長女のヘルペスが治った頃、長女に放課後、担任に会いに行かないかと打診してみました。

「学校には行きたい」と口では言う長女です。

行きたいなら、行ってみようよ。行きたいなら行けるよ。

顔色の優れない長女を車に乗せて、放課後、連れて行きました。

 

運動場に駐車し、中央玄関まで行って、校舎に入ろうとしますが、長女は立ち止まります。中に入れません。隠れようとします。

 

長女を下駄箱前で待たせ、私だけ職員室に行き、担任を読んでもらいました。

 

担任の先生は、長女が学校に来たことを喜んでくれて、駆け足で下駄箱前に向かってくれましたが、長女の姿が見当たりません。

 

長女の姿が見当たらないので、私も驚きました。そもそも注意深い長女が私に一言もなくその場を立ち去ることなど無かった子です。周辺を探すと、柱の陰に隠れていました。

 

先生は優しく色々伝えてくださいましたが、長女は頷くだけ。

話が終わると、走って車の中に逃げ込みました。

 

長女にとっては学校そのものが恐怖対象になっていました。

 

我が子の不登校を目の当たりにするまで、「不登校」=学校に行けないだけ

という認識でした。

 

我が子に起こったことは、食べれない、一人でいられない、外に出られない、ベランダにすら出られない、トイレ風呂に一人でいけない、外部のもの・情報に対する恐怖でした。

なぜ、学校に行けないだけで、食事中にぐったりと脱力するのか、ニュースが怖いのか、もう学校を休んでいるのに、すべてのものを怖がり続けるのか、

 

私には理解不能でした。