このころ、長女はスライムにハマっていました。外出はせず、ひたすらスライムの時期です。

 

 

幼少期からスライム好きだったのですが、なかなか家で作る機会がなかったのですが、

「スライム作りたい」と言い出したので、材料を準備してあげると、

そこから、毎日スライムで遊ぶようになりました。

ただ、こねるだけではなく、YOUTUBEでいろんな動画を見て学び、シェービングフォーム・スノーパウダー・色素など混ぜたり、

ラメ入りスライムを作ったり、100均に材料を買いに行ったり。

メルカリなどで、好きなスライマー(スライムを作る人)さんの限定スライムを買ったり。

売り切れなどで買えないと、泣いて悔しがったり。

しっかりと自分の欲求を出してきているような感じでした。

 

驚いたのは、一人で毎日スライムをニコニコしながら作ってたこと。本当にご機嫌という感じ。

これが毎日、半年くらいは続きました。半年もスライムで楽しめるものなんだなと不思議に思いましたが、

幼少期、やりたいと言ってたスライム(好きなこと)をしっかりとやらせてあげてなかったからかなぁと後悔もあり。

 

親は何を見ても後悔するものですね。

 

 

夏が近づいてきたころ、長女も次女も少しづつ動き始めました。

 

同じマンションの同級生の子に手紙を書いて、遊びに行かせてもらったり、

夫への誕生日プレゼントを買いに文具屋へ。

数日後には大型ショッピングセンターへ。

また数日後には図書館へ。

 

「外には出れるようになったけど、学校は無理だなぁ」「勇気がない、勉強もめんどい」

「友達にも会いたくない」など発言してくるようにもなりました。

 

この発言、どれだけ胸がギュッとするか。。。これから学校に行けるのだろうかと思い悩む母にとって

、この発言はキツイ。

でも「そうなんだね~。今はあまり考えなくていいんじゃない」

「学校なんて行かなくていいよ」とか言わないといけないんですよ。

 

「さっさと学校行かんとおいていかれるぞ!!」って言いたい自分を殺して、

「学校なんて行かなくていいよ」って言えた自分を褒めてやりたい(笑)

 

たった一度のジュースを買いに行くという外出から、また毎日パジャマ・ゴロゴロ生活に戻りました。

 

少しずつでも、美味しく食べれるように、お昼ごはんはランチプレートのように、いろんな種類を少しずつ盛り合わせて

食べやすく。ですが、まだまだ食欲が安定しません。少し食べると「もうお腹いっぱい」と言われたり、残したり。

 

たくさん食べて欲しくて、子供が好きそうなメニューをたくさん作ってしまうので、残り物はいつも私が食べました。

 

ずっと家の中にいて、運動量も少なく、オシャレもしない日々。どんどん太っていきます。

誰にも会わないから、いいのですが、たまに職場に顔を出さなければいけないときなど、鏡に映った自分を見て、

情けなくなったことがありました。

自分にかまけてる暇と余裕はなかったので、一気に老け込んだ気がしました。

 

子どもたちが充電してる間って、親は何をしていればいいんでしょうね。

お子様が大きい場合は、少し離れてみていればいいけど、小さい子の場合は、ずっと同じ時間を過ごさなければいけないので、

大変です。

 

私はこの時、ずっと時間が過ぎるのを待ってるだけの生活でした。

何かを考えるのが辛いので、頭の中を空っぽにして、虚無にして、

特に未来の希望もなく、ただこのままずっと家にいて、時間が過ぎて、老いて死ぬんだろうな。

次女に少し回復の兆しが見えてきたころ、長女も刺激されたのか、そもそも長女も回復の時期だったのか、

次女が下校時間に外出したりしてるのを見て、「私もジュースを買いに行く」と、自宅マンションの道の前にある自販機に行きたいと

言い出しました。

 

私もついていくつもりで、一緒にマンションの階段を降りると、長女は猛ダッシュ。

自販機まで50m以上はあったのですが、突然全力で走り始めました。ジュースを買っても、ダッシュで帰ります。

ついていくのが大変でした。

 

なぜ、走るのだろう?決して、体力が有り余ってるタイプではありません。

何カ月ぶりに外に出たかというくらいの外出でした。

 

ずっと「外が怖い」と言ってましたから。きっと怖かったのでしょうね。でも行きたい行かなきゃという気持ちだったのでしょう。

 

そこから三日間ほど、「外に出れた!嬉しい!!前は絶対外に出るのが無理と思ってたけど、行けたね。洋服とかも買いに行きたい。すぐじゃないよ、でもいつか買いに行きたい」と言っていました。

 

