『萬葉集』を巡る その十七【万葉植物園】 | TOSHI's diary

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奈良市の万葉歌碑を巡る日記の続きとなります。

今回訪れたのは、以前コロナの影響で休館になっていた万葉植物園です。

万葉植物園は歌に詠まれた植物と、和歌のパネルが並んでいます。

数が多いので無理せずお読みくださればと思います。

それでは始めていきましょう。

 

 

 

【万葉集395】

託馬野(たくまの)に ()ふる紫草(むらさき) (きぬ)()め いまだ()ずして (いろ)()でにけり

託馬野爾 生流紫 衣染 未服而 色爾出來

 

チケットにも歌と花の写真が添えられていました。

現代語訳はチケットに書いてあるので割愛いたします。

植物の名前が古代からずっと変わらず使われていることにロマンを感じます。

 

では植物園内を見て回ることにいたしましょう。

 

 

 

【万葉集1120】

吉野(よしの)の 青根(あをね)(みね)の こけ(むしろ) (たれ)()りけむ 経緯無(たてぬきな)しに

三芳野之 青根我峯之 蘿席 誰將織 經緯無二

み吉野の青根の山の蓆のような苔は誰が織ったのだろう。経糸も横糸もないのに。

 

ちなみに冬なので紅葉の色づきが残っています。

ただ、あまり花が咲いていないのでご了承ください。

 

 

 

【万葉集1974】

春日野(かすがの)の ふぢは()りにて (なに)をかも 御狩(みかり)(ひと)の ()りて插頭(かざ)さむ

春日野之 藤者散去而 何物鴨 御狩人之 折而將插頭

春日野の藤はすっかり散ってしまって、一体何を、御狩の人は折って插頭にするのだろう。

 

 

 

【万葉集3444】

伎波都久(きはつく)の (をか)(くく)みら われ()めど ()にも()たなふ ()なと()まさね

伎波都久乃 乎加能久君美良 和禮都賣杼 故爾毛乃多奈布 西奈等都麻佐禰

伎波都久の岡の茎韮を私は摘むのだけど、籠いっぱいにならない――。あの人といっしょにお摘みなさい。

 

 

 

【万葉集90左注】

……三十年秋九月朔 皇后 紀伊国にいでまして 熊野の岬にいたりして そこの 

みつながしはを 取りて帰る……

三十年九月十一日、皇后が紀伊の国に行啓なさり、熊野の岬に到ってそこの御綱柏を取ってお帰りになった。

 

 

 

【万葉集4352】

(みち)()の うまらの(ぬれ)に ()(まめ)の からまる(きみ)を (わか)れか()かむ

美知乃倍乃 宇萬良能宇禮爾 波保麻米乃 可良麻流伎美乎 波可禮加由加牟

道のほとりのイバラの先に、はい伸びる豆のつるがからまるようなあなたを、後に置いて私は行くのか。

 

 

 

【万葉集158】

やまぶきの ()(よそ)ひたる 山清水(やましみづ) ()みに()かめど (みち)()らなく

山振之 立儀足 山清水 酌爾雖行 道之白鳴

山吹の花が美しく飾っている山の泉を酌みに行って蘇らせたいと思うのだが、道を知らぬことよ。

 

 

 

【万葉集4326】

父母(ちちはは)が 殿(との)後方(しりへ)の ももよぐさ 百代(ももよ)いでませ わが(きた)るまで

父母我 等能々志利弊乃 母々餘具佐 母々與伊弖麻勢 和我伎多流麻弖

父母が住む建物の後ろにはえる百代草、そのように百歳まで長生きしてください。私が帰ってくるまで。

 

 

 

【万葉集4448】

あぢさゐの 八重咲(やへさ)(ごと)く ()()にを いませわが背子(せこ) ()つつ(しの)はむ

安治佐爲能 夜敞佐久其等久 夜都與爾乎 伊麻世和我勢故 美都々思努波牟

紫陽花が八重に咲くように、いよいよ長い年月を生きてくださいよ、あなた。紫陽花を見ながらあなたをお慕いしましょう。

 

 

 

