不登校というどうにも出来ない現実を受け止める。
学校をあきらめる。
家の中で3人で過ごす。
これが、いつ終わるともわからないまま母親は落ち着いて(おおらかなフリして)過ごさなければなりません。
朝起きて、夫の弁当をつくる。洗濯ものを干す。9時にはリモートワークを始める。
10時から11時ころ、壁のノックが聞こえる。長女と次女を起こしに行く。
壁のノックはそれぞれが起きた合図です。ノックが聞こえたら寝室まで迎えに行きます。
文字通り、娘の腕を引っ張り、起こして、おんぶしてリビングまで運ぶ。
そこからゲーム・YOUTUBEなどそれぞれが自由に過ごします。
たいていがそれぞれ布団に寝転んで、スマホでYOUTUBEを何時間も見ます。
ほんとに何をする気力もないような生活が数カ月続きました。
そんな生活が続きながらも、少しずつ少しづつ、「おかあさんあそぼ」と布団の上でお相撲ごっこをしたり、家の中でかくれんぼをしたり、だるまさんが転んだを家の中でしたり、母親との遊びを求めるようになってきました。
眠る前も、1時間ほどクタクタになるほど、じゃれあって遊びました。
今思うと、母親にしっかり甘えて関係性を確立できていた貴重な時間だったのだを思いますが、
当時の私は、四六時中子供たちの機嫌を取り、精神的に疲弊していたので、本当に追い込まれていました。
過去のブログにも書いていますが、「疲れた」「逃げたい」と思う自分を殺して、精神的に死んでもいいから子供たちと向き合っていたような気がします。
そして、子供たちから逃げたいと思う母親(私)って最低だなとも考えていました。
こんな母親だから、不登校になったのかもな。とも。