前向きな発言があったので、これから、ちょくちょく外出できるんじゃないかと母はうっかり期待してしまいますが、

そんな期待は捨ててください。

ここからまた何カ月も外には出ません。毎日パジャマ。風呂は三日に1回。

何カ月もかけて貯めたエネルギーはたった1回の外出で使い果たします。

 

毎日、のんびりした生活を送りながらも、どっぷりYOUTUBEを見る生活でしたが、

 

ある日、次女が「トトロ見たい」と行ってきました。

次女は割と映画が好きでした。トトロは何度も繰り返し見ていて、ほかにもジブリ・ディズニーやミニオンなど。

 

久しぶりに一緒にトトロを見ました。そのあと魔女の宅急便。翌日にはポニョ。

 

YOUTUBEと映画、どちらも観るという点では変わらないような気がするかもしれませんが、

 

私は「映画を見たい」と思ってくれたことがすごく嬉しかったのです。

 

映画はストーリーがあり、描写から状況を推測したり、2時間以上集中して見なければいけないこともある。

心底疲れ切ってる人間は映画を鑑賞する余裕はないと思います。

少し余裕がある人が、感動や刺激を求めて鑑賞するものだと。

 

YOUTUBEは、ただ見るだけ。ただただ受け身で観るものですが、映画は推察・思考・感動と大きく心も脳も動きます。

 

次女に心も脳も動かせる余裕が出てきたのかな、と。

スクールカウンセラーにこのことを報告したら、同じように喜んでくれたことを覚えています。

 

同じころ、次女は学校の下校時刻に合わせて、「外に行きたい」というようになりました。

その理由は、「友達に会いたい」とのこと。

下校時間に合わせて、学校近くの駄菓子屋に行ったり、ケーキ屋さんに行ったり、同級生に会おうとしていました。

私はその行動に付き合うのがとてもしんどくて、「家にいよう」と次女を引き留めていました。

引き留めても「行きたい」というので、付き合って外出はしました。

 

同級生に会っても、次女は声をかけるでもなく、声をかけられるでもなく、、、ただ目が合うだけ。

 

私、同級生に会ったら「なんで学校来ないの?」って聞かれるのが怖かったんです。

きっと次女は答えられない、私が状況を取り繕って、家に連れて帰るだけ。

そして、きっと落ち込む次女をフォローしないといけない。また食べなくなるかもしれない。

はぁ、しんどい。

 

そんな気持ちで次女と歩いてました。

 

ある日、また下校時間帯に学校近くの駄菓子屋に向かって歩いていると、

次女が「疲れたな。学校って、遠いなぁ。。。」と言い立ち止まりました。

「もう家に帰ろうか」と言って、帰りました。学校までは当時次女の足で徒歩10分くらい。

大変な距離ではありません。

 

学校という大きな大きな存在。行かなくてはいけないという意識。

 

 

少しづつ心は回復してきている実感はありましたが、学校というところまでの距離がこんなに遠いとは、

得体のしれない次元に私たち3人だけがいってしまっていました。

 

 

不登校というどうにも出来ない現実を受け止める。

学校をあきらめる。

家の中で3人で過ごす。

これが、いつ終わるともわからないまま母親は落ち着いて(おおらかなフリして)過ごさなければなりません。

 

朝起きて、夫の弁当をつくる。洗濯ものを干す。9時にはリモートワークを始める。

10時から11時ころ、壁のノックが聞こえる。長女と次女を起こしに行く。

 

壁のノックはそれぞれが起きた合図です。ノックが聞こえたら寝室まで迎えに行きます。

文字通り、娘の腕を引っ張り、起こして、おんぶしてリビングまで運ぶ。

そこからゲーム・YOUTUBEなどそれぞれが自由に過ごします。

たいていがそれぞれ布団に寝転んで、スマホでYOUTUBEを何時間も見ます。

ほんとに何をする気力もないような生活が数カ月続きました。

 

そんな生活が続きながらも、少しずつ少しづつ、「おかあさんあそぼ」と布団の上でお相撲ごっこをしたり、家の中でかくれんぼをしたり、だるまさんが転んだを家の中でしたり、母親との遊びを求めるようになってきました。

眠る前も、1時間ほどクタクタになるほど、じゃれあって遊びました。

今思うと、母親にしっかり甘えて関係性を確立できていた貴重な時間だったのだを思いますが、

当時の私は、四六時中子供たちの機嫌を取り、精神的に疲弊していたので、本当に追い込まれていました。

 

過去のブログにも書いていますが、「疲れた」「逃げたい」と思う自分を殺して、精神的に死んでもいいから子供たちと向き合っていたような気がします。

そして、子供たちから逃げたいと思う母親(私)って最低だなとも考えていました。

こんな母親だから、不登校になったのかもな。とも。