長女も次女も同じような弱り方をしました。

 

ご飯が食べられない。

お腹がすかない。

 

一日に小さなおにぎりを数個しか食べれない日もありました。次女を不安にさせないように「食べれるときに食べたらいいよ。また食べれるようになるよ」と励ましていましたが、みるみるうちに次女は5歳児くらいの体重にまでなってしまい、私は心配になって、カウンセリングに通っていた小児科に連れて行きました。

 

次女をカウンセリングしてる間に、私は医師と相談。

これ以上、体重が減ったら入院かもしれないを示唆されました。

「今、次女を私から離すのは無理です。一人でトイレにも行けないんです。いろんなものを怖がるんです。無理です」と泣きながら伝えました。

入院なんてさせたら、栄養は摂れても精神的に死んでしまうかもしれないと恐怖でした。しかし、医師は命を守る為だから、入院は仕方がないんですとしか言いません。

 

次女のカウンセリングを待つ間、すごく怖かったのを覚えています。このまま大きな病院に連れていかれたらどうしよう。。。

結局、カウンセリングの後、入院はしなくて大丈夫だろうとカウンセラーが判断してくれたので、入院は免れました。おそらく「食べられないこと」は不登校の混乱期に生じるよくあることで、拒食症ではないと判断されたからだと思います。それから次女自身に「食べたい」意志があったこともわかってもらえたのではないかと思います。

元々の次女は食いしん坊でしたから。

今思うと精神が弱って弱って「食べる気力すら無かった」のだと思います。

 

この時は入院は免れましたが、次女の体重を増やさなければ次回こそ入院させられるかもしれないという恐怖感が残ってしまい、私はこの時から次女がご飯を食べてるかどうかにとらわれ、次女には数字を見せずに体重を量るようになってしまいました。

 

小さなおにぎりを何個も作り、次女を私の膝の上にのせて食べさせたり、食べられないとぐったりすると、背中をさすり「大丈夫、大丈夫、食べられるようになるよ」と伝え続ける日々が続きました。

次女は体重が増えてなかったらどうしようという不安に駆られ、体重計を怖がるようになりました。

長女も次女も家にいる生活。

 

二人とも、ひたすらスマホでYOUTUBEを見る生活になりました。

そして、母親である私の取り合いでした。

 

長女に「お母さん、こっち来て、一緒にこれ見よう」と言われ、行く。

しばらく一緒にゲーム実況を見る。

すると、次女が「お母さん、こっち来て。一緒にこれしよう」と言う。私はそちらに行こうとすると長女が「なんで次女のほうに行くんだ」と不貞腐れる。

行かずに私が「ちょっと次女ちゃん待ってて。これ終わってからそっち行くね」と伝えると次女は「いつもお姉ちゃんばっかり優先して、私のことは後回しだ」と怒る。

 

本当に本当に本当に、毎日これの繰り返しでした。

お風呂もトイレも付いていき、

私は常に二人の機嫌を取り、呼ばれればすぐに飛んでいき、無理してニコニコしていました。

 

一度、しょうもないことで夫に話しかけられて、イラっとしたので無視していたら、長女は私の顔を見て、「お母さん、お父さんのこと嫌いなの?」と今にも泣きそうな顔で聞いてきました。

不登校になる前の長女は、そこまで私の顔色は見ていなかったように思います。ですが、不登校になってからは、少しの私の表情の変化にも過敏になっていて、そんな長女になってしまったことがまた私を不安にさせました。そして、1秒たりとも気の抜けない生活をしなければならなくなりました。

ずっとニコニコ母さん。声も優しい、どんな時でも口角が上がっているお母さん。

無理して無理して、そんな母親を続けていました。

 

毎日毎日不安定な毎日でした。

 

ご飯が食べられるか、姉妹喧嘩をしないように、疲れ切っていました。

突然、目の前に神様とか死神とかが現れて、ポンっと私を消してくれないかと思いました。決して死にたいとか逃げたいとか家族を悲しませたいとかではなく、ポンっと私を消してほしかったです。悲しまないように家族の記憶からもポンっと。

 

まぁ決してそんなことは不可能な話で、私しか娘二人を生かせられないのだから、

今まで得た私のアイデンティティーを消して、ただ良い母親に徹するしかない。

ただ生きて、良い母親の振りをするだけ。娘たちが安心して過ごせる場所を作る。

 

ほんとうにこんなようなことを毎日思って息を吸って吐くだけ。あとは母親ロボットに徹していました。

 

私は強くたくましく生きてきた。娘たちにも、傷だらけでも親に馬鹿にされても、社会に出て、人間関係を作って、強く強く生きてほしかった。

こんな風に思ってしまう私のアイデンティティーを捨てないと、こんな価値観を持ってるとまた娘たちを追い詰めてしまう。そう思っていました。

 

