った

父親のことを尋ねてきました。

 

彼女は、

病弱な祖父母と共に生活しており、

彼らのために父親の消息を

確かめにきたのでした。

 

 

私は帳簿を調べ、

彼女の父親がルソンの

バギオで戦死したことを確認しました。

 

「あなたのお父さんは…」

と言いかけた時、

私は少女の痩せた、真っ黒な顔と

伸びたオカッパの下の

切れ長の目を見ました。

 

彼女の眼は私の口を見つめ、

私は彼女に答えなければならない

と感じました。

 

しかし声が続かず、

「あなたのお父さんは、

戦死しておられるのです」

と伝えました。

 

 

その瞬間、

少女は一杯に開いた眼を更に大きく開き、

涙を堪えていました。

 

私の目からは涙が溢れ始め、

声を上げて泣きたくなりましたが、

少女は泣かず、

おじいちゃんから頼まれた

父親の戦死した状況を

書いてもらうように頼みました。

 

私は涙を堪えて、

必要な書類を書きました。

 

少女は涙を一滴も落とさず、

私の顔を見つめながら、

おじいちゃんから

泣いてはいけないと言われていること、

電車で帰れることを話しました。

 

彼女は妹が二人いて、

母親も亡くなっていると言い、

自分がしっかりしなければならない

と強く語りました。

 

 

 

彼女の言葉は私の心に深く刻まれ、

彼女の小さな勇気と決意に

心を打たれました。

 

少女は泣かずに

強く生きることを選んだのです。

 

 

 

 

このあと・・・

少女は幸せな人生を歩んだ

 

そう信じています

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたにとって・・・

今日も幸せに満ちあふれた一日となりますようにラブラブ  

 

 

 

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お返事はできるだけ早くいたしますが、

難病を抱えておりますので、お待ちいただくこともあります。  

 

ご了承くださいませ。  

 

 
 

 

 

 

                       十川 千惠美薔薇 
 

 

 

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