【万葉集3885】

愛子 汝背の君 居り居りて 物にい行くとは 韓國の 虎とふ神を 生取りに

八頭取り持ち來 その皮を 疊に刺し 八重疊 平群の山に 四月と 五月の間に

藥猟 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟が本に 梓弓 八つ手挾み

ひめ鏑 八つ手挾み 鹿待つと わが居る時に さ牡鹿の 來立ち嘆かく 頓に

われは死ぬべし 大君に われは仕へむ わが角は 御笠のはやし わが耳は 御墨の坩

わが目らは 眞澄の鏡 わが爪は 御弓の弓弭 わが毛らは 御筆はやし わが皮は

御箱の皮に わが肉は 御鱛はやし わが胘は 御塩のはやし 耆いぬる奴 わが身一つに

七重花咲く 八重花咲くと 申し賞さね 申し賞さね 

 

 

 

 

【万葉集2786】

山吹(やまぶき)の にほへる(いも)が はねず(いろ)の 赤裳(あかも)姿(すがた) (いめ)()えつつ

山振之 爾保敞流妹之 翼酢色乃 赤裳之爲形 夢所見管

山吹のように照りはえる妻の、朱華色の赤裳をつけた姿が、しきりに夢に見えて。

 

 

 

【万葉集1330】

南淵(みなぶち)の 細川山(ほそかはやま)に ()つまゆみ 弓束(ゆづか)まくまで (ひと)()らえじ

南渕之 細川山 立檀 弓束纏及 人二不所知

南淵の細川山にはえる檀を弓にして、束をまくまで人に知られるな。

 

【万葉集3508】

芝付(しばつき)の 御宇良崎(みうらさき)なる ねつこ(ぐさ) ()()ずあらば 吾恋(あれこ)ひめやも

芝付乃 御宇良佐伎奈流 根都古具佐 安比見受安良婆 安禮古非米夜母

芝付の御宇良崎に群生する翁草が根つくように寝た。もし寝ることもなかったら、こんなに恋しくはないものを。

 

 

【万葉集2189】

露霜(つゆしも)の (さむ)きゆふべの 秋風(あきかぜ)に もみちにけりも (つま)なしの()

露霜乃 寒夕之 秋風丹 黃葉爾來毛 妻梨之木者

露霜が寒々と感じられる夕方の秋風によって、美しく色づいたことよ。妻と成す梨の木は。

 

 

 

 

【万葉集141】

磐代(いはしろ)の 浜松(はままつ)()を ()(むす)び 真幸(まさき)くあらば またかへり()

磐白乃 濱松之枝乎 引結 眞幸有者 亦還見武

磐代の浜松の枝を結びあわせて無事を祈るが、もし命あって帰路に通ることがあれば、また見られるだろうかなあ。

 

【万葉集4016】

婦負(めひ)()の すすき()しなべ ()(ゆき)に 屋戸借(やどか)今日(けふ)し (かな)しく(おも)ほゆ

賣比能野能 須々吉於之奈倍 布流由伎爾 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊

婦負の野の薄を倒し靡かせて降る雪の中に、一夜を宿りする今日こそ、悲しく思われることよ。

 

 

 

【万葉集1048】

()ちかはり (ふる)(みやこ)と なりぬれば (みち)のしば(くさ) (なが)()ひにけり

立易 古京蹟 成者 道之志婆草 長生爾異煎

繁栄の昔とかわって今は故京となってしまったので、道のべの芝草も長く生いしげったことだ。

 

 

 

【万葉集102】

たまかづら (はな)のみ()きて ()らざるは ()()ひにあらめ (あれ)()()ふを

玉葛 花耳開而 不成有者 誰戀爾有目 吾孤悲念乎

玉葛のように花ばかりで実がないのは、一体どなたの恋なのでしょう。私はこんなに恋いしたっておりますものを。

 

 

 

【万葉集942】

味さはふ 妹が目離れて 敷たへの 枕もまかず かにはまき 作れる舟に 真楫貫き

わが漕ぎくれば 淡路の 野島も過ぎ 印南つま 辛荷の島の 島の際ゆ 吾家を見れば

青山の 其処とも見えず 白雲も 千重になり来ぬ 漕ぎ廻むる 浦のことごと 行き隠る

島の崎々 隅も置かず 思ひそ吾が来る 旅の日長み

 

 

 

【万葉集2134】

葦辺(あしべ)なる をぎの()さやぎ 秋風(あきかぜ)の ()()るなへに 雁鳴(かりな)(わた)