いつになったら、こんな生活が終わるんだろう。

いつまで続くの。

毎日3人で過ごす。社会に戻れない3人で過ごすことが、こんなに絶望的な気持ちにさせられる。

でも時間が過ぎるしかない。とにかく早く夜になって欲しかった。

2人が不登校になってから、頼れるところは、小児(児童精神)科・スクールカウンセラー・アメブロの不登校ブログ、この三か所でした。

 

小児科では二ヵ月に一度くらい、カウンセリングと子供の様子を伝えに通いました。

娘たちも誘いましたが、外に出れないし、「家の中で過ごせれたら安心だし、相談したいこともない」と断られ、しばらく私だけが通いました。

 

スクールカウンセリングは二週間に一度、男性の30代くらいの優しそうなカウンセラーの方が話を聞いてくれました。

時間は30分。この2週間の間に起こった出来事、娘たちの発言、私が不安に思っていることを、ノートにまとめ、伝えました。通い始めて2回目くらいまでは、カウンセラーは話を聞くだけのような感じで、私としてはなんだか物足りない気分で帰るような感じでした。

3回目のカウンセリングの時に、スクールカウンセラーの方にいろいろな疑問をぶつけました。

 

子供が学校に行けないのは理解できているが、それがどうして「怖くて外に出られない」のか、「ご飯が食べられない」のか、「お腹がすかない」のか、「宅急便のピンポンが怖い」のか、母親以外のすべてのものに恐怖を感じるのかがわからないこと。いろいろなことを調べて、どうやら脳の偏桃体という部分が過敏になっていて、今までの娘たちから変貌してしまった、と理解しているが、これであっているのか。私は話を聞いて欲しくて、カウンセリングに来ているわけではない。娘たちの行動・発信に対しての母親としての私の感情や行動が、不登校対応として合っているのかどうなのか、娘たちの脳の中で何が起こっているのか、それを教えてほしくてカウンセリングに来ていること。

 

カウンセラーに伝えたところ、「なるほどー」と。

そこからは毎回カウンセリングは、まずは私が娘二人の発言や行動とそれに対する私の行動・疑問を言い、それに対してカウンセラーは、娘二人の中で、こういう変化があったからこうなったのだと思います。お母さんはこうしてあげたほうがいいですよなどと、答えてくれるようになりました。

このカウンセラーさんは1年間ほどお世話になりましたが、的確に答えてくださいましたし、私も勉強になることが多く、話していて楽になるカウンセラーでした。

今でも話を聞いてもらいたいですが、どこに異動になったかわからないので、残念です。

「もう学校に行けない」次女が信号前でうずくまったとき、

心底もう無理だと思いました。

 

毎朝、次女を励ましながら学校に向かわせることも、下校時、校門前でイライラしながら次女を待つことも、次女も私ももう無理だと。

 

とぼとぼと次女と家に帰りました。

 

帰ってきた次女と私に、長女は「え?学校は?」と戸惑っています。

 

「次女ちゃんも学校行けなくなっちゃったー」と私が言うと、長女は

 

「学校行きなよ!!なんで帰ってくるんだ!!学校行ってよーーー」と泣きながら叫びました。その時の次女の悲しそうな顔。

 

「まぁまぁ、次女ちゃんもずっとしんどかったんだし、3人でゆっくり休もう」

そんなようなことを私が言って、3人の引きこもり生活が始まりました。

テレビも付けない、学校とも関わらない。

なぜか私も昼間、外に出られなくなりました。何かから隠れるような生活。

スーパーには日が暮れてから行きました。

すべての外界をシャットアウトする生活。

うちの家だけ、宇宙空間にふわふわ浮いてるのではないかと想像していました。

夜になると外界から夫が帰還してくる。外界と繋がっているのは夫だけ。

 

私の精神状態は最悪でした。

2人を不登校にしてしまった責任の重さ。どうやってこの子たちをもう一度社会に出せるのだろうか。そんなこと出来るのだろうか。ほっといたら死んでしまいそうなほど弱っていく子たちをどうやって?

 

それでも

顔は笑っていなければならない。美味しいご飯を作らなければならない。

綺麗な生活を保たなければならない。お母さんは元気なふりをしなくてはいけない。

 

いきなり、後ろから突き飛ばされて、真っ暗な闇に落ちてしまった感覚。上も下も右も左も見えません。どこに向かえばいいのか、どうやって接すればいいのか。

 

 

長女は「私のせいで次女ちゃんは不登校になった」と暗くなり、次女は長女がそうだったように、まったくご飯を食べれなくなりました。どんどん痩せていき、保育所時代の体重になってしまいました。

 

「お腹がすかない。」朝も昼も食べません。夜にやっと小さな小さなおにぎりを食べるだけ。自分では食べないので、私の膝の上にのせて、スプーンで食べさせました。

 

少し食べると、「もういい」と食べません。

次女も布団にぐったり寝そべって、ひたすらYOUTUBEを見る生活が続きました。