今回は用事があって何日か奈良県内に行っていました。
時間が余った際に万葉歌碑を見てきたので、今日はそのことを書いていこうと思います。
11月30日の昼前。JR奈良線で電車と自動車がぶつかったそうです。
JR線が運行停止になったので、新田駅を降りて近鉄大久保駅に乗り換えることになりました。
京都→奈良までは一時間ほどなのですが、今回はそんなこんなで二倍の時間がかかりました。
まあ、そういうこともありますよね。
どうでもいい前置きで申し訳ありません。
それでは本題の万葉歌碑についてお話ししましょう。
今回訪れたのは奈良市内にある元興寺というお寺です。
平城京の地図などで見るとわかりやすいのですが、
奈良時代の元興寺はかなり広かったことが知られています。
現代ではその一割ほどまで縮小されたようです。
入口の生垣や散り始めの紅葉や銀杏に風情を感じます。
本堂にはマンダラや大きな仏像、ところ狭しと並べられた小さな像などなど。
内部での撮影は禁止なので、写真はありません。
それと敷地内に大きな資料館もあるのですが、そちらも撮影禁止でした。
ただ、聖徳太子像や五重塔、残された木簡などの貴重な資料が多くあり、
奈良時代を学ぶ私としてはとても勉強になりました。
境内には銀杏などの黄色が映えていてとてもきれいです。
散り始めの紅葉やもう散ってしまった木々にも風情を感じられます。
休憩所の中庭にはこれまた奥ゆかしい、彩り豊かな木々と石に映える苔がありました。
こちらに残されている万葉歌碑をご紹介します。
【万葉集1018】
白珠は 人に知らえず 知らずともよし 知らずとも 吾れし知れらば 知らずともよし
白珠者 人爾不所知 不知友縱 雖不知 吾之知有者 不知友任意
白珠は人に知られない。しかし、知られずともよい。たとえ人が知らなくても、自分自身が知っているのなら、人が知らなくてもよい。
この言葉の重みが私にはわかる気がします。
芸術家として励みになり、支えになった、私にとっては名歌の一つです。
人に理解されないものを持っている人ほど、響くのではないでしょうか。
元興寺塔跡が神社や住宅に囲まれる形で飛び地になって残されています。
こちらにも歌碑が残されているので訪れることにしましょう。
かなり縮小されてはいますが、境内はとても風情があります。
【万葉集992】
故郷の 飛鳥はあれど あをによし 平城の明日香を 見らくし好しも
古郷之 飛鳥者雖有 靑丹吉 平城之明日香乎 見樂思好裳
古京となった飛鳥もよいけれども、青丹よき奈良の明日香を見るのもよいことよ。
今回は以上になります。
二首だけだと少ない感じもしますね。
次回は古京となった飛鳥(明日香)の万葉歌碑をご紹介します。
明日香村は聖地の中の聖地でして、一度では紹介しきれないほどです。
おそらくブログ記事を4、5本に分けて書くことになります。
長くなりそうですが、また見に来ていただけると幸いです。
それではここまでお読みくださりありがとうございました。
ではでは皆さんまたお会いしましょう。
『萬葉集』を巡る その一 | TOSHI's diary (ameblo.jp)
『萬葉集』を巡る その二 | TOSHI's diary (ameblo.jp)
『萬葉集』を巡る その三 | TOSHI's diary (ameblo.jp)
過去記事になります。もしよかったら覗いてみてください。