【果てしなくゆるい】 | todakaclのブログ

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呼吸器内科開業医(救急救命15年/呼吸器40年)
折々につぶやき珠に【大声カモ(*'▽')
当面【gooブログ】で消失した過去ログ掘削が主です

【果てしなくゆるい】

2016-04-03 23:10:13 | 日記

福岡市内科医誌5月号のさきどりUP


【果てしなくゆるい】

そうありたいと思ってブログ、SNSのプロフ(プロフィール)に必ず書き込んでる。
ま、基本は人付き合いにおいてだが。お察しのとおりヒトにもゆるいがちょぴっと自分にもゆるいことになってる。たとえばこの文章のようにひらがながおおくなると読みにくさを多少伴うが読むものの印象が柔らかくなる。そう計算されたゆるさ、たまたまの性格や嗜好などではなく文章も絵画的側面のあることを意識する。音もそう、発音こそしないものの頭の中でひらがなはそのままやわらかく、漢字は読みの正誤を見据えながら、カタカナは硬くはたまた英語など外語風に。
SNSをやってると音のない表記された文字に魂が宿ってメッセージが伝わっていくのを強く実感する。政治色の強いものは漢字のおおい硬い文章やカタカナがどうしても必要になりかな漢字交じりの中でもカタカナ漢字が主で、ひらがなはつなぎ的。ロジカルな科学的ご高説もそう。
こいばな(恋話)ののろけ、苦悩、迷いとかになると本当にいきいきとひらがなの中に必要減数の漢字になってしまう。もちろん意図的に漢字をさけてる発信者が多くなる。はてはひらがなだけしか書かないことに徹してるのもある。
という日本語の世界で唯一つひらがな、カタカナ、漢字交じりの文化は今やネット分化と相乗して潤沢にハイインテリジェンスの土壌としての貢献を小生実感してる。(なんと実はローマ字も居る)どの表記にするのか選ぶことに自由度と多様性、はては芸術性も加わる。楽しい。
この選択に思想、感性をわこうどは意味を持たせている、のが新しさ、現代なり。
論文、連絡文、法令などに慣れ親しんだ私たち同業者にはちょっと縁遠いかもしんない、漢字メインのひらがなが混じっただけの文章ばかり読まされてる書かされてますからね。
テーマのためにある程度は選択の幅せばめられてるとはいえ、他国の言語特にインド・ヨーロッパ語族の単文字文化にくらべて、2000年のあいだに手に入れた美しい4字体の文化を折角だから楽しみたいものです。

そのブログ、SNSをとおしてやりとりのゆるさは大切。
なにか主張してたら、面白い視点かもと思って眺める。年長のものにはとっくに通り過ぎた処理ルーチンの出来上がった問題ごとでも本人達は真剣。なんだそんなことと流すのは小生に言わせれば二流のおとな、だってそのとき真剣に悩んだ自分の記憶なくして完成形に近い今の自分の価値判断で評価してるのって、共感力ゼロの物忘れ年寄りでしかない。即関係スルーされますな。
おなじところまでおりてって考えてやる。ほら、医療でも接客でもよくある、相手が小中学生なら前かがみで顔近づけて話すし、幼稚園児ならしゃがみこんで目線あわせるでしょう。精神世界
それから話を聞く分は誰でも出来るけど、解決法を必ずしも望んでないこともある。それを選択枝にもってないと困惑する。同情、共感、察するだけを望まれてることも多々。ここ大切、明日の試験に出るから φ(..)メモメモ
てなところで、ひらがなはとてもよい。ゆるさもイメージから増幅させれる。

跳んで話す小生の常。
リアルでもゆるいのを実践してる。リアルというのはネットのバーチャル世界での人のつながりに対することばで、リアル社会、現実界のこと。
待ち合わせ】バンドやら、バレエやら兎に角ステージがらみの友人が多い、芸術家気質というか一般ピーポのような常識的思考回路がうすいひとたち。迎えに行く30分待ちはざら、1時間超もたまに、10分で出てきた日にゃ「はやいやん、どしたと」の会話で流す。
間違っても「雹でも降るんかなこの晴天に」と毒づいてしまうのをココロの声にしまっておいて、でもないのだ。おもしろいから常套句だから会話のスパイスとしていうくらいの寛容。