葦邊在 荻之葉左夜藝 秋風之 吹來苗丹 鴈鳴渡

葦辺の荻の葉が音を立て、秋風が吹いて来るのにつれて雁が鳴き渡っていくことよ。

 

 

 

【万葉集64】

あし辺行(べゆ)く (かも)()がひに 霜降(しもふ)りて (さむ)(ゆふ)べは 大和(やまと)(おも)ほゆ

葦邊行 鴨之羽我比爾 霜零而 寒暮夕 倭之所念

葦べを泳ぐ鴨の背に霜が降り、寒さが身にしみる夕べは、大和が思われてならない。

 

 

 

【万葉集3417】

上毛野(かみつけ) 伊奈良(いなら)(ぬま)の おほゐぐさ よそに()しよは (いま)こそ(まさ)

可美都氣努 伊奈良能奴麻乃 於保爲具左 與曾爾見之欲波 伊麻許曾麻左禮

上野の伊奈良の沼の大藺草のように、遠くから見てだけいた時より恋の苦しみは今の方がひどい。

 

 

 

【万葉集256】

飼飯(けひ)(うみ)の 庭好(にはよ)くあらし 刈薦(かりこも)の (みだ)()()ゆ 海人(あま)釣船(つりふね)

飼飯海乃 庭好有之 苅薦乃 亂出所見 海人釣船

飼飯の海の海上は穏やからしい。刈りとった薦のようにあちこちから漕ぎ出して来るのが見える、漁師の釣船よ。

 

 

 

【万葉集2771】

吾妹子(わぎもこ)が (そで)をたのみて 真野(まの)(うら)の 小菅(こすげ)(かさ)を ()ずて()にけり

吾妹子之 袖乎憑而 眞野浦之 小菅乃笠乎 不着而來二來有

吾妹子の袖をたよりとして、真野の浦の小菅であんだ笠をつけないで来たことだ。

 

 

 

【万葉集1461】

(ひる)()き (よる)()()る ねぶの(はな) (きみ)のみ()めや 戯奴(わけ)さへに()

晝者咲 夜者戀宿 合歡木花 君耳將見哉 和氣左倍爾見代

昼は花ひらき夜は恋いつつ寝る合歓木の花を、あるじだけ見ていてよいだろうか。お前も見なさい。

 

 

数が多いのでいったんここで区切ります。

冬場に訪れていたのでほとんど花が咲いていませんでしたね。

花の季節にも訪れてみたいところであります。

 

万葉集からは逸れますが、これよりおまけで春日大社にある歌碑をご紹介しましょう。

 

 

 

 

御手洗川というところの前に歌碑があるので紹介いたしましょう。

 

 

 

【古今和歌集406】

(あま)(はら) ふりさけ()れば 春日(かすが)なる 御蓋(みかさ)(やま)に いでし(つき)かも

大空をはるかに仰いで見ると、そこにあるのは、かつて見た春日の三笠の山から出た月なのだなあ。

 

阿倍仲麻呂はようやく日本に帰国できると思い喜んでこの歌を詠んだというのに、

船が難破してベトナムに流れ着いた挙句、最後まで帰れなかったという内容が記されています。

海外旅行と違い、何十年も帰国の許可が出ないとなると、

帰りたかった気持ちがどれほどのものだったかと考えさせられます。

結果的に天命が尽きるまで帰国が叶わない辺り、悲壮感も伝わってくるような気がします。

 

 

【古事記歌謡30】

夜麻登波 久尓能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

(やまと)は (くに)のまほろば たたなづく 靑垣(あをかき) 山隱(やまごも)れる (やまと)(うるは)

倭は国のもっとも秀でたところ 重なり合っている山々の 青い垣 山々に囲まれた 倭は すばらしい。

 

 

今回は以上になります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

次回も万葉植物園のパネルを中心にご紹介しますので、良かったら見ていただければ幸いです。

ではでは皆さんまたお会いしましょう。

 

過去記事のリンクも貼っておきますのでもしよろしければご覧くださいませ。

『萬葉集』を巡る その一 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

『萬葉集』を巡る その二 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

『萬葉集』を巡る その三 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

『萬葉集』を巡る その四 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

『萬葉集』を巡る その十五 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

『萬葉集』を巡る その十六 | TOSHI's diary (ameblo.jp)