鉄筋コンクリートの建造物を巡る旅・鉄コン其古卍 Part 34、乗蓮院@常陸大宮市です。
前々回、前回で寺社の屋根を語り倒した舌の根も乾かぬうちに、アバンギャルドなお寺さんにご登場願います。
近所にこんな攻めてるお寺さんがあったなんて!
これまで何度となく乗蓮院の近くに来てたのに、ぶっちスル―してました。日頃、クルマで通過するところ、偶然、この辺りを自転車で訪れたのが僥倖。
現在の本堂・客殿・庫裡は、2010年の竣工。
設計はなんと、<PL学園幼稚園>や<東京都戦没者霊園>を手掛けた相田武文氏。なんでも、氏のお父様の実家が常陸大宮市にあって、氏自身も3ヶ月ほど滞在経験があるとのこと。学童疎開で来たのかな?
お寺のフルネームは、瑠璃山満願寺乗蓮院。真言宗豊山派のお寺、だそうです。伽藍をリニューアルした際の記念碑に
創建1200年云々とありますけど、これはどうカウントするのか… 単純に逆算すると、真言宗の開祖・空海が遣唐使から帰って来た年代になっちゃいます。
ときに、乗蓮院がある地区は異色の町割り。
常陸大宮市立大宮小学校を取り囲むように、東西400mほどの間に西から、西方寺、乗蓮院、松吟寺、甲(かぶと)神社が配されています。寺社の密集度がスゴい!
本堂を見学・撮影させて頂くにあたり、この点をご住職に尋ねたところ、「小学校のところに、むかしはお城があったんです。寺は有事の際、本陣として使われました」とのこと。
良い機会なので、長年の疑問を投げ掛けてみました。「いくら時の権力者とはいえ、軍事拠点に使われるのは、お寺にしてみれば迷惑でしょう?」。ご住職曰く「まーねぇ。でも、スポンサーだからねぇ。本能寺だって燃えちゃったでしょ」。わぉ、分かりやすい!
軍勢がお寺を使うメリットは、広い=収容力が高いことと、井戸があることだ、とご住職は仰ってました。瓦や漆喰の耐火性能や築地塀の防御力が評価されてのことではない、みたいです。なんというか、BASEっていうよりCAMPって感じ!?
前置きが長くなりました。建築を見て参りましょう。斜め前からみたところ。
本堂屋根の「トラス構造」がよく分かります。また、正面の屋根にはスリットらしき造作があるのを見て取れます。このスリット、パっと見では採光のために見えますが、ご住職に確認したところ、「換気用」とのことでした。
本堂の奥にあるのは、客殿兼庫裡。一階が客殿で、二階が庫裡とのこと。庫裡は、<「探すの大変だったのョ!」 第3回 石山修武・幻庵など>で取り上げたコルゲート建築の系譜にある感じ。
本堂の左側=西側に回り込んで
さらに斜め後ろ=北西から
なんかスロープ的なのが見えます。近寄ってみると、
やはりスロープでした。これ、本堂後ろにある納骨堂へ続いているんですって。ガラスに彫られているのは、佐竹氏の家紋「扇に月丸」。佐竹氏発祥の地が近いから、この辺りではメジャーな意匠。乗蓮院の寺紋になっています。
本堂を反対側から
予備知識ゼロでこの建築に遭遇したときのインパクトたるや…、ご想像いただけるでしょう。ビックリしたものぉ~。(笑
客殿と庫裡
庫裡に興味津々 (๑°ㅁ°๑)✧ナニコレ!!
でも、さすがに「中を見たい」とは言えません、言えません。
さて、今度は本堂内部へ
ご本尊の後ろにあるグッチっぽい2つの円は、「輪違」(わちがい)という宗紋=宗派の紋章。そして、否が応でも目に飛び込んでくるのが、曲物で出来た曼荼羅の天井。
わたくしのカメラでは、下の画角がMAX
実はこの天井、“制作途上”なんですって。完成するとどんな風になるのか、楽しみです。
さらに見上げて
画像中央の白い丸が採光窓。春分と秋分の日の正午、ここから入った日光がご本尊の顔を照らす様になっているとのこと。
ちなみに、寺紋を本堂内部からみると
こうなります。こっちのアングルの方が、意匠細部が見やすいかもです。ググったところ、内部から見た姿が本来の家紋のようです。よく見ると、扇の端が左右で異なります。
以上、乗蓮院さんでした。
<ふれあいギャラリー>につづく、ご近所ビックリ案件。最近、近場で建築以外にも多々、ビックリ案件と出会っておりますので、機会をみてご紹介したいと考えています。お楽しみに。