以前、1992年式のベンツ300E(Eはうしろ)の中古を16年もオンリーマイカーとして乗り回してたときのこと書きました。いっつもかっつもどこかしら壊れてくれる車、加重調整ダンパーのエア抜けから始まって、ギアレバーのポジションライト切れ、パワーウインドーの停止に果てはゴトンと落ちたり、CD16連のヘッドとび、エアコンガス抜け2年も気付かずドイツ車の冷房は効かんな思い込み、直6のシリンダーヘッド1気筒が吹きぬけエンジン死んだ、路地を曲がるときにだけ急にエンジン止まる(接点が2万回に耐えられず摩耗接触不良)、ラジエターホースの径50mmもあるとこがぐずぐずに劣化してボロンと落ちる、まんまコンビニで安物の2Lミネラル水買い込んで年末年始熊本行き、果ては21年目の室内天井のウレタンの接着剤の経年でまるく垂れ下がる。末期は、マフラー触媒の10Kgの部品が、よりによってこの内科医誌の編集会議にむかう百道浜へ入る橋のたもとで、信号スタートとどうじにゴトン、ガラガラガラガラとけたたましく。その日は欠席、たしか今理事の岩国ぱいせんに議事をとっていただいたお恥ずかしい。
とまれ彼は、佐世保の湾岸倉庫の荷降ろし段差にあけがたドライブで気づかず左前輪おとして亀みたいに動けん苦なったこと以外、ちょう無事故車、幸運の授け神であった。
その、数々のトラブルのおかげで、とてもキャパがひろがった、寛容、おこんないのだ。来たあーまたこわれやがった。で慣れた。ある種感謝してた、もともとイラチだった小生の穏健化。

もどる。その芸術家の卵たち、定刻という概念がない。それで理解しとけばなんじゃない。お金もカスカスになっても暮らしてきた実績があるから豪勢な食事とかいらないって、たらふくたべれれば回転寿司、バーガー、コンビニ飯でいい。そしてたまにはレシートだけでふくらんだ財布から千円札が一枚差し出される。プチにみえるけど大きな日頃の感謝伝わる。時間と金に時空間のちがいある。異次元の住人だからとおもうとゆるくなる。こうみえても小生切磋琢磨がたの人生を突っ走ってきたので、オアシス見つけた感、ゆるりと生きていくのだ。

散文さがつよいですが、リア友とのつきあいも旧愛車とのつきあいも
医療の現場に応用できる話かと思ってます。(強引にもってけば!
クルマは分かりやすすぎかもしれない。壊れ続けるクルマ⇒申し訳ない例えだが患者さん。
小生のクリニックも12年をこえ干支が一回りしてしまった。ながーい付き合いの患者さんは喘息、肺気腫、咳喘息など呼吸器科のポピュラーな疾患の方々はある種全体に改善感を味わい謳歌してるところだが、高血圧、糖尿病、高脂血症など旧成人病群は単一から複合になったり、整形疾患、アレルギー疾患をはじめ徐々にガタが来る。こちらもクルマを診るように捉えるし、本人達にもそんなモンよと語る。そう、説得力は小生自身が12年ぶんの劣化を自身で味わってるからこその共感力が威力を発揮する。どうでスカね不老不死の不老は、受け止めるべきものとともに感じてつたえる。老はちゃんときますからね、要は受け入れる胆力、ここゆるさ。
「がんばればなんとかなる」使って居言葉だけど全例にしたらこける。がんばっても金メダルは1人しか取れないとわかってるくせに、「健康、健全なカラダ」だけは努力で手に入るという幻想出回りすぎの現代社会、みえないとおもって儚い希望持ちすぎ。おかしい。誤りがある。
不死、あきらめてるくせにですよ。
うけとめるココロこそ必要。

つたえきれたか怪しげな記事なりました。ついでに
「明日でいいことは、今日はしない。」その手に入れた時間をしたいこと、娯楽へ。
「今日すませれば明日が楽」という格言を疑って、選択枝をひろげたのがこれです、選ぶことの優位があります。今日済ませようとして90%でやめず1時2時までへとへとに脳みそ疲れさせても明日は楽しくないかもです。
これ、別次元のゆるさ。(わかいひと、この言葉に感動してくれますよ。