鉄筋コンクリートの建造物を巡る旅・鉄コン其古卍 Part 33、ふれあいギャラリーです。

国道293号から、ちょっと奥まったところに広がる市営公園内の施設。他県の方が偶然に通り掛かるにはショッパ過ぎる、そんな立地です。何を隠そう、ご近所のわたくしでさえぶっちスルーしてきましたので…。

 スタッフさんの話しでは、ふれあいギャラリーがオープンしたのは1996年とのこと。内部に掲示されてる贈呈状の日付欄にも

平成八年=1996年とあります。
 話しが逸れますけど、この贈呈状を送られた=施設整備費を受け取った金砂郷町(かなさごう-まち)は、平成の大合併により消滅しました。「金の砂の郷」なんて、冒険心を掻き立てる魅力的な名前だったのに“平成の地名殺し”の罪深いことよ…。

 一方、現当局によると「設計は、日立木材地所(株)、建設は武藤建設(株)であり、設計にあたるコンセプトは当時の金砂郷町長及び職員によるもので資料は存在していません」との由。

 この設計をした日立木材地所(株)は、1992年6月に別の会社と合併して、日立ライフ(株)に改組しています。ということは、当局説明を字面どおりに受け取ると、ふれあいギャラリーの設計を発注したのは1992年6月より前、ってことに。

 うむ~、バブル期の建築らしく、

円柱をベースに装飾性過多な“何か”が展開しています。

 勘の良い方なら一目見て察しがつくでしょう。実はココ、建物自体が日時計になっているのです。屋上の“骨組み”は時計の針。ということで、

画像の左右が概ね南北軸に当たります。表現を「概ね」とボカす理由は、ネットに委ねますネ。そこに触れると、説明が長くなっちゃうので。
/(^^);

 日時計モチーフの建築を前にしたわたくしは、ぶっちゃけ「よくあるパターン」と感じました。ところが、後からネットで検索&確認して目が点。建築そのものを日時計にしてるのって、日本では岐阜県の<日本まん真ん中センター>とココくらいなのです。
※庭園のオブジェや、建物の装飾的プチ日時計は除きます。

 さらに、ウィキによれば、<日本まん真ん中センター>は発案が1995年以降、オープンが1997年。つまり、ふれあいギャラリーの方が構想・開業とも先。こっちがパイオニアじゃん! おいおい、こんな日本の辺境で何が起きてたんだい!?

 ただ、如何せん四半世紀も前にできた建物。上述・現当局の説明にあるとおり、当時の経緯を知るよすがはなく…。

 まぁまぁでも、こんな面白い物件と出会えただけでも幸せです。以下、点景をば。

 田舎の小道で急に↓コレと

出くわしてご覧なさいナ。ビックリしますって!

 南西からみたところ

旋回砲塔みたい。

 上の真裏・ほぼ北東からみたところ

なにやらご歓談中のご様子。建物北側には屋上へ続く階段があります。

 屋上からの風景

ジャジャーん、ふれあいギャラリーは現在、ターゲットバードゴルフのクラブハウスとして活躍しています。ギャラリーの原義からはだいぶ離れた活用実態。(笑)
 歓談しているのは、プレーヤーさん達でした。

 アプローチの階段上にある

正面玄関を通って…

 中に入ると休憩スペースになってます

北を12時とすると、12~6時が上の休憩スペース、6~9時がトイレ、9~12時が事務室というレイアウト。ギャラリー感は激薄…

 「もうすぐお昼だし、そろそろ帰ろう」と館外へ出たところで、日時計の様子を写真に収めていないことに気付いて、

引き返して撮りました、の図。階段先のコンクリートの線=正午ラインに針の中心が迫っています。

 ときに、この針の構造が気になるぅ!

一般的な日時計の針がシャープなのに対し、こちらは格子状で意味あり気。きっと、“季節誤差修正”と“暦”の機能を付加させた結果、この形状になったんじゃないかナ、と。
 この辺も資料や建設当時を知る人がいれば、詳しく分かったのでしょうけど…。ちょっと思ったのは、隣地が小学校なので、理科の校外学習で使われてるのかも。

 階段途中で

筑波山が目に飛び込んで来ました。手摺りの先に見える双耳峰が筑波山です。

 こうしてみると、手摺りの支持棒は時計の文字盤の役目も担っていそう。こういう大事なことに後から気付くんです、いつも。相変わらずダメちゃんで参ります。